■謎のプリンス

20:緑の閃光


 ダンブルドアと共に任務を終えたハリーは、ホグワーツの上空に闇の印が上がっているのを目撃した。死喰い人の侵入を理解した二人は、急いで天文台の塔に降り立つ。

「セブルスを起こしてくるのじゃ。何があったかを話し、わしのところへ連れてくるのじゃ。他には何もするでないぞ。透明マントを脱がぬよう」
「でも――」
「わしに従うと誓ったはずじゃ、ハリー。行くのじゃ!」

 ハリーはマントを被り、螺旋階段の扉へ急いだ。しかしすぐに扉の内側から誰かが走ってくる足音が聞こえた。振り返ると、ダンブルドアは退却せよと身振りで示している。ハリーは杖を構えながら後ずさりした。扉が勢いよく開き、誰かが叫ぶ。

「エクスペリアームス!」

 途端にハリーは身体が硬直して動かなくなった。ハリーは何が何だか分からなかった。なぜ急に自分の身体が言うことを聞かなくなったのか――。

 ハリーの視界に、ダンブルドアの杖が弧を描いて防壁の橋を越えて飛んでいくのが見えた。ハリーはようやく事態を理解した。ダンブルドアが無言でハリーを動けなくしたのだ。そしてその一瞬のせいで、ダンブルドアは無防備になってしまった。

 武器を失いながらも、ダンブルドアは平静を失わなかった。恐怖も苦悩もない表情で、ただ自分と対峙している相手に声をかける。

「こんばんは、ドラコ」

 ドラコは素早く辺りに目を配りながら、二人きりかどうかを確かめた。ハリー達が乗ってきた箒に目を走らせる。

「他に誰かいるのか?」
「わしの方こそ聞きたい。君一人の行動かね?」
「違う。援軍がある。今夜この学校には死喰い人がいるんだ」
「ほう、ほう」

 ダンブルドアは鷹揚に頷いた。焦りなど微塵もなかった。

「君が連中を導き入れる方法を見つけたのかね?」
「そうだ」
「しかし……その連中は今どこにいるのかね? 君の援軍とやらはいないようだが」
「そっちの護衛に出くわしたんだ。下で戦ってる。僕は先に来たんだ。僕には……やらなくてはいけないことがある」
「それなら早速それに取りかからねばなるまいのう」

 ダンブルドアは両手を広げ、優しく言った。ドラコは杖を抱えたまま動かなかった。

「ドラコ……ドラコ、君に人は殺せぬ」
「分かるものか!」

 ドラコは力強く叫んだ。

「これまで僕がしてきたことだって知らないだろう!」
「いや、いや、知っておる。君はケイティ・ベルとロナルド・ウィーズリーを危うく殺すところじゃった。この一年間、君はわしを殺そうとしてだんだん自暴自棄になっていた。失礼じゃが、あまりに生半可なので、正直言うて君が本気なのかどうか、わしは疑うた……」
「本気だった! この一年、僕はずっと準備してきた。そして今夜――」
「そうじゃの。君は首尾良く死喰い人をこの学校に案内してきた。さすがにわしもそれは不可能じゃと思うておったのじゃが……どうやったのかね?」

 チラリと階段の後ろに目をやり、そしてドラコは語った。死喰い人が今よりももっと活発化していた時代に流行った、しばしの間身を隠すことのできる『姿をくらますキャビネット棚』が、ボージン・アンド・バークスの店と、ホグワーツの必要の部屋に、対となって存在していることに気づいたこと、キャビネットは壊れていたが、何とか修理をし、今夜、ボージン・アンド・バークスからホグワーツへと死喰い人を招き入れたこと。

「しかし、時には壊れているキャビネットを修理できないのではないかと思ったこともあったのじゃろうな? そこで粗雑で軽率な方法を使おうとしたのう。どう考えても他の者の手に渡ってしまうのに、呪われたネックレスをわしに送ってみたり、わしが飲む可能性はほとんどないのに、蜂蜜酒に毒を入れてみたり……」

 ダンブルドアは慰めるような優しい声を出した。

「ハリーが君のことを怪しんでおった。確信したのはおそらく蜂蜜酒の時じゃろう。自分にグラスが渡されると、君は驚いたようにグラスを払い避けたという。毒が入っているのだと知っておるのだからそれも当然じゃのう。しかしわしが気になったのはそこではない。どうしてあのときスラグホーン先生の部屋にいたのかね?」
「…………」
「途中で怖じ気づいたのかね?」
「違う!」
「ケイティ・ベルは聖マンゴへ入院となった。罪なき人を巻き込むことを恐れたのかね?」
「あれは!」

 ドラコは真っ青になって頭を掻きむしった。

「クリスマスに贈ると言っていたのに、あいつがなかなか送らないから――」

 もしかして、誰かの他の人の手に渡ったんじゃないかと、そう思ったから――。

「心配になったんじゃな?」

 ダンブルドアが優しく後を引き継いだ。

「他の人を巻き込むことを恐れたんじゃな?」
「違う!」

 軟弱者と言われるのを恐れているかのように、ドラコは激しく頭を振った。

「うるさい、黙れ! 僕が何をしてるのか、分からなかったくせに!」
「実は分かっておった。君に間違いないと思っておった」
「じゃ、なぜ止めなかった?」
「そうしようとしたのじゃよ、ドラコ。スネイプ先生がわしの命を受けて、君を見張っておった――」
「あいつは校長の命令で動いていたんじゃない。僕の母上と約束して――」
「もちろん、ドラコ、スネイプ先生は君にはそう言うじゃろう。しかし――」
「あいつは二重スパイだ。あいつは校長のために働いてたんじゃない」
「その点は意見が違うと認め合わねばならぬのう、ドラコ。わしはスネイプ先生を信じておるのじゃ」
「それじゃ、あんたには事態が分かってないってことだ。あいつは僕を助けたいと散々持ちかけてきた――全部自分の手柄にしたかったんだ――だけど僕は必要の部屋で何をしているのか、あいつには教えなかった。明日あいつが目を覚ましたときには全部終わってるんだ」
「――して、ドラコ。たとえそうだとして、既に数分という長い時間が経ったが、君はいつ行動を起こすのかね? わしを殺すということについては、わしは今丸腰じゃし、君が夢にも思わなかったほど無防備じゃ。にもかかわらず、君は行動しようとはせなんだ」

 ドラコが怯んだのが分かった。

「無垢な者にとって、人を殺すことは思いのほか難しいものじゃ」
「見くびるな!」

 ドラコは一層腕を前に突き出した。しかしその手は震えている。

「わしが君には人を殺せないと思うと同じように、君を信じている者がおる。彼女はいつも君を心配しておった」
「黙れ!」
「誰か、とは聞かぬのじゃな。君もよく分かっているんじゃな?」

 血の気を失ったドラコの顔は、もはや真っ白だった。唇だけが青ざめている。

「君の闇の印を目撃した後、彼女はわしの下にやってきた。君のために自分に何ができるのかと、自分自身に問いかけていたんじゃ。彼女はこうも言っておった。『ドラコはヴォルデモートに両親を人質に取られているんだと』。そうじゃな? ドラコ。君は非常に親思いじゃ。ご両親の命を盾にされて、己の使命を拒めなかったのじゃな?」
「違う……違う!」
「いずれにせよ、時間がない。君の選択肢を話し合おうぞ、ドラコ」
「僕には選択肢なんかない! 僕はお前を殺す!」
「ドラコよ、わしを殺すつもりなら、最初にわしを武装解除したときにそうしていたじゃろう」
「僕はやらなけれはならないんだ! じゃないと家族は皆殺しにされる!」
「君の難しい立場はよく分かる。わしが今まで君に対抗しなかった理由がそれ以外にあると思うかね? わしが君を疑っていると、ヴォルデモート卿に気づかれてしまえば、君は殺されてしまうとわしには分かっておったのじゃ。……君に与えられた任務のことは知っておったが、それについて君と話をすることはできなんだ。あの者が君に対して再び開心術を使うかもしれぬからのう」
「な、なんで……」

 ドラコの肩が動揺したように揺れる。ダンブルドアは微笑んだ。

「君の努力はよく分かっているつもりじゃよ。……そして今、ようやくお互いに率直な話ができる。君はまだ誰も傷つけてはいない。幸運なことではあったが……。ドラコ、わしが君を助けてしんぜよう」
「できない……できるわけがない。あの人が僕にやれと命じた。やらなければ殺される。僕には他に道がない」
「ドラコ、我々の側に来るのじゃ。我々は君の想像もつかぬほど完璧に、君を匿うことができるのじゃ。その上、わしが今夜騎士団の者を母上の下に遣わして、母上をも匿うことができる。父上の方は、今のところアズカバンにいて安全じゃ。時が来れば保護しよう。正しい方につくのじゃ、ドラコ……君は殺人者ではない。君を心から心配する者のためにも、勇気を出すのじゃ」

 ドラコは目を逸らした。

「――四年前、秘密の部屋の事件が起こったとき、わしが君になんと言ったか覚えておるかね?」

 ダンブルドアは一歩近づいた。

「後はほんの少し、勇気を振り絞るだけじゃ」

 縋るような目がダンブルドアに向けられた。唇は震え、涙が頬を伝い、そして杖は――下がっていた。ドラコはもう、ダンブルドアに杖を向けてはいなかった。

 しかし、突然階段を踏み鳴らして駆け上がってくる音がした。ダンブルドアは険しい表情に戻る。

「ドラコ、もう時間がない。よく聞くのじゃ。スネイプ先生の言うことをよく聞くのじゃ。心を誰にも操られてはいかん。スネイプ先生の下から離れてはいかん――」
「ダンブルドアを追い詰めたぞ!」

 ドアを蹴破り、誰かが入ってきた。黒いローブを羽織った四人の侵入者だ。

「ダンブルドアには杖がない。一人だ! よくやった、ドラコ!」
「こんばんは、アミカス。それにアレクトもおいでくだされた……」

 女は怒ったように小さく忍び笑いをした。

「死の床で冗談を言えば助かると思っているのか?」
「冗談とな? いや、いや、礼儀というものじゃ」
「やれ」

 ハリーの一番近くに立っていた、大柄で手足の長い男が言った。動物のような口ひげが生えている。汚らしい両手に長い黄ばんだ爪が伸びている。

「フェンリールじゃな?」
「その通りだ。ダンブルドア、俺が子供好きだということを知っているだろうな」
「今では満月を待たずに襲っているということかな? 異常なことじゃ……毎月一度では満足できぬほど、人肉が好きになったのか?」
「その通りだ」

 グレイバックはニヤニヤ笑った。

「ダンブルドア、俺はホグワーツへの旅行を逃すようなことはしない。食い破る喉がたくさん待っているというのに……。ひとまずはお前をデザートにいただこうか、ダンブルドア」
「駄目だ。我々は命令を受けている。ドラコがやらねばならない。さあ、ドラコ、急げ」

 四人目の男が言った。ドラコは一層気が挫け、怯えた目でダンブルドアの顔を見つめていた。

「できない……僕にはできない……」
「なんてざまだ――父親がアズカバンで泣いてるぞ!」
「俺がやる」

 グレイバックが両手を突き出し、牙を剥いて唸りながらダンブルドアに向かって言った。

「駄目だと言ったはずだ!」

 野蛮な顔の男が叫んだ。閃光が走り、狼男が吹き飛ばされる。

「ドラコ、やるんだよ。さもなきゃお退き。代わりに誰かが――」

 女が甲高く叫んだとき、屋上への扉が再びパッと開き、スネイプが杖を引っさげて現れた。暗い目が素早く辺りを見回し、防壁に力なく寄りかかっているダンブルドアから、怒り狂った狼男を含む四人の死喰い人、そしてドラコへと視線を滑らせる。

「スネイプ、困ったことになった。この坊主にはできそうもない――」

 ずんぐりしたアミカスが言った。

「セブルス……」

 その時、誰か他の声が、スネイプの名をひっそりと呼んだ。懇願するような声色だった。

 スネイプは無言で進み出て、荒々しくドラコを押しのけた。三人の死喰い人は一言も言わずに後ろに下がる。狼男でさえ怯えたように見えた。

 スネイプは一瞬、ダンブルドアを見つめた。その非情な顔の皺に、嫌悪と憎しみが刻まれていた。

「セブルス……頼む……」

 スネイプは杖を上げ、真っ直ぐにダンブルドアを狙った。

「アバダ ケダブラ!」

 緑の閃光がスネイプの杖先からほとばしり、狙い違わずダンブルドアの胸に当たった。ハリーの恐怖の叫びは、声にならなかった。ハリーは動くこともできず、ダンブルドアが空中に吹き飛ばされるのを見ているほかなかった。

 ダンブルドアは仰向けにゆっくりと、屋上の防壁の向こう側に落ちて、姿が見えなくなった。