■繋がる未来―賢者の石―

15:ふくろう救出作戦


 ホグワーツで生活を送る上で苦労させられたのは、贔屓の激しいスネイプや迷路のような城だけではない。厄介なポルターガイスト、ピーブズもだった。

 ピーブズは、ジェームズの娘であるハリエットにちょっかいをかけることが楽しくて仕方がないのだ。悪戯仕掛人に散々煮え湯を飲まされた身としては、ジェームズよりもハリーよりもとろくさくて大人しいハリエットは格好の悪戯の的なのだろう。

 「ポッティーちゃーん」とからかい混じりに周りをウロウロされるだけならまだいい。問題は、時に実害があることだ。虫の居所が悪いとき、必ずと言っていいほどハリエットの足を引っ掛けたり、水をかけてみたり、後ろからワーッと驚かしたりするのだ。いつ何時悪戯を仕掛けられるか、ハリエットとしては堪ったものではない。

 いくらハリエットとて、このまま泣き寝入りするつもりは毛頭ない。始めの頃こそ、きっとジェームズから散々いじめられたのだろうと――リリーから、ジェームズの学生時代のハチャメチャっぷりは何となく聞いていたからだ――気の毒に思って反撃せずにいたが、さすがに我慢の限界だ。

 廊下で魔法を使ってはいけないことなんてすっかり忘れ、杖を取り出して臨戦態勢になったのを見て、ピーブズはケタケタ笑った。

「おうおう、その目はジェームズ・ポッターにそっくりだ! おチビのポッティーちゃんが俺にやる気かい?」
「そうよ。あんまり甘く見ないでほしいわ」

 大口を叩きつつも、今のハリエットに良いアイデアはない。浮遊術――リクタスセンプラ――足縛りの呪いが良いかもと思いつくが、ピーブズはポルターガイストだ。どうとでも抜け出せそうな気がする。

「杖は見かけ倒しか〜?」

 どうしよう、どうしようと焦っていると、ピーブズが煽ってくる。その懐かしい声に反応してか、ハリエットの鞄の中に眠るテディベアが、ジェームズの声で「ピーブズめ!」と叫んだ。

 いつもはベッドの脇に飾っているテディベアだが、そろそろ洗濯しようと今日は一日持ち歩いていた。ただ、タイミングが悪かった。ジェームズの声を耳にしたピーブズはニタリと笑ったのだ。

「その声はジェームズ・ポッターか? どこから話してるんだ〜? 娘についてきてるわけじゃあるまいし!」
「ハリエットに近づくな!」

 何もできないのに無駄に吠えるテディベアは、自らの場所を明かしているようなものだった。狙いを定めて鞄に突っ込んできたピーブズに、ハリエットは思わず足縛りの呪いをかけるが、ピーブズは難なく躱し、あろうことかテディベアを奪い取った。

「返して!」
「やだよ〜っ!」

 ピーブズはケタケタ笑い、べーっと舌を出した。

「悔しかったらここまで来てみな!」

 ハリエットの呪文を次々に躱していくその身のこなしは見事としか言いようがない。運良く呪いが当たっても、ピーブズは難なく抜け出す。ハリエットには打つ手がなかった。

 ピーブズにさらわれたテディベアはジェームズの声で「コウモリ鼻糞の呪いだ!」と叫んでいるが、ハリエットはその呪文を使う気はさらさらなかった。いじめてくる奴に使うんだ、と昔ジェームズに教わっていたが、誰がそんな可愛くない呪文を使いたいと思うだろうか?

 ピーブズがいよいよ追い付き、ハリエットの足を掴んで転ばせた。その時、ハリエットはようやく思い出した。ジェームズの品のない呪文ではなく、入学するちょうど一月ほど前リーマスから習った、難易度はそれほど高くないのに、全身を拘束する効率の良い呪文を――。

「ペトリフィカス・トタルス! 石になれ!」
「ぎゃっ!」

 決死の呪文は、見事ピーブズに直撃した。ドタッと彼は廊下に石のように転がったが、しかし、全身金縛り術を受けようと、ピーブズにとって何ら問題なかった。ハリエットが到底手の届かない場所までテディベアを高く高く浮かしてからかう。

「いやあ、参った参った。お嬢ちゃん、なかなかやるな」
「呪文を解いてほしかったら、ぬいぐるみを返して!」
「嫌だと言ったら?」
「血みどろ男爵に言いつけるわ!」

 ピーブズは一瞬怯み、しかしすぐニタリと笑った。

「血みどろ男爵は怖いぞ〜! お前の細っこい首なんてちょん切ってしまうぞ?」

 ハリエットが、内心では怖気づいていることに気づいたのだ。血みどろ男爵は、見るからに恐ろしい容貌だ。うつろな目にげっそりした顔、衣服には銀色の血がべったりついているのだ。そんな彼に、どうやって話しかけ、あまつさえ頼み事なんてできるだろう!

「話しかける時は男爵の気に触らないよう気を付けることだね。もしお気に召されなかったら最後、お前の顔に血を吹きかけて言うんだ。『次はお前の返り血を浴びようか!』」
「ピーブズ、新入生をいじめるなよ」

 恐怖に震え上がるハリエットの後ろから、のんびりとした声が聞こえてきた。ロンの兄の、フレッドかジョージか、とにかくどちらかが歩いてきた。

「けっ!」

 リラックスした風で、しかし油断なく構えられている杖を見て、ピーブズは分が悪いと判断し、途端に押し黙る。ついで、テディベアを奪われないようもっと遠くに追いやろうとしたが、ジョージの方が早かった。

「アクシオ!」

 呪文を叫ぶや否や、気づいた時には、テディベアはウィーズリーの手の中にあった。ハリエットは驚いたが、当人の方がもっと驚いていた。

「うわ、初めて成功した! 練習してて良かった!」
「けっ! 良いところだったのに!」

 ピーブズは捨て台詞を吐くと、いつの間に呪文を解いていたのか、ピューッと逃げ出した。だが、もうテディベアが手元に戻ってきたハリエットとしては、目的は達成したのでもう追う必要はなく、そのまま見送った。とはいえ、ウィーズリーにはタランチュラの一件がある。ちょっと意地悪な印象を抱いていたので、素直に返してくれるかどうか……ともじもじしていたら、ハリエットのそんな思いとは裏腹に、ウィーズリーは「はい」とテディベアを差し出してきた。

「……いいの?」
「え? 君のじゃないの?」
「私のだけど……」

 まさか優しく返してくれるとは思いもしなかったので、ハリエットは拍子抜けしてしまった。ただ、テディベアを受け取ると、異変に気付き、それどころではなくなる。散々空中を振り回されて壊れてしまったのだろうが、呪詛のようにジェームズが「ピーブズピーブズピーブズ」と繰り返していて、正直血みどろ男爵よりも怖い有様だ。

「壊れちゃったみたい……」
「貸してみな」

 「レパロ」を唱えると、すぐにテディベアは静かになった。試しに「お父さん?」と呼びかけてみると、すぐにジェームズの声で反応があったので、ちゃんと直ってくれたようだ。

「ありがとう!」
「いつもピーブズにちょっかいかけられてるのか?」
「ええ。ずっと我慢してたんだけど、それがいけなかったみたい」
「悪戯するのにちょうど良い相手だって思われたのかも。待ってな」

 ウィーズリーは、懐から古びた羊皮紙を取り出した。杖で羊皮紙を叩きながらブツブツ言うと、顔を上げた。

「今からピーブズにちょっとした悪戯をする予定だけど……今後もあいつに付きまとわれたくなかったらついておいで」
「え……」

 ピーブズにはもちろん付きまとわれたくない。だが、タランチュラのことが頭を過ぎり、ハリエットは身構えた。ウィーズリーはニヤッと笑う。

「別に俺はどっちでも構わないけど。ただ、ピーブズはしつこいからなあ。一度舐められたらその後もずーっと舐められっぱなしだ。七年間ずっとね」

 たった二年ちょっと在籍しただけの生徒が何を知っているのか。

 もう少しよく考えればハリエットもそのことに気づいたかもしれない。だが、ハリエットは信じた。

「私もついて行く……」
「そうこなくっちゃ」

 踵を返し、ウィーズリーは当てもなく――少なくともハリエットにはそういう風に見えた――歩き始めた。ハリエットも慌ててその後を追いながらも、問いかける。

「どこへ行くの?」
「ふくろう小屋。たぶんこの方向はふくろう小屋に違いない……」

 この方向?

 どうしてその方向・・・・が分かったのだろうとハリエットは疑問に思ったが、ウィーズリーの歩幅は大きく、ついていくだけでも精一杯だったので、やがて忘れてしまった。

 西塔に着くと、確かにピーブズがケタケタ笑う声が聞こえてきた。ついで、ふくろうたちが羽ばたく音で騒がしい。ウィーズリーの後ろからひょっこり覗くと、ピーブズがふくろうを追い掛けているようだ。

「あいつ、最近訳もなくふくろうを脅かしてバタバタ飛ばせるのが趣味みたいなんだ。おかげでふくろうたちがストレスで参ってるってハグリッドがボヤいてた」
「そんなの可哀想だわ!」

 ハリエットは思わず怒る。ふくろうたちは夜通し手紙を運んでくれるのだ。せっかく一仕事終えて休んでいるときにピーブズが乱入してくるなんて、なんて拷問だろう!

「さてさて、何か良いアイデアがないものか……」

 呟き、ゆっくりふくろう小屋を見回したウィーズリーは、当たり前のように落ちている「それ」を見て口角を上げた。

「あれに決まりだな。よし、ハリエット、二人で一斉に呪文を放つとしよう」
「何の呪文? 私、あんまり自信ないかも……」
「大丈夫、君にも使える呪文だよ。何せ、うちのロニー坊やでもできるようになった呪文だからな」

 ウィーズリーはごにょごにょハリエットに計画を耳打ちした。その全貌を聞くうち、みるみるハリエットの顔が嫌そうに歪んでいく。

「そんなことするの……?」
「何を! 素晴らしい計画だよ。ふくろうのためだよ」

 うっとハリエットは詰まる。確かに、ピーブズは負けん気が強そうに見える。これに懲りたら、二度とふくろうにちょっかいはかけないだろう……。ハリエットは渋々頷いた。

「わ、分かったわ」
「じゃあいくぞ。三つ数えたらだ。一、ニ、三!」
「ウィンガーディアム レヴィオーサ!」

 ハリエットも同じ呪文を叫ぶと、地面にこびりついていたふくろうの糞が浮き上がった。そのまま杖を振るってピーブズにぶつける。ピーブズにとって不幸なことは、たった一回や二回の糞攻撃に留まらず、四回、六回、十回と延々とやられっぱなしだったことだ。それは、小屋の中を逃げ惑っても止まらない。少なくともハリエットの命中率を下げることはできたが、ウィーズリーのしつこい攻撃に音を上げるのは早かった。

「クソッ! 覚えてろよ!」

 捨て台詞を吐きながら、ピーブズはピューッと逃げ出した。ようやくいなくなった天敵に、ふくろうたちはまるで拍手をするかのようにしばらくバタバタ飛び回っていた。やれやれといった様子で、ヘドウィグとウィルビーがハリエットの肩に止まる。

「これでもう大丈夫だ。糞なんか見たくもないあいつは小屋には近づかないだろうし、この屈辱を言いふらされたくないから、君にもしばらく悪戯は控えると思うよ」
「ありがとう。ウィーズリー……えっと……」
「ジョージ」

 ニッと笑うジョージに、ハリエットも笑みを返した。

「ジョージ、ありがとう!」
「見直した?」

 ハリエットは素直にこくんと頷いた。

「感謝してる?」
「ええ」
「お礼したいと思う?」

 何だか話が妙な方向へ進んでいる。身構えたハリエットに対し、ジョージは手を振った。

「そう警戒すんなって。ちょっとジェームズ・ポッターに聞いてほしいことがあるだけだよ」
「お父さん?」
「ああ。ハリーに聞いてもらおうとしたんだけど、ホグワーツ特急で君を泣かせちゃったから、ちょっとつれなくてさ」

 目を瞬かせ、ハリエットは小さくはにかんだ。喧嘩してばかりでも、ハリーはこういう時ちゃんとお兄ちゃんなのだ。

「頼みたいことって?」

 すっかり警戒心を解いたハリエットは機嫌よく尋ねた。予想だにしない副産物に、ジョージは笑いをかみ殺すのに必死だった。

「うん……とにかく、ジェームズ・ポッターにあることを伝えてほしいんだ。『われ、ここに誓う!』ってね」
「それを言うだけ?」
「ああ」

 ハリエットはパチパチと瞬きした。そんな呪文のような言葉、ハリエットは聞いたこともなかった。有名な言葉だろうか?

「それなら、手紙で聞けばすぐだわ」
「急がなくてもいいよ。クリスマスに会った時にでも……」
「でも、本当にそれだけ?」
「何が?」
「頼みたいことって……」

 ハリエットは未だ疑り深かった。それもそうだ。ただ箱を開けるだけと思っていのに、中からタランチュラが飛び出したこともあるのだ。今回のことも、呪文のようなこの言葉を口にすれば、自分の身に何か良からぬことが起きるのではと疑って止まない。

 そう思っていたら、ジョージが笑い出した。

「これについては何も悪いことは起こらないって。過保護な父親の前で娘に悪戯する馬鹿はいないよ」
「……本当?」
「ピーブズが君に悪戯したくなる理由が分かるよ。君はちょっと……うん、反応が面白いから」
「面白くないわ!」

 ジェームズやシリウスや、時々リーマスにピーター、ようやくあの四人からの悪戯からおさらばだと思ったのに、そんな風に言われては立つ瀬がない。

「とにかく、『われ、ここに誓う!』って伝えればいいのね?」
「ああ。よろしく頼むよ」

 ウィルビーやヘドウィグにさよならをして、ハリエットたちはグリフィンドール塔へ向かった。ジョージも他に用はないようなので、同じ行き先だ。

 道中は、ジェームズについてあれやこれや聞かれた。普段はどんな人なのかとか、今までどういう悪戯を受けたのかとか。どうやら、ハロウィーンの日に見た吠えメールに感銘・・を受けたらしい。俺たちのことを寂しがってるジニーに――末の妹だ――サプライズで送ってやろうかとか物騒なことを口にしていたので、ハリエットはやんわり止めるように勧めたが、果たしてその忠告が受け入れられたかどうかは定かではない。

 ようやくと寝室に戻ってくると、ハリエットはテディベアをベッド脇に置いた。のほほんとした顔でハリエットを見つめているのを見ると、今日一日の出来事が思い出され、つい八つ当たりしてしまう。

「――もうあなたのことは持ち歩かないから」
『どうして!』

 一番にジェームズの声が反応した。ハリエットは唇を尖らせる。

「だって、急にしゃべり出すんだもの! 今日一日、何度ヒヤヒヤさせられたか!」

 洗濯しようと鞄の中に忍ばせて行ったら散々だったのだ。箒の授業ではジェームズが興奮したように箒のあれこれについて語ったり、勝手にハリエットに指導をつけようとしたりした。特に最悪だったのが魔法薬学での授業だ。スネイプの声に反応し、シリウスが悪態をつき始めたのを聞いた時には――そもそも悪態なんて吹き込まないでほしいが――血の気が引いた。スニッチも感嘆するほどの反応速度でテディベアをバッグの奥底に押し込んだので、間一髪、スネイプには気づかれなかったが――嬉しくもない懐かしい旧友の声が聞こえたようなとジトリと教室を見渡すスネイプの視線にハリエットはぷるぷる震えていることしかできなかった。その後、とばっちりでハリーが減点を受けたので恨み言を言われたのも記憶に新しい。

「とにかく、もうあなたはお留守番!」

 そう高らかに宣言すると、ハリエットはテディベアをベッドの隅に追いやった。ジェームズやシリウスは特にブツブツ言っていたが、ハリエットが頑として答えずにいると、やがて大人しくなった。