■謎のプリンス

09:勇気を出して


 クリスマスが近づいてくると、廊下には大きなヤドリギの固まりが一定間隔を置いて吊り下げられた。ヤドリギの下にはハリーが通りかかるたびに大勢の女の子が群れをなして集まってきて、廊下が渋滞した。

 そのため、ハリーはしょっちゅう遠回りをしなければならなかったが、ロンは機嫌が良いままハリーについていった。どうやら、ラベンダーと恋人になったため、ハリーの人気ぶりにも嫉妬せずに余裕を持って対応できているようだ。

 だが、相変わらずロンとハーマイオニーの仲は最低と言えるくらいまで冷え切っていて、スキャバーズとクルックシャンクスの事件以来、またしても親友の危機的状況をハリーとハリエットは味わうこととなった。

 ロンが談話室にいるときは、大体ラベンダーと一緒なので、ハーマイオニーは滅多に談話室に来なかった。そのため、ハリーとハリエットとあわせて三人で顔を合わせるのは、もっぱら図書室くらいだった。

 ハリエットはそこで、ロンが辛く当たるきっかけになった理由をハーマイオニーに伝えた。すると、ハーマイオニーはスッキリしたようだったが、余計に彼女は怒った。

「誰とキスしようが、全く自由よ。私だって全く気にしないわ」

 そう言いながらも、ハーマイオニーは羊皮紙に強く羽根ペンを押しつけるので、羊皮紙は破れてしまった。

「ところで、ハリー。気をつけないと」
「何が?」
「ここに来る前に女子トイレに行ったら、そこに十人くらい女子が集まっていたの。あのロミルダ・ベインもいたわ。あなたに気づかれずに惚れ薬を盛る方法を話していたの。全員があなたにスラグホーンのパーティに連れて行って欲しいと思っていて、皆がフレッドとジョージの店から愛の妙薬を買ったみたい」
「なら、どうして取り上げなかったんだ?」

 ハリーは恨みがましい声で詰め寄った。

「あの人達、トイレでは薬を持っていなかったのよ。早く一緒に行く人を見つけた方が良いわ」
「誰も招きたい人がいない」

 ハリーは静かに言った。嫌な気持ちを振り払うように、ハリーはハリエットに視線をやった。

「ハリエットは誰と行くの?」
「私? ああ……まあ」

 パーティのことをすっかり失念していたハリエットは濁した。

「まあ、そうね。行ってみてからのお楽しみ?」
「なんだよそれ。本当に一緒に行く人いるの?」
「……ええ、まあね」

 視線をあちらこちらに移動させて言うので、二人にはバレバレだったかもしれない。

 宿題も終わり、三人は談話室に戻った。肖像画の穴から出てきた途端、ロミルダ・ベインが言った。

「あら、ハリー。ギリーウォーターはいかが?」

 ハリエットの隣で、ハーマイオニーがほらね、という顔をした。

「いらない。あんまり好きじゃないんだ」
「じゃ、とにかくこっちを受け取って。大鍋チョコレート。ファイア・ウイスキー入りなの。お婆さんが送ってくれたんだけど、私好きじゃないから」
「ああ……ありがとう。じゃあ僕、ちょっとあっちへ、ハリエットの所に……」

 ハリーの声が先細りになり、慌ててハリエット達の後ろにくっついてその場を離れた。その行動が何だか小動物のように見えて、ハリエットはクスクス笑った。

「言ったとおりでしょ。早く誰かに申し込めば、それだけ早く皆があなたを解放して、あなたは――」

 突然ハーマイオニーの顔が無表情になった。ロンとラベンダーが一つの肘掛け椅子でイチャイチャしているのを目にしたのだ。

「じゃあ、二人ともおやすみなさい」

 ハーマイオニーはさっさと寝室に戻っていった。

「僕ももう寝室に行こうかな」

 ハリーが欠伸をしたので、ハリエットは慌てて引き留めた。

「えっ、あ、じゃあ透明マント貸して」
「何に使うの?」
「シリウスと話して来ようと思って」
「こんな時間に?」

 もう少しで消灯時間だった。ハリエットはこくこくっと頷く。

「おやすみの挨拶をするだけよ。ラベンダー達がいたらできないから」
「分かった分かった。持ってくるからちょっと待ってて」

 ハリーから透明マントを受け取り、ハリエットは寮を出た。就寝時間には戻るつもりだが、何があるか分からない。

 寮を出てすぐ近くの空き教室に入り、ハリエットは立ち並ぶ椅子のうちの一つに腰掛けた。

「シリウス?」

 鏡に呼びかけると、しばらく間をおいて、シリウスが顔を覗かせた。

「やあ、ハリエット。まだ起きてるのか?」
「失礼ね、私こんな時間に寝るほど子供じゃないわ。シリウスは何してたの?」
「さっきまでトンクスと話していた。騎士団のことについて。もう帰ったが」
「こんな時間に? 忙しいのね」
「今は死喰い人の動きも活発化しているからな。ハリエットも、ホグズミードに行くときは注意した方が良い。トンクスが警備してるから、何かあったら言うんだぞ」
「分かったわ」

 ハリエットは、一瞬ケイティと呪われたネックレスのことについて話そうかと思ったが、結局止めた。ハリーが話しているかもしれないし、いたずらにシリウスを心配させるのもよくないと思った。

「そう言えば、一つ不思議に思っていることがあるんだけど」
「なんだ?」
「守護霊って、変化することがあるの? 時間が経つと違う動物に変わることもあるの?」
「ああ……」

 シリウスは考え込むような顔をした。

「強い衝撃や精神的な動揺で守護霊の形が変わることはある。稀なことだが」
「衝撃……?」

 ハリエットは首を捻った。守護霊の形が変わるなんて、元々の守護霊の動物が嫌いになったか、もしくはより好きになった動物がいたかとしか想像がつかなかった。

 狼、狼……。

 ハリエットの頭に一番に浮かんだのはルーピンだった。彼の守護霊も狼だという。

「……えっ」

 突然ハリエットが動揺の声を上げたので、シリウスは目を丸くした。

「どうしたんだ?」
「あ……ううん」

 もし――もしもだが、トンクスの守護霊が変化した理由が、ハリエットの守護霊がスナッフルであることと一緒ならば。

 もしかしたら、ハリエットはとんでもないことに気づいてしまったのかもしれない。

「あー、うん、そうそう! もう一つ聞きたいことがあったの!」

 ハリエットは慌てて話題を変えることにした。最近そういった恋愛事情を聞くことが多く、正直なところ、ハリエットの頭はパンクしそうなのだ。シリウスと話すときくらいは、気兼ねない話題を話そうと思っていた。

「シリウスの守護霊が何かって疑問でね」
「ああ、それなら――」
「あっ、待って!」

 ハリエットは慌てて制止した。

「その前に聞きたいんだけど、シリウスも守護霊に伝言を持たせることができるの?」
「ああ、もちろん。団員はほとんどできるな」
「じゃあ、私のいるところにも送れる? 私、直接シリウスの守護霊が見てみたいの!」

 ハリエットがキラキラした瞳でシリウスを見れば、彼は仕方ないな、という顔で笑った。

「周りに人はいないだろうな?」
「ええ、もちろん!」
「エクスペクト パトローナム」

 鏡の向こうでシリウスが呪文を唱えた。ハリエットは鏡を見ないようにしてしばらく待った。

 やがて、教室の天井から何かがスタッと降りてきた。銀色の動物だ。彼はハリエットの目の前の机の上に着地した。

「一目瞭然だろう?」

 銀色の動物からシリウスの声がした。

「犬ね!」

 ハリエットが鑑を見ると、シリウスは嬉しそうに頷いた。

「可愛い! 私と一緒ね。アニメーガスができる人は、その動物が守護霊になるの?」
「ああ、そういう人もいるだろうな。ジェームズもどちらも牡鹿だった」
「私もアニメーガスを習得したら、犬になるのかしら」
「どうだろうな。ハリエットはどちらかというと小動物に変化しそうだが」
「私のこと子供扱いしてる?」
「いやいや、滅相もない」

 シリウスは苦笑いを浮かべた。ハリエットはもっと追求したかったが、他に気になることがあったので渋々引き下がった。

「シリウス、守護霊に伝言を送らせるのって、結構難しいの?」
「そうだな……大体一月か二月くらいはかかるかもしれない」
「もし……もしもね? 私がそれを習いたいって言ったら、シリウス、教えてくれる?」
「それは構わないが……理由を聞いても?」
「これといった理由じゃないんだけど……」

 笑われたらどうしよう、とハリエットは少し落ち着かなくなった。

「この前、ハリーから予言のことを聞いたでしょう? 私達、あと一年で成人するし、そうなったら、騎士団に入れる年齢になるわ。だから……ハリーと一緒にヴォルデモートと戦うためにも、私にできることはしたいな……と思って」

 実際問題、ハリエットに戦闘力があるかどうかは怪しい。神秘部では何とか食らいついていたが、普段のハリエットは気弱で、反射神経も悪く、今後死喰い人と戦うことになっても、足手まといになる可能性が高い。それでも、ハリーと一緒に戦うと決めたからには――できることがしたかった。

「分かった。それならわたしも全力を挙げて手伝おう」
「本当?」
「もちろんだとも」
「じゃあ早速――」
「ハリエット、消灯時間というものをお忘れじゃないかね?」

 シリウスに言われて、ハリエットははたと気づいた。慌てて教室の中を見回すと、確かに消灯時間を三十分以上も過ぎていた。

「わたしもジェームズも、学生の頃はよく夜更かしをしたものだが……女の子にそんなことをさせたらリリーに怒られそうだ」
「じゃあ、また今度教えてくれる?」
「もちろんだとも」
「ハリーには内緒にしててね? ちゃんとできるようになってから自慢したいの」
「分かった分かった」
「おやすみなさい」
「おやすみ」

 挨拶をすると、シリウスはいなくなった。ハリエットは鏡を大切そうに巾着にしまい、透明マントを被った。さすがに消灯時間を過ぎているのに、堂々と校内を歩く勇気はなかった。

 ドアに近づいたところで、外から慌ただしい足音が聞こえた。と同時に、ピーブズの声も響いてくる。

「あそこに悪い子が一人〜。八階の廊下をのこのこ歩いていあいつはだーれだ」

 突然ドアが乱暴に開いた。ハリエットは慌てて飛び退いた。スリザリンカラーのローブに、反射的に身体を強ばらせる。

「コロポータス!」

 聞き覚えのある声だった。扉を背に彼はその場に座り込んだ。

「……ドラコ?」

 ハリエットが思わず声をかければ、ドラコはパッと顔を上げて辺りを見回した。しかし、やがて疲れたようにまた顔を下に向ける。その時、ハリエットはようやく自分がマントを被っていることを思い出した。

「ご、ごめんなさい。ここよ。マントを被っていたの」

 ハリエットがマントを脱ぐと、ドラコは一瞬目を見開いてまじまじ彼女を見つめた。その視線は驚きと疑問が混じっていた。勝手にその視線を、消灯時間が過ぎているのにこんな所にいる自分を咎めているのだと判断してしまい、ハリエットは懐から鏡を取り出した。

「違うのよ。シリウスと話したかったの。でも時間を忘れてしまって――」
「呼んだか?」

 鏡を手にシリウスの名を呼んだので、彼はすぐさま鏡に姿を現した。

「あっ――違うわ! シリウス、さようなら!」

 勝手に呼んでおいて、ハリエットは勝手にさよならを告げた。シリウスの顔が素っ頓狂なものに変わる前に、ハリエットは鏡を巾着に戻した。自分の慌て振りが恥ずかしくて、ハリエットは苦笑いを浮かべる。

「……久しぶりね」

 そう挨拶したときには、もうドラコはハリエットのことを見ていなかった。

「あの……」

 気安く話しかけて、気を悪くしてしまっただろうか。

「この前のクィディッチの試合、病気で休んだって聞いたけど、大丈夫だった?」

 頑なにこちらを見ようともしない姿からは、早くここから出たいという雰囲気がひしひしと出ていた。ただ、その心境に反して、外は騒がしくなるばかりだ。

「おい、ピーブズ! 生徒はどっちに行った!?」
「知ーらない、知らない! 知りたかったら自分で調べな!」
「ピーブズ!」

 フィルチとピーブズの声だった。二つの声は一向にこの辺りから去らない。

「あの……」

 実質、今くらいしかドラコと話すチャンスがないとハリエットは判断し、勇気を出してまた話しかけた。

「スラグホーン先生って分かる? ――あっ、分かるわよね、普通……」

 自分でも何を言っているんだろう、とハリエットは思った。ひどく緊張していて軽く混乱もしていた。

「私、先生が開催するクリスマスパーティに呼ばれてるんだけど、一人お客様を連れて行かないといけないの。もし……もし良かったらなんだけど、一緒に行かない?」

 ただ誘うだけなのに、ハリエットの全身がカッカと熱を持つようだった。なぜこんなに緊張するのか自分でも分からない。ドラコとはここ最近ずっと疎遠だったからだろうか。それとも、断られるのが恐いからか。

 ハリエットが、ドラコから見て敵になるのは分かっている。ハリエット達のせいで、彼の父親がアズカバン送りになったと言っても過言ではないからだ。

 それでも、ハリエットは以前のようにドラコと話したかった。

「……何時に、どこでやるんだ」

 低い声で尋ね返され、ハリエットは逆に驚いてしまった。受ける、受けない以前に、無視されるものと思っていたからだ。

「八時半から、スラグホーン先生の部屋でやるの。結構夜遅くまでやるみたい。……どう?」
「分かった」

 降ってきた返事に、ハリエットは自分の口角が上がっていくのを止められなかった。

「ありがとう! じゃあ、玄関ホールに八時に待ち合わせでどう?」
「ああ」

 ハリエットは一歩ドラコに近づいた。今なら、もっと話ができると思ったのだ。しかし、ドラコはすぐに立ち上がり、『アロホモーラ』を唱えて出て行ってしまった。ずっと外を窺っていて、フィルチ達がいなくなるのを待っていたのだろう。少し悲しくなったが、これくらい訳ない。まさか一緒にパーティに行ってくれるなんて思いもしなかったのだ。

 一気に高揚した気分になったハリエットは、そのまま呑気に廊下に出て、危うくフィルチに見つかりそうになった。すんでのところでマントを被り直し、寝室へ向かった。