■繋がる未来―賢者の石―

07:出立の日


 九月一日の朝、ポッター家ももちろんてんてこ舞いの慌ただしい時間を過ごしていた。余裕を持って準備をしていたはずが、子供たちがホグワーツに行ってしまうことを悲しみ、ジェームズが双子に悪戯を仕掛けたり、ジェームズがリリーにちょっかいをかけたり、ジェームズが忘れ物をしたり、ジェームズが、ジェームズが……。

 とにかく、大半はジェームズのせいで、ポッター家の出発は大幅に遅れた。キングズ・クロス駅に着いた頃には、彼らは息も絶え絶えだった。

 ただ、いつまで経っても子離れができない父を持つように、ハリエットもまた、いざ別れの時が来ると思うと、少し涙ぐんでいた。

「ほら、ハリエット、九と四分の三番線よ。カートは私が押すから、ハリエット――」

 リリーが優しく娘の背を押すが、ハリエットは鼻をすすりながら頷くばかりだ。

「ハリエット、パパたちと離れるのは寂しいかい?」
「寂しい……」

 あまりにも素直に、真っ直ぐに答える娘に、ジェームズはズキュンと胸をやられた。そして感極まった表情のまま、ハリエットを抱き上げる。

「なんて可愛いんだ! パパだって寂しいよ! できることならずっと君たちを家に置いておきたいくらい! でもね、ホグワーツは素晴らしい所なんだ。行かないと絶対に後悔する……」
「ええ、分かってるわ。ずっと楽しみにしてたもの。でもね、それでも寂しいの……」
「ハリエット!」

 ジェームズは頬を緩ませ、ハリエットに愛情の籠もったキスをした。ハリエットはそれに嬉しそうな顔をしたが、ハリーもリリーも少し呆れた様子だ。

「ジェームズ……君が子煩悩だというのは噂には聞いていたが、実際に見るとびっくりするな」

 皆が振り返ると、そこには目に眩しい赤毛を持った一家が立っていた。

「こんにちは、アーサー、モリー。恥ずかしい所を見られてしまったわね」
「いや、仕方ないさ。君たちの所、一気に二人もだろう? 私たちだって、七人も子供はいたが、いざ上の子がホグワーツに入学するとなると、とても寂しかったからね」
「分かってくれるかい、アーサー!」

 同士を見つけたとばかり、ジェームズはバンバンアーサーの肩を叩いた。ハリーは、彼が気を遣ってくれたのだとちゃんと見抜いていた。

 ふと視線を感じ、ハリーが目線を元に戻せば、ひょろっとした少年と目が合う。彼はハリーと目が合うと、パチパチと瞬きをし、やがて苦笑いを浮かべた。ハリーも照れたような笑みを返す。

「ええっと、男の子がハリーで、女の子がハリエットかな?」
「ああ。それで、君の所は、確かロンが入学だったかな?」
「そうだよ。よく知っていたね」

 ジェームズは一発でロンを当てた。それにアーサーは驚きつつも、子供たちを一人ずつ紹介した。

「それで、末の娘がジニーと言って――ジニー? そんな所に隠れてないで挨拶をするんだ。ジニー?」
「アーサー、そろそろ行かないと汽車が行ってしまうわ」

 モリーが時計を見ながら夫をせっついた。いつの間にか、十一時まであと僅かだ。

「おっと、もうそんな時間か。ジェームズ、先に行ってくれ。何せ、うちは家族が多い……」
「お言葉に甘えて。ハリー、準備は良いかい?」

 ジェームズは、カートを押しながら、ハリーと共に九番線と十番線の間の柵に向かって走った。壁にぶつかる、と思った所で、二人の姿は忽然と消えた。

「ハリエット、私たちも行くわよ」

 もう涙は止まっていた。ハリエットはリリーのローブを掴みながら、一緒に走った。

 次に目を開けたとき、目の前には、もう紅色のホグワーツ特急が現れていた。もくもくと吐き出す濃い白煙で、辺りがぼんやりしているが、それでも大勢の少年少女とその両親の姿は覆いきれない。

「みんなホグワーツに行く人?」

 カートを押す両親の後ろでハリエットはハリーに囁いた。

「汽車に乗り切れるのかしら」
「ね、ハリエット! あの人シリウスじゃない?」
「え?」

 興奮したようにハリーが指差す先には、黒髪の男性が立っていた。煙のせいで少し全体はぼんやりしているが、横顔は確かにシリウスにそっくりだ。

「本当だわ」
「きっとサプライズで見送りに来てくれたんだよ。行こう!」

 人混みを縫って歩き、ハリーは喜び勇んでシリウスに抱きついた。少し遅れてハリエットもシリウスの手を引っ張る。

「シリウス!」
「お見送りに来てくれたのね! すごく嬉しい!」
「は……」

 きょとんと丸まった瞳は、確かにグレーで、シリウスと相違ない。だが、近くではっきりと見るその顔の造形はシリウスと少し違っていた。

「あれ……す、すみません。人違いでした」

 ハリーは慌てて男性から離れ、ハリエットもパッと手を離す。

「知り合いにすごく似てて、その、ごめんなさい……」
「構いませんよ」

 男性は薄らと微笑みを浮かべた。笑い方もシリウスとは違っていた。顔はよく似ているが、やはり別人だ。

「新入生ですか?」
「はい。僕たち、ずっと今日を楽しみにしてて!」
「そうですか。なら、ご両親もきっと君たちの姿が見えなくて心配しているでしょう」
「あっ!」
「ハリー、ハリエット!」

 彼の言葉を裏付けるかのように、二人の名を呼ぶ声があった。そしてこの声は、まさしく二人が探していた人物のもので。

「こんな所にいたのか。ジェームズとリリーが探してたぞ」
「シリウス!」

 喜色を浮かべてハリーはシリウスに駆け寄った。

「やっぱり見送りに来てくれたの?」
「当たり前だ。記念すべき門出に立ち会わない後見人がいるか?」
「いない!」

 ハリーと笑い合った後、シリウスはすぐに男性の存在に気づいた。

「……どうしてこんな所に?」
「知り合いの見送りです。あなたと同じく」
「この人、シリウスと間違えて話しかけちゃったんだ。あの……知り合い?」

 ここだけ周りと違う空気だ。気まずいわけではないが、堅苦しく、素っ気ない会話にハリーは戸惑う。シリウスは小さく息を吐いた。

「わたしの弟だ」
「レギュラス・ブラックです。どうぞお見知りおきを――と言っても、もうお会いする機会はないと思いますが」
「そう願おう――行くぞ」

 子供たちの背を押し、シリウスは促した。戸惑いつつも二人は歩き出す。

「弟さんと仲悪いの?」

 後ろ髪を引かれる思いでハリーが尋ねる。そもそも、シリウスに弟がいたというのもこの前のダイアゴン横丁で初めて知ったのだ。明らかに露骨な態度が気にならないわけがなかった。

「まあな――あいつは純血主義で、昔はいろいろと……わたしと衝突してばかりだった。……いや、あいつの話は止めよう。今日は折角のホグワーツ出立の日なんだから」

 もうおしまいだとシリウスはハリーの肩を叩いた。ハリーは少し不満そうだったが、大人しく引き下がる。ハリエットはなおも気にかかって後ろを振り向いたが、その時にはもうレギュラス・ブラックの姿は消えていた。


*****


 両親との合流場所は汽車最後尾だった。子供たちの姿を認めると、ジェームズはパッと大きく手を振った。

「全く、どこをほっつき歩いてたんだ? 入学前からこんな調子じゃ、ホグワーツ一の問題児になること請け合いだ!」
「言葉と態度が合ってないわ。この子達を悪戯仕掛人の後釜にするつもりじゃないでしょうね?」

 嬉しそうにヒクヒク口元を動かすジェームズをリリーがジトリと睨む。

「ジェームズに気づかれずに離れたなんてなかなかの手腕だ。将来は有望だぞ、リリー」
「全く嬉しくないわ」

 黙っていなくなったことによっぽどお怒りらしい。ことの経緯を説明し、素直に謝れば、リリーはすんなり許してくれた。どうやら、茶化すばかりであまり心配してくれなかった男性陣に対して怒っていたらしい。

 お冠の妻に命じられてジェームズが汽車にトランクを入れている間、リリーは双子の前に屈んだ。

「ハリー、ハリエット。ちゃんと手紙を書くのよ? 校則は守って、きちんとお勉強すること」
「はあい」
「金曜日に、ハグリッドから夕食に招待されているのを忘れちゃ駄目よ。ピーブズには気をつけること――」
「スリザリンもだ」

 コンパートメントにトランクを詰め終え、ジェームズが戻ってきた。

「スリザリンには性根が腐ってる奴が多い。間違っても近づこうなんてしちゃ駄目だぞ」
「はあい」
「それから、ハリー。男同士、君には言っておかなければならないことがある」

 急に真面目くさった顔で、ジェームズとシリウスはハリーを少し離れた所に呼び寄せた。彼らが――特にジェームズが――こういう顔をするときは、大抵くだらない内容なので、リリーはまたかと呆れた顔をして見送った。

 ハリエットの方をチラリと見ながら、ジェームズは囁いた。

「ハリー、いいか。ハリエットとマルフォイの息子が仲良くなるを阻止するんだ。あの二人が話をしようものなら、すぐに阻止するんだ」
「どうしてそんなに二人のことを気にするの?」

 ハリーは純粋に聞き返した。

「マルフォイがやな奴だってことは、ハリエットだって分かってる。あいつは母さんのことを侮辱したんだ。言われなくたって近づかないよ。なのにどうして? マルフォイの何をそんなに心配してるの?」

 核心を突く質問に、ジェームズは顔を顰めた。我が息子ながら、ハリーは時々恐ろしいくらい鋭くなることがある。

 ジェームズは顰めっ面をしながら、何とかそれらしい言い訳を考える。

「お前も分かってるだろうが――ハリエットは大変にお人好しだ。あんな奴にでも情けをかけて、それであいつの方がハリエットに気を寄せることもあるかもしれないだろう? ハリエットとあいつが仲良くする所なんて、パパ、想像しただけでも箒から落ちてしまいそうだ」
「うん……まあ、とにかく分かったよ。ハリエットがあいつを気にかけないようにすればいいんだね?」
「そういうことだ!」

 ジェームズは破顔し、ハリーを抱き締めた。苦しそうな声が息子の口から漏れ出る。

「ああ、ハリー、君はなんて良いお兄ちゃんなんだ! 頼んだぞ? どう頑張ってもパパはホグワーツには行けない……ホグワーツにいる間、ハリエットを守れるのはハリーだけなんだ!」
「分かった、分かったから……」
「それと、リリーの前では言えなかったけど、魔法薬学のスネイプには気をつけるんだ。きっとあいつには目をつけられるだろうが、挫けるんじゃないぞ。何かあればパパに言うんだ。すぐにあいつに吠えメールを送ってやるから――」

 ジェームズの心配性はいつものことなので、ハリーは話半分に聞き流していた。適当に頷きながら、ハリーは父をハリエットたちの方まで引っ張ってきた。ご苦労様、とリリーは視線だけで息子を労った。

「じゃあハリー、ハリエット。しばらくお別れね」
「毎日だって手紙を送ってきてもいいんだからね! パパも毎日返信するよ!」
「毎日はちょっと……」
「寂しくなったら、お父さん達がくれたテディベアに話しかけるわ」

 ハリエットは腕に抱えていたテディベアを掲げてにっこり笑った。抱きついても余る程大きかったテディベアは、今はジェームズの縮小魔法により、普通サイズになっていた。

「うん、それがいい! 悩み事があればその子に話しかけるといい。ちゃんと相談に乗ってくれる」
「本当?」
「ほら、二人とももう行かないと。乗り遅れちゃうわ」

 発射の合図である汽笛が鳴っていた。リリーに急かされるようにしてハリーとハリエットはコンパートメントに乗り込み、そして急いで窓を開けた。

「ハリー、ハリエット、身体に気をつけて」
「絶対に手紙を送るんだよ! 待ってるからね!」
「行ってきます!」

 両親にうり二つの双子は、元気よく手を振った。その姿が小さくなって、やがて見えなくなってしまうまで、ずっと降り続けていた。