■賢者の石

16:観客席での戦い


 ニコラス・フラメルについての進展はなかなかなかった。図書館の本を漁るようにして読んでいるというのに、そのどこにもニコラス・フラメルについての記述はないのだ。いっそこの世に存在しないのかとすら思うほどに。

 今日も今日とて談話室で本を読み漁っていると、ネビルが談話室に倒れ込んできた。見ると、両脚がピッタリとくっついており、『足縛りの呪い』をかけられたことがすぐ分かった。

 皆笑い転げたが、ハリエットとハーマイオニーはすぐに駆け寄り、そして呪いを解く呪文をかけた。ネビルはお礼を言いながら立ち上がる。

「一体どうしたの?」

 震えるネビルをソファに座らせ、ハーマイオニーが尋ねた。

「マルフォイが……図書館の外で会ったんだけど、誰かに呪文を試してみたかったって」
「なんてこと!」

 ハーマイオニーは叫んだ。ハリエットも息をのむ。マルフォイがそんなことをするなんて――。

「マクゴナガル先生のところに行かなきゃ! マルフォイがやったって報告するのよ!」
「これ以上面倒は嫌だ」
「ネビル、マルフォイに立ち向かわなきゃだよ」

 ロンも説得した。

「あいつは平気で皆を馬鹿にしてる。だからといって屈服して奴をつけあがらせておく訳にいかない」
「僕が勇気がなくてグリフィンドールにふさわしくないなんて、言わなくっても分かってるよ。マルフォイがさっきそう言ったから」

 ネビルが声を詰まらせる。ハリーはポケットから蛙チョコレートを取り出した。ハーマイオニーからクリスマスにもらったものだ。ハリーはそれをネビルに差し出す。

「マルフォイが十人束になったって君には及ばないよ。組み分け帽子に選ばれて君はグリフィンドールに入ったんだろ? マルフォイはどうだ? 腐れスリザリンに入ったよ」
「ハリー、ありがとう……皆も」

 ネビルは蛙チョコレートの包みを開けた。

「カードあげる。集めてるんだよね?」

 ネビルが寝室に移動してから、ハリーは有名魔法使いカードを眺めた。表はダンブルドアで、裏を返すと、あっと息をのんだ。

「見つけたぞ! フラメルだ! 『ダンブルドア教授は特に、パートナーであるニコラス・フラメルとの錬金術の共同研究等で有名』」

 ハーマイオニーはすぐに寝室から分厚い本を持ってきた。それを読んで言うことには、ニコラス・フラメルは、賢者の石の創造に成功した唯一の人物らしい。賢者の石はいかなる金属をも黄金に変える力があり、また、飲めば不老不死になる命の水の源でもある――。

 なかなかフラメルが見つからなかったのは、最近の人物だとばかり思って、新しい本ばかり読んでいたことが原因だった。

 四人は、あの仕掛け扉の向こうには賢者の石があるのだと推測した。


*****


 クィディッチの試合がやってきた。今日はスネイプが審判の日で、ハリーの顔色は悪い。スネイプがフェアじゃないジャッジをできないようできるだけ早く試合を終わらせることをアドバイスして、ハリエット達は更衣室の前で別れた。

 ハリー以外の三人は、スタンドでネビルの隣に座った。

 選手が入場し、いよいよ試合が始まるという所で、何者かがロンの頭を小突いた。ドラコだった。

「ああ、ごめん。ウィーズリー、気づかなかったよ」

 彼の後ろには、クラッブとゴイルもいる。

「マルフォイ、何しにきたの?」

 突然現れたドラコに、一目散に刺々しく声をかけたのはハリエットだった。ドラコも驚いたように目を丸くしていたが、すぐに我に返り、せせら笑った。

「僕がどこで何をしようと僕の勝手だろ」
「あなたがいつも問題を起こすから聞いてるんじゃない。この前、ネビルに足縛りの呪いをかけたでしょ」
「そうだそうだ。今度は誰に呪いをかけるつもりだい? 君の呪いなんか、ハーマイオニーに比べたら屁でもないけどね」

 唐突に自分の名が話題に上がり、ハーマイオニーはロンを軽く睨んだが、何も言わなかった。

「グリフィンドールの選手がどういう風に選ばれたか知ってるかい?」

 ドラコはロンのちょっかいを無視した。

「気の毒な人が選ばれてるんだよ。ポッターは両親がいないし、ウィーズリー家はお金がないし……ああ、失礼。お金がないのはポッター家もだったね。ウィーズリー家とお揃いのそのセーター、もしかしてねだったのかい? 服を買うお金がないから、君たちのお下がりをくれって」

 馬鹿にするようにドラコはハリエットのセーターをジロジロ見た。

「マルフォイ!」

 ロンは怒鳴った。ドラコは小憎たらしい顔で肩をすくめた。

「なんで怒るんだ? 事実じゃないか。いつもぶかぶかの小汚い格好をしてたから、君も哀れんで母親に知らせたんだろう?」

 カッと頬を赤くして、ハリエットは俯いた。

 お金はないわけではなかった。ただ、ダイアゴン横丁に行った時、初めて触れた魔法界に浮かれるあまり、両親の遺産で新品の服を買うという所まで頭が働かなかったのだ。おかげで、休日はいつもダドリーのお下がりだ。双子の私服を見て、グリフィンドール生達も事情を察したのか、今まで服について何か言われたことはなかった。だからこそ、面と向かって蔑まれて――深く傷ついた。

「ハリエットに謝れ!」

 その時、立ち上がったのはネビルだった。怒りで顔が真っ赤で、皆が彼を呆気にとられて見つめた。

「もう許さないぞ!」
「なんだロングボトム……。僕とやる気かい?」
「マルフォイ、僕は君が十人束になっても適わないぐらい価値があるんだ」

 ドラコもクラッブもゴイルも大笑いした。

「そうだ、ネビル、もっと言ってやれよ――」
「ロン!」

 ハーマイオニーが叫んだ。彼女は試合に夢中だった。

「ハリーが!」
「どこ?」

 ハリーはものすごい勢いで急降下を始めた。弾丸のように一直線に地上へ向かっていく。

「きっとポッターは地面にお金が落ちているのを見つけたんだろうな」

 ロンはついにキレた。ドラコに突進して馬乗りになり、地面に組み伏せていた。ネビルは一瞬怯んだが、観客席の椅子の背を跨いで助太刀した。

「行けっ! ハリー!」

 ハーマイオニーに周りの光景を気にする余裕はなく、拳を突き上げた。ハリエットはといえば、オロオロと男子五名の取っ組み合いを見ていることしかできなかった。

 ロンはドラコと取っ組み合い、ネビルはクラッブ、ゴイルと戦っていた。ロンは一進一退の攻防を繰り広げていたが、ネビルは二対一の状況で、明らかに不利だった。

 ゴイルがネビルを羽交い締めにし、クラッブが拳を顔に、腹にと極めていく。あんまりな惨状に、ハリエットは見ていられなかった。

「や、止めて……!」

 ハリエットはゴイルの腕を掴んだ。ネビルはもう気を失っていた。それでもクラッブは殴るのを止めようとせず、むしろ止めようとしたハリエットを振り払う。

 振り切った拳が勢いよくハリエットの顔にぶつかった。ハリエットは痛みにフラフラと後ずさり、その場に尻餅をついた。ポタポタと血がローブにしたたり落ちる。

「あ……」

 誰もが動きを止めた。ハリエットはこの場の誰よりも軽傷だったが、外野の、しかも女の子に怪我を負わせたということが後ろめたかった。

「ハリエット、大丈夫かい!?」

 ドラコの腕を振り切って、ロンがハリエットに駆け寄った。ハリエットは慌て頷く。

「大丈夫、大丈夫よ。ロンやネビルに比べたら」

 ハンカチを取り出して、鼻に当てた。ジクジクと鼻が痛む。

「ロン! ハリエット! どこに行ったの? 試合終了よ! ハリーが勝った! グリフィンドールの勝利よ!」

 ハーマイオニーがぴょんぴょんその場で飛び始める。彼女の声が、やけに遠くから聞こえるような気がした。


*****


 クィディッチの試合後、ハリーはスネイプが禁じられた森へ向かうのを見かけた。この怪しい行動に、ハリーはすぐさま彼の後を追った。箒に乗っていれば、スネイプに見つからずに後をつけることなど簡単だった。そこでスネイプが会ったのは、クィレルだった。

 会話の内容から、スネイプが狙っているのは本当に賢者の石だったというのが明らかになった。スネイプは、自分の仲間になれと言外にクィレルを脅していた。

 この大ニュースに、ハリーは鼻を膨らませてホグワーツに戻った。ハリエット達に伝えに行こうとすぐさま談話室に向かったハリーだったが、ハーマイオニーから妹の行く先を聞いて、激怒して医務室に突撃することになった。

 ハーマイオニーが言うには、ハリエット、ロン、ネビルの三人がなぜか保健室送りになり、そしてよくよく話を聞けば、ドラコに喧嘩をふっかけられ、男の子五人で殴り合いをした上、巻き込まれたハリエットまでもが怪我をしたという!

 医務室は殺伐としていた。ロンは唇から血を流し、ドラコは目に青あざを作って不機嫌そうに治療を受けている。ハリエットの鼻血は既に止まっていたが、頬にはまだ痛々しいアザが残っている。一番ひどいのはネビルで、打撲がひどく、気を失っていた。

 友達二人、そして大切な妹の有様を目にした時、ハリーは頭に血がのぼってドラコに掴みかかった。杖は持っていなかったが、己の拳があった。だが、マダム・ポンフリーやロンにすぐに取り押さえられる。

「ここは医務室です!」

 マダム・ポンフリーは腰に手を当てて誰よりも大きな声で叫んだ。

「騒ぎを起こすのなら出て行ってもらいますよ!」

 ネビルをお見舞いした後は、もうこんな奴らと一緒にいたくないと、ハリーはロンとハリエットを連れてすぐに医務室を出た。しかし、どれだけ医務室から離れても、怒りは収まらない。

「あいつら、ハリエットにまで……!」
「ハリー、本当に気にしないで。これくらい大したことないわ」
「大したことあるよ! 女の子なのに、顔に傷が残ったらどうするんだ!」
「大丈夫よ……」

 ハリエットは浮かない顔で答えた。顔の痛みよりも、心の痛みの方がひどかった。


*****


 六日後、金曜日がやってきた。ハリエットはいつも通り城裏まで来た。普段より随分早く来て、ホグワーツ城の壁を背に座る。ドラコは来ないかもしれないと思ったが、彼はやってきた。ハリエットを見て動揺したようだった。

 しばらくたたらを踏んだ後、ドラコはひっそりときびすを返し、戻ろうとした。

「逃げるの?」
「馬鹿なこと言うな」

 ハリエットが声をかけれは、ドラコは機嫌悪く顔を顰めた。

「そもそも、僕の練習場に勝手に君が来てるんじゃないか」
「そうよ。だからあなたが逃げる必要なんてどこにもないわ」

 素っ気ない物言いに、ドラコは怯む。

「怒ってるのか?」
「ええ、怒ってる、怒ってるわ。でも、殴られたことに対してじゃない」
「お、お前が勝手に喧嘩に割り込んだんだろ。クラッブにも悪気はなかった」
「ええ、分かってるわ。だからそのことについては何も言ってないじゃない」

 ハリエットは立ち上がった。真っ直ぐドラコを見据える。

「私たちのことがそんなに嫌い? 私たち、あなたに何も悪いことしてないじゃない……!」

 ハリエットはギュッとローブを握った。ドラコが自分たちのことを嫌いなのは分かる。でも、言って良いことと悪いことがある。

「私には親がいないわ。だって死んだもの」

 ドラコは息をのんだ。真っ向から言われるとは思ってもみなかった。

「だからね、ロンのお母さんから手編みのセーターをもらったときはすごく嬉しかったわ。家族じゃないのに、本当の家族のように私たちも扱ってくれて。ううん、それだけじゃない。もしお母さんが生きていたら、こんな風にセーターを編んでくれたのかもしれないって、そう思うだけですごく嬉しかったの」

 唇が震える。握りしめた手は白くなっていた。

「親がいないことも、手編みのセーターを馬鹿にされたことも、全部嫌だった。あなたが私に嫌味を言うのは良いわ。もし言われたら、私だって言い返すもの。でも、誰にだって踏み込んじゃいけないラインはあるわ! あんな風に言われるくらいだったら、殴られた方がマシよ!」

 ドラコはまた一歩後ずさった。ハリエットはきゅっと唇を噛みしめて、顔を逸らした。

「私、これからはもうここには来ないわ。……今まで教えてくれてありがとう」

 悲しげに呟き、ハリエットはドラコの横を通って城へ戻った。冷たい風が身に染みて痛いくらいだった。


*****


 それからというもの、ハリーとドラコとの間は一層冷え切った。あまりの怒りに、互いは言葉こそ交わさないものの、ひとたびすれ違えば射殺さんばかりに相手を睨み付ける。

 妹が怪我をしたこと、その原因の元であるドラコがハリーは憎らしかったし、ドラコはドラコで、ハリーがシーカーとしてますます有名になっていく嫉妬や、ハリエットが一方的に怒り、そしてそれに言い返せなかった悔しさやらがごちゃごちゃに絡み合って、一層憎らしく思っていた。

 しかし、直接やり合うことは憚られた。ハリーの側にはいつもハリエットがいるし、ハリエットに怒られてからというもの、ドラコはどうにも調子が出なかった。

 直接ではなく、間接的に。

 なんとかハリーの足を引っ張ることはできないかとドラコは画策するようになった。