■死の秘宝
16:バーテンダー
目を開けたとき、最初に視界に飛び込んできたのは、心配そうに眉をしかめるドラコの顔だった。すぐにハッとしてハリエットは起き上がる。頭がぶつかりそうだったので、ドラコは慌てて身を退けた。
「ドラコ……ここは?」
「ホッグズ・ヘッドだ。とりあえず今は安全らしい。僕たちを匿ってくれた人がいたんだ。僕もさっき目が覚めたばかりで、何が何だか分からないが……何があったか覚えてるか?」
違和感のある言い方に、ハリエットは不安げな顔になる。
「私……分からない。何も覚えてないの。厨房にいて、上で物音がしたから階段を上がったんだけど……そこから記憶がなくて」
まるで靄がかかったかのように、ハリエットの記憶はそこで途切れていた。記憶喪失にでもなったかのような気分だ。
「僕もだ。扉が開く音がしたから、誰かが来たのかと思って杖を抜いたのは覚えてる。でも、そこからは……」
「気がついたか」
開いていた扉から一人の男が入ってきた。針金色のパサついた長髪と髭により顔が覆われている。彼は眼鏡をかけており、レンズの奥には明るいブルーの目があった。どこかで見たことがあるような、とハリエットは記憶を探るが、なかなかそれらしい人物には行き当たらない。
「俺はアバーフォース・ダンブルドア。アルバスの弟だ」
「ダンブルドア先生の……」
よくよく見れば、確かにホッグズ・ヘッドで見かけたことのあるバーテンだ。
「助けていただいてありがとうございます。ハリエット・ポッターです」
「名前ならそこにいる奴に聞いた。俺はどうしてお前達が俺の店先で倒れていたについて知りたいがな」
「店先で……? 側に誰かいましたか?」
「誰も。夜間外出禁止令が張られる前だったから良かったものの、あと少し遅ければ俺ごとお前達はしょっぴかれることになっていたぞ」
ダンブルドアと違って少し乱暴な言葉遣いに、ハリエットは面食らった。
「あの……すみません。ご迷惑をおかけして」
「謝るくらいなら経緯を話せ。ここのことは誰かから聞いたのか?」
「いえ……まさかホッグズ・ヘッドのバーテンダーがダンブルドア先生の弟さんだなんて思いも寄りませんでした」
「俺は不死鳥の騎士団の一員だ。他の団員には滅多に会わんがな」
「そうだったんですね……」
言われてみれば、以前ムーディに見せてもらった写真の中で、簡単にだがダンブルドアの弟もメンバーだと教えてもらったような気がする。
「私達……えっと、ある屋敷に潜んでいたんですけど、そこの保護呪文を破って誰かが侵入したみたいなんです。たぶん気絶させられて、気づいたときには、もうここに……」
「忘却呪文を受けたんだと思います」
ドラコも付け加えた。アバーフォースは難しい顔で唸る。
「相手が誰かも分からないんだな?」
困ったようにハリエットは頷いた。
「はい。全く何も覚えてなくて……」
言いながら、ハリエットははたと思い出した。ハリー達がきっと心配している! それに、侵入者がいるのなら、帰ってきては駄目だと伝えなくては。
「すみません、私、無事だってことをハリーに知らせないと……あっ、でも鏡!」
ローブのポケットを探したが、鏡はどこにもない。守護霊で伝言を送るという方法もあるが、できれば顔を見て話したい。
「鏡なら、お前の側に落ちていたぞ。これか?」
アバーフォースが差し出したのは、間違いなく両面鏡だった。ハリエットはパッと顔を輝かせる。
「ありがとうございます! 私、ちょっとだけ失礼します」
ハリエットはベッドの上に座り直し、鏡を覗き込んだ。
「ハリー? ハリー、そこにいる? 私、ハリエットよ」
しばらく鏡から応答はなかった。だが、突然にゅっと鏡から顔を覗かせたのは、見紛うことのないハリーだった。
「ハリエット! 今すぐグリモールド・プレイスから離れるんだ! 保護呪文が破られた! 魔法省から逃げ出したときに、奴らに居場所がバレたんだ!」
ハリーは泣きそうな顔をしていた。ハリエットは笑みを零す。
「大丈夫、私達はどちらも無事よ。別の場所にいるの」
「大丈夫だった? 死喰い人は来なかった? 今どこにいるの?」
「私達も何が何だか分からないんだけど、ブラック邸に侵入者がやって来て、気絶させられたみたい。それで、気づいたらホッグズ・ヘッドにいたの。誰がやって来たのかは分からないわ。記憶がないの。忘却呪文を受けたみたいで」
「ホッグズ・ヘッド? どうしてそんな所に?」
「分からない。店先で倒れていたらしいの。私達を助けてくれたのは、アバーフォース・ダンブルドア。ダンブルドア先生の弟さんよ」
「えっ……」
ハリーは複雑そうな表情を見せた。このところ、日刊予言者新聞でダンブルドアについて様々な新しい情報を入手し、戸惑っているせいもあるのだろう。特にリータ・スキーターは好き勝手書いている。
「騎士団の団員でもあるらしいわ。とにかく、私達は無事だから安心して。ハリー達の方は大丈夫? 怪我はない?」
「うん。ハーマイオニーがいろいろ野宿のためのグッズを持ってきてくれてたんだ。食料は厳しいけど……」
「そう……そうよね。食べ物は魔法で出せないもの」
「あ、でもロケットは無事手に入れたよ!」
「そう! 良かったわ。これで一安心ね」
だが、すぐにシリウスのことを思い出した。シリウスが間違って屋敷に戻ってきてしまったら大変なことになる。屋敷はもう死喰い人の巣窟になっているかもしれないのに。
「私、シリウスにも伝言を送らないと。ごめんなさい、もう終わるわね。ハリー、本当に気をつけて。ロンとハーマイオニーにもよろしく」
「うん。ハリエットの方こそ気をつけて。アバーフォースさんによろしくって伝えておいて」
「分かったわ」
鏡をしまうと、続いて守護霊を呼び出そうとした。だが、ハリエット達のやりとりを聞いていたアバーフォースが身動きした。
「お前達は双子なんだろう? どうして一緒にいない?」
ハリエットは驚いて彼を見た。何となく心配している風な声色だと感じ取ったのだ。
「ハリーは、ダンブルドア先生から託された使命を成し遂げようとしているんです」
「指名手配されてるのにか? ポッターは何か兄に借りでもあるのか?」
「そういうわけではないと思います……」
「だったら、国外に逃げた方がよっぽど賢い選択だ。俺の兄の賢い計画なんぞ忘れちまった方が傷つかずに済む」
「でも、ハリーはそれでも逃げないと思います」
ハリエットはキッパリ言い切った。
始めは、予言の真相――『一方が生きる限り、他方は生きられぬ』この言葉を胸に、ヴォルデモートと戦う決心をしたかもしれない。だが今は、亡くなったダンブルドアの思いや、傷ついていく仲間達、闇に染まっていく魔法界――そうしたもののためにも、ハリーは戦い続けるとハリエットは信じている。そしてハリエット自身もそれは同じだ。今は隠れるようにして生活するくらいしかできないが、何か自分にできることがあれば、躊躇いなくやっていくつもりだった。
「……シリウス・ブラックに連絡を取るんだろう」
アバーフォースに言われ、ハリエットははたと思い出した。
「そうですね。ありがとうございます。……エクスペクト パトローナム」
スナッフルの守護霊を出し、シリウスの元へと飛ばした。
『初めて行ったDAの会合場所にいるわ。私ともう一人は無事。屋敷には絶対に戻らないで。保護呪文が破れたわ。クリーチャーが心配だから、呼び出しておいて』
所々ぼかしてはいるが、シリウスには分かるだろう。
一仕事終え、ハリエットは疲れたように脱力した。
「お腹は空いてるか?」
唐突にアバーフォースはハリエットとドラコに尋ねた。
「そ、そうですね……少しだけ」
元気のないドラコを窺いながら、ハリエットはこくりと頷いた。
「居間まで来い。食い物を出してやる」
「いいんですか?」
「このご時世で若い二人を放り出すわけにはいかないだろう。そっちのブロンドはともかく、お前は間違いなく死喰い人に狙われるだろう」
ブルーの瞳に射すくめられ、ハリエットは大人しく頭を下げた。
アバーフォースに居間へ案内され、彼はすぐに部屋を出て行った。戻ってきたときには、大きなパンの塊とチーズ、蜂蜜酒の入った錫製の水差しを手にしていて、暖炉前の小さなテーブルに置いた。ハリエット達はお腹がペコペコだったので、有り難くそれを頂戴した。
綺麗に全てお腹に収めると、ハリエットはアバーフォースに向き直った。
「あの、アバーフォースさん。お願いがあるんです」
「なんだ?」
「私達、どこにも行く宛がないんです。でも、アバーフォースさんの仰る通り、私達は死喰い人に狙われていて……お手伝いは何でもやります。なので、もしよろしければ、ここに置いていただけませんか……?」
「構わない」
「……えっ?」
自分で頼んでおいて、ハリエットは返ってきた返事が信じられなかった。
「構わないと言ったんだ。元々、アルバスからお前達の事を頼まれていた。何かあったら手助けするようにと。……放り出した途端死喰い人に捕まられちゃあ、俺も目覚めが悪いからな」
「ありがとうございます、アバーフォースさん!」
「アブでいい。長くて面倒だろう」
ハリエットはこくりと頷き、笑顔でドラコを見た。良かったね、という意味だったが、しかし視線は交わらなかった。ドラコは相変わらず血の気の失った顔をして俯いていた。
その時、バシッと聞き慣れた音が響いた。階下からだ。
「姿現しか?」
アバーフォースが様子を見に行き、ハリエットとドラコは杖を手にした。誰かがたたっと階段を駆け上がってくる音がする。ハリエットは油断なく入り口に杖を突きつけたが、駆け込んできた人物を見て拍子抜けした。
「シリウス……?」
怖い顔をしたシリウスは、そのままずんずん進み、ハリエットを力一杯抱き締めた。あまりにも力が強いので、ハリエットは一瞬息ができなくなる。
「店の中に直接姿現しするなぞ失礼千万……!」
ブツブツ言うアバーフォースの声が聞こえてきた。
「何があったんだ?」
抱き締めたまま、シリウスは低い声で問うた。ハリエットは、もう何度目か分からない説明をした。
ハリエットが話し終えると、シリウスはようやく身体を離した。
「すまない……」
そして押し殺すようにしてシリウスは呟く。
「もう、わたしは君から離れない」
「……シリウス」
ハリエットはずっと抱えていた、一種の予感めいたものを口に出した。
「もしかして、ハリーに言われたの? 私のことを守ってって」
「…………」
「シリウス、ずっとハリーと一緒に行きたいって言ってたじゃない。それを諦めたのは、私のせい?」
「違う」
「違わない、そうでしょ? 分かってるわ」
ハリエットはシリウスの身体に手を回した。
「――今までシリウスは屋敷に引きこもらないといけなくて、辛い思いをしていたわ。私達はずっとそれを見ていた。だからこそ、今度は私のせいでシリウスを閉じ込めることになるなんて、そんなの嫌だわ」
ハリエットはキッパリ言った。シリウスは本来快活で生き生きとしている。外が一番似合う人だと思う。そんな彼を、自分のせいで閉じ込めておくことはできないと思った。
「今のこの世の中に、騎士団の存在は必要よ。シリウスは必要とされてるの。あっ、だからって、危ないことをして欲しいわけじゃないわ。でも、シリウスがやりたいと思ったことを我慢しないで欲しいの。私は、あなたが思ってるほど弱くないのよ」
――実際、易々と侵入者に失神させられたわけだが、まあこういう状況の強い弱いには当てはまらないので、良しとしよう。
シリウスは、ゆっくりハリエットを放した。その瞳は悲しそうに揺らいでいる。
「クリーチャー!」
突然シリウスは叫び、同時にバシッと姿現しの音がした。またもアバーフォースのブツブツ言う声が聞こえてくる。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
「常にハリエットに張り付いてるんだ。ハリエットが頼んだことは、全てわたしからの命令だと思ってくれ。ハリエットが危険だと思ったら、すぐに安全な場所へ姿くらまししてくれ。いいな?」
「承知いたしました、ご主人様」
クリーチャーは恭しく頭を下げた。ついでもって嬉しそうにハリエットにも頭を下げる。
「……君たちは、しばらく見ないうちにすぐに大人になるんだな」
「シリウスがずっと側にいてくれるから、成長に気づかないだけよ」
「わたしは、君たちの後見人として、うまくやれているだろうか?」
「もちろんよ」
ハリエットは勢いよく頷いた。
「最高の後見人よ。どう言えば良いのか分からないけど……シリウスは私達の大切な家族よ。ずっと一緒にいたい」
シリウスは、しばらく黙り込んでいたが、やがて動き出した。騎士団の仕事で、まだやり残したことがあるという。
アバーフォースに挨拶をした後、また来ると告げて、シリウスは姿くらましをした。