■繋がる未来―賢者の石―

08:ドタバタ列車


 汽車が出発してしばらく、トントンとコンパートメントの戸がノックされた。ハリーが返事をすると、戸が開いた。

「ここ、空いてる?」

 そう気恥ずかしそうに尋ねたのは、キングズ・クロス駅で会ったロン・ウィーズリーだ。ハリーは勢いよく頷いた。

「もちろん! どうぞ」
「ありがとう」

 ロンはハリーの隣に座った後、そわそわと落ち着かない様子でコンパートメントの中を見回した。特に目のつくものは何もないというのに、明らかに彼は緊張しており、そしてそれはハリーたちにも伝染した。

「おい、ロン」

 唐突にコンパートメントの戸が開いた。そこから顔を出したのは、互いにそっくりな二つの顔だ。

「俺たち、リー・ジョーダンの所に行くぜ。でっかいタランチュラを持ってるらしい」
「誰かと思えば、君たちさっき会ったよな?」
「君はジェームズ・ポッターにキスされてた女の子」
「そして君は『守られた男の子』」

 赤毛の少年達は代わりばんこに話した。まさに息ピッタリだ。

「パパに紹介はされてたけど、まあ面と向かっては初めてだよな。俺はフレッド・ウィーズリー。こっちはジョージだ」
「双子のよしみだ。何か困ったことがあったら言ってくれ」
「じゃあな」

 ヒラヒラ手を振って、フレッドとジョージは出て行った。まるで嵐が訪れたかのようだ。

「あー……えっと」

 コホン、とロンが咳払いをした。

「あの、君たちのパパ、本当にジェームズ・ポッター? あのアップルビー・アローズのチェイサーの?」
「そうだよ」

 ハリーは得意げに答えた。ロンはパッと喜色を浮かべる。

「すごいや! ああ、やっぱり握手してもらえば良かった……だって、まさかあんな所で会うなんて思いも寄らなかったから……」
「君もクィディッチが好きなの?」
「大好きさ! 僕の贔屓はチャドリー・キャノンズなんだけど、でも、アップルビー・アローズもいいよね。凄腕のチェイサーが揃ってて、見応えがあるんだ……。シーカー頼みじゃないっていうか――」

 それから、男の子二人が打ち解けるのは早かった。ハリエットも、父がクィディッチ・チームのチェイサーなので、クィディッチは好きだ。だが、どのチームに誰がいて、どのチームが強くて、なんて専門的な話になると、そこまでは興味が広がらないので、ただニコニコと二人の話を聞くだけに留めた。やがて、車内販売魔女がやって来た。

 ハリーとハリエットは、車内でお菓子を買いなさいとお小遣いをもらっていたので、蛙チョコや大鍋ケーキを買い、ロンと一緒に食べることにした。

「アグリッパのカードがまだないんだ。もしカード集めてないんだったら、僕にくれると嬉しいな」
「アルバス・ダンブルドアだ……。もう持ってるの?」
「ああ、残念だな。ダンブルドアはたくさん持ってるんだ……」
「じゃあハリー、それちょうだい。私まだ一枚しか持ってないの」

 和やかにお菓子パーティーを繰り広げていると、やがて再び戸がノックされ、そこから半泣きの少年が顔を出した。

「あの……僕の蛙を見なかった? トレバーって言うんだけど、逃げ出しちゃって……」
「蛙? 見てないよ」

 ハリーは首を振った。

「見つけたら教えてあげる。きっと見つかるよ」
「ありがとう……」
「もし良かったら、私も探しましょうか?」

 ハリエットは立ち上がった。丁度お腹も膨れて、座ってばかりのホグワーツ特急に少し飽きていた頃だった。

「いいの!?」
「ええ。どんな蛙なの?」
「ヒキガエルだよ。このくらいの大きさの。でもすぐに逃げるんだ。気をつけてね」
「分かったわ」

 ハリーとロンに挨拶をして、二人はコンパートメントを出た。ネビルはおずおずとハリエットを見る。

「ありがとう。折角お父さんが買ってくれたのに、入学初日に逃がしたなんて言えないから本当に助かるよ。僕、ネビル・ロングボトムって言うんだ」
「ハリエット・ポッターよ。よろしく」

 二人は握手をし、小さく微笑み合った。

「もう一人、女の子もトレバー探しを手伝ってくれてるんだ。どこかで会うかも。その子は汽車の前から探してくれてて……」
「じゃあ、私、真ん中くらいから先頭に向かって進むわ。その子と会ったら、またここに戻ってくる」
「ありがとう」

 ハリエットは、僅かながらに揺れる通路を中程まで進んだ。丁度フレッドとジョージか騒いでいるコンパートメントを見つけたので、そこから声をかけていくことにした。

「突然ごめんなさい。ヒキガエルを見なかった? 友達のペットがいなくなっちゃって」
「ヒキガエル? 今の時代、蛙をペットにしてる奴なんか希少価値だぜ?」

 フレッドはジョージと顔を見合わせた。ハリエットはむっとして唇を尖らせる。

「でも、ネビルにとっては大切なペットなの。見なかった?」
「見てないよ。きっとこのコンパートメントには絶対に来ないだろうな。なんたって――」

 ドレッドヘアーの男の子が、大きな箱をずいっとハリエットの目の前に突き出した。

「な、なに?」
「開けてごらん」

 ニヤニヤとフレッドとジョージが笑う。何となく嫌な予感がした。だが、ハリエットはまだ十一歳。おまけに子煩悩のジェームズに大切に大切に育てられた女の子だ。この頃は、まだ人を疑うということを知らなかった――。

 素直に箱を開けたハリエットは、けたたましい叫び声を上げて腰を抜かした。そこにいたのは、ぞわぞわと箱の中を這いずり回る、大きなタランチュラだったからだ!

「あははっ! ナイスな反応だ!」
「これぞ我々が求めていた反応……」
「早くどこかへやって! 私――あっ!」

 タランチュラが、ハリエットのすぐ側に落下してきた。それが己の手のすぐ近くだったものだから、余計にハリエットは半泣きになって叫ぶ。反射的に直視してしまったそのタランチュラは、どう見ても自分の手のひらよりも大きかった!

「やっ――早く、向こうに!」
「はいはい、お姫様。ちょーっと大人しくしてろよ。お前は可愛いが、お嬢ちゃんのお気に召さないらしい」

 フレッドは囀るように口笛を吹きながら、タランチュラに手を伸ばした。だが、タランチュラは、その手をうまいこと掻い潜り、ハリエットのスカートの上に乗る。

「あっ」
「いやあっ!」

 尻餅をついたまま、ハリエットはズサッと後ずさった。腰が抜けて、立ち上がることなど不可能だった。だが、ハリエットの上に乗ったままのタランチュラは、もちろんハリエットと共に移動する。ハリエットはついに泣き出した。

「早く……早くどっかにやって!」
「一体何事だ?」

 この騒ぎに、コンパートメントからチラホラ顔を出す生徒たちがいた。その中に、赤毛の生徒もいた。胸元に監督生バッジが煌めいている。

「フレッド、ジョージ! またお前たちか!? 新入生の女の子をいじめてどうする! また母さんに吠えメールを送りつけられたいか?」
「パーシー、人聞きの悪いことを言わないでくれ。俺たちは何もいじめようなんて思ってないさ。ほら、見てくれ。ちゃんとタランチュラだって回収してあげるさ――」

 ジョージはガシッとタランチュラを掴んだ。己を掴む手からもがれようと、毛の生えた八本もの足が目の前で蠢いているのを見、ハリエットはもう限界だった。

 何とかふにゃふにゃの腰に鞭打ち立ち上がり、ハリエットは丁度タイミング良く戸が開いた向かいのコンパートメントに飛び込んだ。

「お前、急に――」

 戸をしっかり閉めただけでは飽き足らず、もしかしてタランチュラを捕まえたフレッドとジョージが追ってくるのではないかと、ハリエットは本能的に後ずさった。しかしすぐ、窮屈に投げ出されていたまるまると太った足に躓き、ハリエットはぐらりと体勢を崩した。そうして仰向けに倒れ込んだ先は――誰かの膝の上だった。

 ハシバミ色の瞳と、グレーの瞳が交錯する。

 一瞬にも永遠にも思える時間、二人は見つめ合った。ハリエットの頭は混乱していて、相手が誰か認識するのに時間がかかったし、相手も相手で、突然自分に向かって倒れ込んできた少女に虚を突かれている様子だった。

「マルフォイ?」

 もごもごと話す向かい側の少年の声に、ようやくドラコは我に返った。丸く見開かれた目が細くなり、険が宿った。

「お前、僕たちのコンパートメントに何の用だ? それに、外が騒がしい。厄介ごとを持ってきた訳じゃないだろうな? さっさとその重い身体を退けて出て行ってくれると有り難いんだが――」

 彼の言葉の途中で、ガラガラと戸が開いた。ハリエットはヒッと喉の奥で悲鳴を上げ、無意識のうちにドラコのローブを握りしめる。

「おい、止めろ。皺になるだろう――」
「君は確か、ハリエット・ポッターだったね?」

 そこから現れたのは、タランチュラを手にニヤニヤ笑う赤毛の双子――ではなく、制服をきっちり着こなした、几帳面な赤毛の男子生徒だった。。

「フレッドとジョージがすまない。あいつらは、僕たちでも手を焼くぐらい悪戯っ子でね。怖がらせて悪かった」

 パーシーが指し示す方を見ると、向かいのコンパートメントの窓から、すまなさそうにフレッドとジョージがこちらを見つめていた。パーシーは杖を持っていたので、もしかしたら彼によって閉じ込められたのかもしれない。

「あの二人には、僕がきっちりお灸を据えておくから……セドリック、この子を頼めるかい? コンパートメントまで送ってあげてほしい。他の監督生は皆出払ってて……」
「もちろんだよ」

 パーシーが出て行くと、代わりにカナリアイエローの裏地のローブを纏った男子生徒が現れた。彼は膝を折り、わざわざハリエットの目線まで合わせる。

「歩けるかい? 僕と一緒行こう」

 ハリエットはこっくり頷き、ようやくドラコの膝の上から立ち上がった。

「君たちも、騒がしくしてごめんね。新入生だよね? 入学おめでとう」
「ふん」

 ドラコは鼻を鳴らしてふんぞり返った。ようやくハリエットも彼の存在を思い出した。

「突然ごめんなさい……」

 くるりと振り返り、ドラコと、そしてもう二人、彼と同じコンパートメントにいた少年二人に頭を下げた。その後は、逃げるように外に出た。

 もはや、ヒキガエル探しどころではなかった。ハリエットはグスグス鼻をすすりながら、セドリックに手を引かれてハリーたちのコンパートメントに戻ってきた。

「ハリエット!?」

 涙ぐんでいて、髪も服もぐしゃぐしゃ――そんな状態の妹を見て、ハリーが慌てない訳なかった。

「一体どうしたの!?」
「フレッドとジョージ――グリフィンドールのお騒がせな双子さ」

 懐から砂糖羽根ペンを取りだし、セドリックはハリエットの手に握らせながら言った。

「二人、この子にタランチュラをけしかけたんだ。急に大きな毒蜘蛛が自分の上に乗ってきて、この子は大パニックさ」
「うわあ……それはごめん」

 タランチュラと聞いて、ロンは顔を真っ青にさせて謝った。聞けば、彼も蜘蛛は大の苦手なのだという。

「じゃあ、僕はもう行くよ。三人とも、入学おめでとう」
「あの……ありがとうございました」

 まだ赤い目のまま、ハリエットはおずおず頭を下げた。セドリックと呼ばれた青年は、軽く手を振って去って行った。