■死の秘宝
11:行き着く先は
銀色のオオヤマネコが消えて初めてハリエットは杖を抜いた。他の招待客達も、何が何だか分からない様子で顔をあちこちに向けている。守護霊が着地した場所から周囲へは、沈黙が冷たい波になって広がっていった。やがて、誰かが悲鳴を上げた。
客は蜘蛛の子を散らすように走り出し、大勢が姿くらましした。隠れ穴の周囲に施されていた保護呪文は既に破れていた。
誰かが誰かを探す声があちこち飛び交っていた。人々は右往左往し、ハリエットはすぐに人の波に埋もれた。
「ハリー!」
ハリエットは大きく叫んだ。
「シリウス!」
誰かの肩がぶつかり、ハリエットはよろめいた。何とか体勢を戻そうとしたが、慣れないヒールではそれも適わず、その場に転んだ。
「ハリエット!」
「ロン! ロン、どこなの?」
ハリーとハーマイオニーの声が聞こえた。
「ハリー、ハリー!」
ハリエットは呼び返したが、悲鳴や様々な閃光が飛び交う中、聞こえたかどうかは分からない。
誰かがふっと脇腹に手を置いた。そしてハリエットは、その誰かに支えられながら立ち上がった。
「ポッターを探そう」
「ドラコ?」
ハリエットの視界に飛び込んできたのはドラコの横顔だった。そのまま手を引かれて走り出す。
現場は混乱の真っ只中だった。次々に仮面を被ったマント姿が客の中に現れる。死喰い人が急に目の前に現れたときには肝が冷えた。ハリエット達が杖を構えるよりも早く、二人の前には巨大な盾が現れた。
「ハリエット! ハリーの所へ行け!」
シリウスの声がした。しかし、その姿を確認している暇は無かった。
「ハリエット、マルフォイ!」
ハーマイオニーがハリエット達に腕を伸ばしていた。ハリエットとドラコは、同時に彼女の手を掴んだ。その瞬間、ハリエットはハーマイオニーがその場で回転するのを感じた。周囲に暗闇が迫っていく――。
*****
「ここはどこだ?」
ロンの声に、ハリエットは目を開けた。結婚式の会場となっていた白いテントは消え去り、眼前には暗い広い通りがあった。
「トテナム・コート通りよ。歩いて、とにかく歩いて。どこか着替える場所を探さなくちゃ」
深夜だったが、通りには千鳥足の酔っ払いがたくさんいた。ハリエットやハーマイオニーはとにかく、ハリーとロン、ドラコはマグル界では珍しいドレスローブ姿だったため、通行人が三人を指さしてクスクス笑っている。
「ハーマイオニー、着替える服がないぜ」
「透明マントを肌身離さず持っているべきだったのに……」
ハリーとロンは消沈して言った。
ポリジュース薬の効果が抜け落ち、ハリーとドラコは元の姿に戻っていた。
だが、そんな二人に対し、ハーマイオニーは胸を反らした。
「大丈夫、マントは持ってきたし、服もあるわ」
五人は脇道に入り、そこから人目のない薄暗い横丁へ入っていった。
ハーマイオニーは手に持った小さなビーズのバッグを引っかき回した。そしてそこから、ジーンズ一着とTシャツ一枚、黒色のソックス、そして最後に銀色の透明マントを引っ張り出す。
「一体全体どうやって――」
「検知不可能拡大呪文。ちょっと難しいんだけど、でも私、上手くやったと思うわ。……着替えるのはロンだけで充分よ。ハリーとマルフォイは誰かに見られるといけないから、マントを被って。ハリエットは黒髪だから大丈夫よね」
「いつの間にこんなことをしたの?」
ロンがローブを脱いでいる間、ハリーが尋ねた。
「隠れ穴で言ったでしょう? もう随分前から重要なものは荷造りを済ませてあるって。急に逃げ出さなきゃいけないときのためにね。ハリー、あなたのリュックサックは今朝あなたが着替えを済ませた後で荷造りして、この中に入れたの。何だか予感がして……ほら、マルフォイも早くマントの中に入って」
「何というか……君がいてこそのこのメンバーだな」
ドラコはハリーの隣に収まりながら、何気なく言った。
ハーマイオニーは驚いて目を丸くし、そしてちょっと笑った。
「ありがとう」
「おい、それどういう意味だよ」
「そのままの意味だ」
ロンはドラコに噛みついたが、ドラコは飄々とした様子で受け流した。
「喧嘩は後々。今は私達がどうするか、よ」
「シリウス達、大丈夫かしら」
ハリエットは思わず不安を口にした。夏とはいえ深夜の風が冷たく身体を撫でていき、むき出しの腕は鳥肌が立った。
「大丈夫よ。キングズリーのおかげで迅速に逃げ出すことができたわ。騎士団の大多数もあそこにいたし、招待客だって皆逃げ出せたはずよ」
「ええ、そうね……」
五人は再び広い通りに出て、あてもなく歩き始めた。しかしすぐにハリエットの息は上がった。付き添い姿くらましで、体力が随分と消耗していた。
「ハリエット、大丈夫?」
足取りが重たくなってきたハリエットを見て、ハリーが小声で尋ねる。
「ええ……」
「どこかに座らない? ほとんど店は閉まってるけど」
「ごめんなさい……」
「まだ体調が万全じゃないんだから、仕方ないわ。それに、落ち着いた場所で作戦を練る必要があったから」
五人は、二十四時間営業の小さなカフェに入った。深夜ということもあってか、客は一人もいなかった。ボックス型のベンチ席に、ハリーとドラコがもたつきながら入り込み、ハーマイオニーとロンが向かいに、ハリエットはドラコの隣に腰掛けた。ハリエットの隣には奇妙に二人分の空間が空いているので、注文を聞きに来たウェイトレスには不可解な視線を送られた。
「ここから漏れ鍋まではそう遠くはないぜ」
「それはできないわ」
ロンの提案を、ハーマイオニーはすぐさま却下した。
「泊まるんじゃなくて、何が起こっているかを知るためだよ」
「どうなっているかは分かっているわ。ヴォルデモートが魔法省を乗っ取ったのよ。他に何を知る必要があるの?」
「ちょっとそう思っただけさ」
ピリピリしながら二人は黙り込んだ。
それからしばらく、注文したカプチーノを飲んでいると、新たにがっちりした労働者風の男が二人カフェに入ってきた。席はたくさん空いているのに、何故だか隣のボックス席に窮屈そうに腰を下ろした。
「あの二人、死喰い人だ」
何もない場所から囁き声がした。ドラコだ。
「ドロホフとソーフィン・ロウル」
「僕たちの後をつけてたのか? どうして見つかったんだ?」
「そんなこと今はどうだっていいわ。杖を構えて」
ハーマイオニーの低い声に、皆はそろりと動いた。
何気なく左手でティーカップを持ち上げながら、ハリエットもポケットから杖を抜き取った。緊張でカップを持つ手が震える。
やがてウェイトレスが隣の注文を聞きに来た。二人の男のうち、ブロンドでかなり大柄な方の男があっちへ行けとウェイトレスを手で追い払った。
「ウェイトレスが店の奥に入ったら動こう。いいね?」
ハリーの言葉に、皆は無言で頷いた。
ウェイトレスの足音がやけに店内に響いた。彼女はゆっくり店の奥へ行き、そしてキッチンへ続く扉の向こうに姿を消した――。
「エクスペリアームス!」
「ステューピファイ!」
二本の武装解除呪文、三本の失神呪文が男二人の胸に直撃した。ほんの一瞬の出来事だった。二人には何が何だか分かりもしなかっただろう。
「ああ、大丈夫かしら。確か、失神呪文が一斉に直撃すると死んでしまうこともあるのよね?」
驚くほどうまくいったので、ハリエットは逆に不安になってしまった。慌てて駆け寄ろうとしたが、ドラコに手を引かれ、すぐにその足は止まる。
まずロンとドラコが男二人に近寄り、完全に気を失っているかを確認した。落ちている杖を取り上げ、皆が二人の元に集まった。
「年寄りじゃないから大丈夫だろう。呼吸はあるみたいだ」
「入り口に鍵をかけよう。ロン、灯りを消して」
ハリエットはドアにコロポータスを唱え、ロンは火消しライターでカフェを暗くした。
「こいつら、どうする?」
「記憶を消すくらいで充分だ。連中はそれで僕たちを嗅ぎつけられなくなる」
「使ったことはないけど、私、忘却呪文の理論は知ってるわ」
我らがハーマイオニーが、『オブリビエイト』を唱え、たちまちドロホフの目がとろんとした。その後、ハーマイオニーはもう一人の男とウェイトレスにも忘却呪文をかけた。
ハリーとハリエットにはもう『臭い』はついていないにもかかわらず、ドロホフ達に居場所が突き止められた原因は分からなかったが、五人は一旦グリモールド・プレイスに移動することにした。スネイプが訪れる危険性はあったが、他に行く宛はなかったのだ。