■死の秘宝
34:秘密の部屋再び
五月に入ると、いよいよハリー達がグリンゴッツに侵入する日がやってきた。両面鏡越しにエールを送りはしたが、心配なものは心配だ。不可能と言われている金庫破りをしにいくのだから。その上、あのベラトリックス・レストレンジ家の金庫に。バレたらただじゃ済まされないだろう。
その日は一日中やきもきしていた。ようやくハリーから連絡が入ったのか、夜の帳が下りた頃だった。
「ハリエット!」
常に鏡を身につけていたハリエットは、すぐに鏡を覗き込んだ。
「大丈夫? 皆も怪我はない?」
「僕たちは大丈夫。無事金のカップも見つけた!」
まさに満身創痍といった様子のハリーが顔を出した。髪は濡れていたし、顔と腕中を火傷で赤く腫れ上がらせ、服はあちこち焼けていた。金庫破りに行ったのに、火事にでも遭ったような様相だった。
「でも、最後の最後でグリップフックが裏切った。グリフィンドールの剣を盗まれたんだ」
「分霊箱を壊す手立てがないってこと?」
「うん。集めるだけじゃ駄目なのに――しかも、それだけじゃない」
ハリーが早口で言った。
「さっき、傷が痛んだ。あいつは僕たちがカップを盗んだことを知ってる。僕たちが分霊箱を集めてるってようやく気づいたんだ。そして、今から他の分霊箱を確かめに行くつもりだ」
ハリエットはごくりと唾を飲み込んだ。
「あいつが、カップのことを聞かされる様子を見た。僕は――あいつの頭の中にいて、あいつは本気で怒っていた。それに恐れていた。どうして僕たちが知ったのかを、あいつは理解できない。それで、これから他の分霊箱が安全かどうか、調べに行くんだ。最初は指輪。あいつはホグワーツにある髪飾りが一番安全だと思ってる。スネイプがあそこにいるし、見つからずに入り込むことがとても難しいだろうから。あいつは最後に調べると思う。それでも、数時間のうちには、そこに行くだろう――」
「ホグワーツが戦場になるかもしれないのね?」
ハリーは険しい顔で頷いた。
「騎士団のメンバーを集めないと……」
ハリエットは呟いた。
「じゃあ、私はおじさんとおばさんにこのことを知らせるわ。ホグワーツには直接行けないから……ホッグズ・ヘッドで落ち合いましょう。そこにアブ――ダンブルドア先生の弟さんがいるわ」
「アバーフォースだね?」
「ええ。聞きたいことがあるのなら、その時に聞くと良いわ」
ハリーが複雑そうな顔をした。しかしそれもも一瞬だった。
「分かった。よろしく!」
「ホッグズ・ヘッドの二階で会いましょう」
ハリーはすぐに消えた。
ハリエットが顔を上げると、ドラコと目が合った。彼もずっと側で話を聞いていたのだ。
それから、ホグワーツが戦場になることをアーサーとモリーに伝えた。フレッドとジョージ、ジニーもやる気満々だった。心配性のモリーには内緒で、額を付き合わせてホッグズ・ヘッドへ行く計画を建てている。ハリエットはそこからはお暇してドラコを自分の部屋に連れて行った。
「秘密の部屋に行きましょう!」
そして開口一番、ハリエットはそう宣言した。
「秘密の部屋? どうして今?」
「私、ハーマイオニーの言葉を思い出したの。そもそも、グリフィンドールの剣は、ゴブリン製だから分霊箱を破壊できる訳じゃないわ。ゴブリン製の刃は、自らを強化するものだけを吸収する――あの剣は、ハリーがバジリスクと対決したときに、毒を吸収していたのよ。だから分霊箱を破壊できた」
「秘密の部屋に、まだバジリスクがいるのか?」
ドラコが恐れおののいた顔をした。戦わなければならないことを想像しているのだろう。
「あるのは遺骸よ。ハリーがバジリスクを倒したの。バジリスクの牙を持って行けば良いんだわ。クリーチャー!」
すぐさま姿現しの音がした。時が経つごとに、クリーチャーの現れる速度が速くなっているのは気のせいだろうか。――この一年は、本当に何度も危険な目に遭ったので、それも仕方ないのかもしれない。
「ホグワーツ三階の、マートルの女子トイレまで連れて行ってくれる?」
「ハリエット様、承知いたしました」
「お願い!」
ハリエットはクリーチャーの手をギュッと掴み、姿鞍馬氏をする準備を――。
「ちょ、ちょっと待った!」
ドラコがぐいとハリエットの反対の手を引っ張り、彼女の注意を引き戻した。ハリエットはパチパチと瞬きをする。
「どうしたの?」
「そう突っ走らないでくれ……。僕を置いて行くつもりじゃないだろうな?」
「……忘れてた」
ハリエットは表情を緩ませた。珍しく、ハーマイオニーのように目一杯頭をこねくり回したらこれだ。意外と自分は猪突猛進型なのかもしれない。
ドラコは反対側からクリーチャーの手を握った。準備はできた。
クリーチャーと共にハリエットは回転し、ミュリエルの家から離れた。そして次の瞬間には、水浸しの女子トイレに立っていた。
「オォォォゥ、何なのよ、急に!」
突然目の前に現れた二人と妖精に、マートルは叫んだ。しかし、三人をじろじろ検分するように見た彼女は、ドラコに目を留めポッと顔を赤らめた。
「あら、あなた……」
しかし、その隣のハリエットに視線を移し、マートルは急に非難がましい顔つきになる。
「一体どういうことよ! あれから何ヶ月も何ヶ月も姿を見せないと思ったら、女なんか連れてきて!」
マートルは喉を詰まらせ、目から滝のように涙を流した。
「トイレデート? 私に当てつけのつもり!?」
しゃっくりを上げながら、マートルは金切り声を上げる。ドラコはあたふたした。
「誰も話す相手がいなかった孤独なあなたを、一体誰が慰めたと思ってるのよ!」
「ま、マートル、静かにしてくれ……」
「そうやって私の名を呼んで期待させて! 私は都合のいい女じゃないのよ!」
マートルは悲劇的なすすり泣きと共に空中に飛び上がり、向きを変え、真っ逆さまに便器の中に飛び込んだ。ハリエット達に盛大に水しぶきがかかる。
「大丈夫か?」
ハリエットは応えず、無言で手洗い台に近寄った。ドラコは慌てて追いかけ、杖を複雑に降った。すると杖先から熱風が噴き出し、ドラコはそれをハリエットのローブに当てた。徐々にローブは湯気を立て始める。
ハリエットは少し驚き、彼のこの紳士な行動を嬉しく思ったが、すぐにまたムスッとした顔に戻る。
「何か怒ってる?」
ハリエットが何も言わないので、ドラコが恐る恐るといった様子で尋ねた。
「随分マートルと仲が良いようね」
ハリエットはツンと澄まして言った。そういえば、と丁度一年前のことを思い出したのだ。ハリーからドラコが切り裂き呪文を受けたあの時、ドラコはまるで足繁く通っていたような口ぶりでマートルに声をかけられていたと。
「別に、仲良くはない」
「でも、去年はよくここに来てたんでしょう?」
何とかしてドラコと接触を図ろうとしていあの時――ドラコがハリエットと距離を取ろうとしていたあの時、彼は、マートルとなら一緒にいたのだ。マートルには胸の内を明かしたのだ。
「それは……ゴースト相手だと秘密も漏れないと思ったから……」
ドラコは、なぜハリエットが怒っているのか分からない様子だった。ハリエット自身もよく分からなかった。とにかく、得体の知れないもやもやとしたものが胸の中にあるのだ。
「私、こんな時に何言ってるんだろう……」
疲れたようにハリエットはため息をついた。
「変なこと言ってごめんね。忘れて」
ハリエットは首を振ってドラコに背を向けた。だが、ドラコはハリエットの前に回り込む。
「僕は……あの時、君に相談していたらとは今でも思う。そうしたら、何か変わって――いや、絶対に変わってたと思う」
思いもよらない言葉に、ハリエットはじっとドラコを見つめた。事情も知らないくせに余計をお節介だったかもとか、空回りばかりしていたとか、そんなことばかりかつては考えていたが、今のドラコの言葉で、全てが報われた気がした。
「行きましょう」
急に元気になって、ハリエットは蛇口の所に蛇が彫ってある手荒い台の前に立った。そしてローブから鏡を取り出す。
「ハリー?」
ハリーはすぐに現れた。
「ハリエット、まだこっちに到着しないの?」
「ええ。ちょっと行くところがあるから」
ハリエットはにっこり笑った。
「ねえ、ハリー? お願いがあるんだけど。ちょっと蛇語で開けって言ってくれない?」
「…………」
ハリーもにっこり微笑み返した。少し口元が引きつっている。
「ねえ、ハリエット? 僕ちょっと嫌な予感がするんだけど。……君、まさか秘密の部屋にいる?」
「ご名答」
ウインクのつもりで、ハリエットは両目を瞑った。
「まさか、バジリスク!? そうか、牙で分霊箱を壊すんだ!」
ハリーは興奮した顔で叫んだが、しかしすぐにげんなりした顔になる。
「なんで君は僕たちの到着を待ってられないかな……」
「じっとしてられなかったんだもの! バジリスクの牙をお土産に持って行くから、それで許して」
「どんどんハリエットが逞しくなっていく……」
ハリーが遠い目をした。
とにかく、ハリーに蛇語で『開け』と言ってもらうと、その瞬間手荒い台が動き出した。手荒い台が沈み込み、消え去った後に、大人一人が滑り込めるほどの大きさのパイプがむき出しになった。
「ここを降りていくのか?」
「ええ」
ハリエットはローブを被ってパイプの前に立った。
「僕が先に行く」
「えっ?」
気がついたときにはドラコはすでにパイプの中に入り込み、手を離した所だった。擦るような音と共にドラコの姿が消える。
ゆるゆるとハリエットの表情が緩んだ。こんな時だが、女の子扱いされて嬉しいと思ってしまった。しかしすぐに自分に活を入れると、己もパイプの中を滑り落ちた。
丁度、果てしのない、ヌルヌルしたくらい滑り台を急降下していくようだった。あちこちで四方八方に枝分かれしているパイプが見えたが、自分たちが降りていくパイプよりも太いものはなかった。
しばらくすると、急にパイプが平らになり、出口から放り出された。しかし着地の際衝撃はなく、無重力状態でふわりと地面に足がついた。ドラコがクッション呪文をかけてくれたのだ。
「ありがとう」
「いや」
杖灯りを点し、二人は歩き出した。ハリエット達が立っていたのは、暗い石のトンネルのジメジメした床だった。トンネルは真っ暗で、目と鼻の先しか見えない。
「本当にバジリスクは死んでるんだな?」
「ええ、そのはずよ」
ハリエットを先頭に歩いていたが、後ろのドラコの距離はやけに近い。そしてその声には恐怖の色がうかがい知れる。こういうところはドラコ・マルフォイだなあとハリエットはこっそり苦笑を漏らした。
暗いトンネルのカーブを曲がると、ドラコがハリエットのローブを握った。
「あそこに何かないか……?」
「ああ、バジリスクの抜け殻よ」
ハリエットは事も無げにそう言った。リドルに操られていたときの記憶はもう戻っていた。
巨大な蛇の抜け殻を杖灯りが照らし出したとき、ドラコが引きつった声を上げるのを聞いた。
「お、大きいな……」
「六メートルくらいはあるわね」
毒々しい鮮やかな緑色の皮がトンネルの床にとぐろを巻いて横たわる様は圧巻だ。ドラコはハリエットの側から離れなくなった。
抜け殻のすぐ近くには、岩の塊が固い壁のように立ち塞がっていた。以前ハリーとロンがここに来たとき、ロンの杖が逆噴射を起こし、このような惨状になったのだ。近くに行くと、崩れ落ちた岩の間にかなり大きな隙間が空いていた。ハリエットは屈んで穴をくぐろうとしたが、ドラコは自分が行くと言って聞かなかった。仕方なく先に行かせ、ハリエットも穴をくぐった。
また長いトンネルが続いていた。くねくねと何度も曲がると、ついに前方に固い壁が見えた。二匹の蛇が絡み合った彫刻が施してあり、蛇の目には輝く大粒のエメラルドがはめ込んである。
ここもハリーに『開け』と言ってもらって、二人は中に入っていった。
ハリエットは、細長く奥へと延びる、薄明かりの部屋の端に立っていた。蛇が絡み合う彫刻のある石の柱が、上へ上へとそびえ、暗闇に吸い込まれて見えない天井を支えている。
バジリスクの死骸は、部屋の中程に横様に倒れていた。毒々しい鮮緑色が腐ったような色をしており、大きな黄色い球のような目は両眼とも潰されている。
「こ――こ、こんなのと戦ったなんて、ポッターを尊敬する……」
ドラコが震え声で言った。ハリエットはクスリと笑った。
「今の台詞、ハリーに聞かせてあげたいわ」
ハリエットは腕まくりをし、蛇の牙に触れようとしたが、ここもドラコがやると言って聞かず、彼は恐々としながら牙をずぶりと抜き取った。顔は嫌そうに引きつっている。ハリエットは、気の毒に思いながらも、その台詞を口にした。
「念のため、もう一つ持って帰りましょう」
何とか二つの牙をバジリスクの頭蓋からもぎ取ると、一人一つずつ腕に抱え、二人は元の場所まで戻った。パイプまでやってくると、『アセンディオ』で長い長い道のりを上に向かって飛んだ。
飛行が終わり、トイレの床に着地すると、パイプを覆い隠していた手荒い台がスルスルと元の位置に戻った。
「デートは楽しかった?」
マートルは恨みがましい声で迎えた。
「そう見えるか?」
ドラコは肩をすくめた。パイプを滑り落ちたときのベタベタがまだ身体についていた。
「テルジオ 拭え」
ドラコがハリエットのローブに杖を向け、先に綺麗にしてくれた。自分でできるのにとちょっと思ったが、やはりこれも嬉しく思った。『私の目の前でイチャイチャするなんて』とマートルがまた泣き出すのが聞こえた。
二人とも綺麗になると、またクリーチャーを呼び、ホッグズ・ヘッドまで姿くらましを頼んだ。