■繋がる未来―秘密の部屋―

16:怪物の正体


 ジャスティンと首無しニックが石になって発見されて以降、新たな犠牲者はぱったりと出なくなった。それは、幸か不幸か、ハーマイオニーが医務室に寝泊まりすることになったことも起因している。ハーマイオニーが傍にいることで、ハリエットもといリドルは夜に抜け出すことも厳しくなったし、日中だってハーマイオニーにその日の授業内容を教えるために、時間一杯教室やら談話室やらひと目のつく場所にハリエットが籠もっているからだ。

 とはいえ、一番の理由は、リドルの目的が変化したためだ。ハリエットから聞き入れた情報を以てして新たな狙いができており、そしてその対象をどうやって目の前に連れ出すかを日々計画していたのだ。

 そのおかげでホグワーツは次第に平穏を取り戻し、それどころかむしろ活気が出てきた。グリフィンドール対ハッフルパフの対抗試合が近付いていたのだ。

 どんな恐怖もクィディッチの興奮には敵わず、当日になると生徒のみならず教師もどこか熱を帯びた様子で今日の勝敗の行方についてあれこれ議論を交わし合う。その傍ら、チラチラとハリーに視線が向けられるものだから、本人は堪ったものではない。緊張からろくに食べられないまま朝食を終え、ちょうど大広間を出ようとしたその時。

『今度は殺す……引き裂いて……八つ裂きにして……』

 突然聞こえてきた不気味な声にハリーは固まった。そして瞬時に辺りを見回すが、変なものは何も見当たらない。

「あの声だ! また聞こえた! 君たちは?」
「何も聞こえなかったよ」

 首を振るロンに対し、ハーマイオニーがハッとしたように足を止めた。

「ハリー――私、たった今思いついたことがあるの! 図書室に行かなくちゃ!」

 返事をする間もなかった。あっという間に姿を消したハーマイオニーを見てハリーはポカンとする。

「思いついて、なんで図書室に行かなきゃなんだろう?」
「一にも二にも、まず図書室なのさ。ほら、ハリー、しっかりしないと。もう始まるぜ」
「うん……」

 後ろ髪引かれながらもハリーはまた歩き出した。この時、試合の緊張と長く続いた平穏にハリーは油断してしまっていた。決して一人で行動しないこと、マグル生まれは特に注意すること。いつもマクゴナガルが口うるさく言っていたのに、今日という日だけはそのことが頭から抜け落ちていたのだ。

 更衣室の前でロンと別れる頃には、ハリーはクィディッチのことしか頭になかった。


*****


 勢いよく駆け出したハーマイオニーだが、曲がり角のたびに立ち止まり、手鏡を覗き込んではまた歩き出すという奇妙な行動を繰り返していた。

 ホグワーツの生徒も教師も、ほとんど全員がクィディッチの試合を観に城を留守にしている。しんと静まり返った城は肌寒く、いやに不気味だ。

 早く人の多い所へ戻りたいと足早になり、何度目かの曲がり角を確認したその時、向こうからハリエットがやって来るのが見えた。やけに怖い顔をしている。

「ハリエット?」
「……ハーマイオニー? こんな所でどうしたの?」
「図書室に行こうと思って。ハリエットこそ医務室にいるんだと思ってたわ」

 朝から体調が悪かったらしく、ハリエットから試合観戦を断念することを伝えられていたのだ。それがどうしてこんな所に……。

「気分も良くなかったからやっぱりクィディッチを見に行こうと思って」
「一人で? 危ないわ」
「それはハーマイオニーも同じでしょう?」

 クスクスハリエットが笑う。ハーマイオニーが一歩近づいた。

「ねえ――ハリエット、あなた手鏡は持ってる?」
「いいえ」
「私、秘密の部屋の怪物について思うところがあるの。もしかしたら勘違いかもしれないけど、以前本で読んだような気がして――。角を曲がる時には、まず最初に鏡を見るようにして」

 ハーマイオニーは自分の手鏡をハリエットに手渡した。

「でも、ハーマイオニーは?」
「図書室はすぐそこだもの、私は大丈夫。気をつけて行ってきてね」
「ええ、ありがとう」
「じゃあ、なるべく早く皆と合流するのよ」

 大きく手を振り、ハーマイオニーは最後の曲がり角を曲がった。その姿を見送り、ハリエットはちらりと手鏡に視線を落とす。

「――穢れた血にしておくにはもったいないほど聡明な子だ」

 小さく嘆息すると、リドル・・・は杖を鏡に向け、呪文を唱えた。手鏡は呆気なく粉々に割れる。

 それを無感動に見届けると、リドルは再び歩き出した。


*****


 図書室に着くと、ハーマイオニーはすぐに目的の本を見つけ出し、勢いのままページをめくり、該当項目を読み漁った。

「やっぱり……」

 読み終えると、小さく嘆息をつき、本を閉じた。

 秘密の部屋の怪物――それはハーマイオニーの推測通りだったが、一つ腑に落ちない点がある。雄鶏が殺された理由――それも今回の件に紐付けると、継承者は一人しかいなくなる。でも、彼女は……。

 難しい顔でカウンターへ向かうと、本の貸し出し手続きをした。クィディッチの試合がある日でも、マダム・ピンスは司書の仕事を全うしようというらしい。こんな時に本を借りるハーマイオニーもハーマイオニーだが、彼女も大概だ。

 廊下に出ると、向かいからレイブンクローの監督生が歩いてきた。

「こんな所で何をしているの? 一人で行動しないよう言われていたでしょう」
「ええ……まあ」

 ハーマイオニーが本を抱えているのを見ると、ペネロピー・クリアウォターは声を和らげた。

「勉強も大事だけど、クィディッチだって楽しいわ。今日はグリフィンドールの試合よね? 一緒に行きましょ」
「待って!」

 先へ進もうとするペネロピーをハーマイオニーは呼び止めた。

「手鏡は持ってる?」
「手鏡? どうして?」
「私、秘密の部屋の怪物が分かったの! これを見て」

 レイブンクロー生には、口で説明するより実際に本を読んでもらった方が理解が早いだろう。

 祈るように待っていると、ペネロピーは感心したように頷いた。

「なるほど、だからスリザリンの怪物なのね……。今までの犠牲者は水や、ゴーストやカメラや……」
「全部何かを通して怪物を見ていたの」
「もし直接怪物を見ていたとしたら死んでいた――バジリスクの視線にはその力があった」

 ハーマイオニーはゆっくり頷く。ペネロピーはぎこちなく笑みを浮かべた。

「恐ろしいわ、こんな怪物が校内にいたなんて……。でも、よく見つけてくれたわ。校長先生はきっと競技場にいらっしゃるはずだわ。一緒に行きましょう」
「待って! 手鏡を! バジリスクがいるかもしれないわ!」

 またも慌てて呼び止めると、ペネロピーは照れたように笑って鏡を取り出した。

「そうね、危なかった。角の向こうにバジリスクがいたとしても、鏡越しなら石になるだけですむ。もうすぐマンドレイク薬は完成するだろうし――」

 途中でペネロピーの声が途切れた。ほんの僅かな間だった。気がついた時にはペネロピーは物言わぬ石になっていた。手鏡を覗き込んだまま、目を見開いた状態で固まっている。

 ハーマイオニーは咄嗟に後ろを向いた。今までにない激しい悪寒が身体中を駆け巡る。震える足を叱咤し、駆け出そうとしたその瞬間。

「本当に賢いのね」

 聞き慣れた声が耳を掠め、ハーマイオニーは固まった。

「……ハリエット?」
「親愛なるハーマイオニー・グレンジャー。教師の誰も――ダンブルドアでさえ分からなかったのに、あなたが答えにたどり着くとは思わなかったわ」
「雄鶏のことがあったから、継承者はあなたしかいないと思っていたわ。でも、あなたなはずがないとも思ってた」
「私だと知って驚いたでしょう?」
「ええ、でもおかげでようやく納得がいったわ。継承者はハリエットじゃなくて『あなた』ね」

 しばしの沈黙が辺りを支配した。 
「――私がハリエットよ」
「そんなの私が信じると思ってるの? 私は身をもって知ってるの。魔法界には知り合いそっくりの姿になれる魔法薬があることを。それに、使用が禁じられている許されざる呪文だってある……そう、たとえば服従の呪文とか」
「はははっ!」

 突然の高らかな笑い声にハーマイオニーを見を固くさせた。そろりとポケットの杖に手を伸ばす。

「なるほどね、いい線いってるかもしれない。でも駄目だね。君は生きて帰れない。頭の悪い残された人たちは、ハリエット・ポッターを犯人だと決めつけて事件を収束させるだろうね」
「ペトリフィカス・トタルス!」

 前を向いたまま、杖だけ向けた呪文は、バジリスクを大きく逸れ、後ろの壁に当たった。リドルは思わず笑い声を上げる。

「そんなんじゃ当たらないよ。ちゃんとこっちを見ないと」
「ペトリフィカス・トタルス!」

 ハーマイオニーは再度呪文を唱えた。今度もまた光線は逸れたが、これはただの囮だ。ハーマイオニーはすぐさま駆け出し、この場から逃げようとしたが、リドルがその足下に呪いを放ち、その場に転んでしまった。

「マグル生まれをホグワーツから追放できれば充分だったけど、石化なんて生ぬるいのはお呼びじゃないんだ。このところ犠牲者が出ないせいでただでさえ気が緩んでるところに、急に死人が出たらどうだろう?」

 立たないと。立って逃げないと。

 そうは思うのに、身体が動かない。まるでもう石になってしまったかのようにハーマイオニーの身体はその場からビクともしない。

 蛇語でリドルが何かを命令した。シューシューという不気味な鳴き声と共に、巨大なものが引きずるような音が近づいてくる。恐怖を飲み込み、ハーマイオニーは抱えていた本をのページを破り、余白に「パイプ」と走り書きを残した。それをくしゃりと握りつぶし、手の中に閉じ込める。

 わざわざ死体の手なんて確認しない。きっと「彼」はマグル生まれの身体にすら触れることすらしたくないに違いない。

 己の死を悟り、
異変が起こった。リドルがあっと叫んだのだ。

「このネズミ風情が……!」

 ネズミ――?

 何かが窓ガラスに激しく叩き付けられる音がした。恐る恐る横目で見ると、地面にはスキャバーズが蹲って倒れている。

「す、スキャバーズ?」
「チュー、チュー!」

 逃げろとでも言わんばかり、激しく鳴き出すスキャバーズ。驚きのあまり――小さな味方が登場したことも相まって――ハーマイオニーの恐怖は僅かに薄れていた。何とか起き上がり、よたよたと走り出す。

『ネズミはいい! あの小娘を逃がすな!』

 リドルがまた指示を出すが、バジリスクのような大きな図体では廊下は動きづらく、思うようにハーマイオニーを捕らえられない。

 一方でリドルもスキャバーズに手こずっていた。ネズミ相手に殺意丸出しの爆破呪文を唱えるが、素早い動きでリドルを翻弄している。

 しかし、それも時間の問題だった。矢継ぎ早に繰り出される呪いの数々に、やがて反撃の術を持たないネズミは全身金縛り術を受け、スキャバーズはその場に力なく転がった。身動きもできないまま、目だけが動揺して忙しなく動いている。

「全く手こずらせてくれたな。たかがネズミごときが」

 廊下の先には、もうハーマイオニーの姿はない。彼女を逃がしたことは大きな失態だ。直に人を呼ばれるだろうし、怪物がバジリスクであること、継承者がハリエットであることを全てダンブルドアに報告するだろう。そうなればリドルの目的は果たされない。

 イライラとリドルはスキャバーズを見下ろす。

 このネズミさえいなければ計画は順調だったのに。こいつさえいなければ。

 リドルは杖を向けたが、思い直して、バジリスクの背に向かって放り投げた。呪いで殺すのは美しくない。ネズミというのは気にくわないが「本当の犠牲者」は遅かれ早かれ必要だ。

『ネズミを殺せ。ここまでお膳立てしたんだ。それくらい――』

 リドルの言葉はそれ以上続かなかった。激しくガラスの砕け散る音が響き、咄嗟に頭を庇うことになったからだ。

「スキャバーズ!」

 ハーマイオニーの声に僅かに顔を上げた時には、もう事は終わっていた。バジリスクが苛立ったように鳴き声を上げている。彼の足下には、目を見開いたまま今度こそ本物の「石」になっているネズミがいた。

「穢れた血めが」

 先の曲がり角で、ハーマイオニーがまだ潜んでいたことにリドルは気づけなかった。スキャバーズが逃げることは不可能と判断し、視線に射殺されるよりはガラスを割ってバジリスクの視線を直視しないように目論んだのか。

 バジリスクを下がらせ、リドルはイライラとネズミに近づく。バジリスクの視線で殺すことは叶わなかったが、石になったとて、砕けばいいだけの話。だが。

「何事です!? こんな時に騒ぎを起こして!」

 廊下の奥からマダム・ピンスの声がする。長居をしすぎた。直にハーマイオニーに呼ばれたダンブルドアが来るかもしれない。こんなネズミに構っている暇はない。

 リドルは踵を返すとバジリスクを連れてその場を去った。

 石になったネズミが発見されたのは、それからしばらくしてからだった。