■秘密の部屋

02:隠れ穴


 ウィーズリー家は、外装も内装もとても興味深い家だった。しかしじっくり見て回る余裕もなく、ウィーズリー夫人のモリーの怒鳴り声が出迎えた。

「母さんがどんなに心配したか分かって? 本当にお前達はいつもいつも心配をかけてばっかりで……」
「ママ、ハリー達疲れてるんだよ。先に休ませてもいい?」

 いち早くロンがこんなことを言い出した。モリーは息子達には厳しかったが、ハリーやハリエットには甘かった。まだ一度や二度会っただけだが、クリスマスプレゼントを贈ったり、近況を息子達に訊ねたりと、親並みに心配、愛情を注いでいるのだ。

「う……まあいいでしょう。あなた達、今夜は覚えておきなさい。――さあ、ハリー、ハリエット。よく来てくれたわね。朝食をどうぞ。お腹空いたでしょう?」

 先ほどの怒鳴り声はどこへやら、モリーはすっかり甘い声を出した。

 キッチンは狭くるしかったが、温かいところだった。至る所に家族の愛情があった。モリーは手慣れた様子で子供達に熱々のソーセージを出した。ハリーやハリエットの分は特に多い。

「アーサーと二人であなた達のことを心配していたの。昨夜も、金曜日まで手紙が来なかったら私たちがあなたを迎えに行こうと思っていたのよ。普通のやり方で」

 ジロリとモリーは息子達を見る。息子達はせっせとソーセージに夢中になっている振りをして、これを無視した。

 やがてロンの妹ジニーも降りてきて朝食をとった。彼女は、ハリーがいるのを見つけると、キャッと叫び声を上げた。フレッドとジョージがからかって言うことには、彼女はハリーの大ファンらしい。

「さあ、食べ終わったらお前達は庭に出て庭小人の駆除をしなさい」
「ママ、そんな――」
「良いですか、三人共です」

 モリーはフレッドとジョージ、そしてロンを睨み付けた。慌ててハリーとハリエットは口を開く。

「私たちも手伝います」

 モリーが空飛ぶ車のことで怒っているのは確かだ。そして息子達が暴挙にでたのが、自分たちのせいだということも。

「まあ、優しい子達ね。でもつまらない仕事なのよ」
「庭小人って見たことありませんし、楽しそう」
「そう言っていられるのも今のうちだぜ」

 フレッドはやれやれと肩を竦ませた。モリーは柔らかい笑みを浮かべる。

「疲れたらすぐに部屋に上がって寝て良いですからね。ロンの部屋を使ってちょうだい」

 双子は頷き、立ち上がった。ああ、とモリーが声を上げた。

「ハリエットは待ってちょうだい。庭小人の駆除なんて女の子がするような仕事じゃないわ。ここで私の話し相手になってくれないかしら?」
「そ、それはもちろん……」

 チラリとハリーを見れば、ハリーは笑って頷いた。ハリエットは再び腰を下ろした。

「ああ、始まっちまった」

 ジョージが嘆いた。

「庭小人の駆除とロックハート談議。お前はどっちがマシだと思う?」
「どっちも勘弁願いたいね」

 ロックハートって何? と訊ねるハリーの声が小さくなっていく。モリーは暖炉の上の本の山から分厚い本を引っ張り出した。

「ハリエット、ロックハート先生は分かる?」
「分かりません」
「ああ、そうなの。じゃあぜひ読んでみなさいな。この方の本、とっても面白いのよ。ご本人も素敵でね、格好良いし、賞もたくさん取ってるの。ハーマイオニーも大好きだそうよ。ロンが話してたわ」
「そうなんですか?」

 差し出された本を見ながら、ハリエットは驚きの声を上げた。ハーマイオニーはかなりの読書家だ。勉強好きとも言える。そんな彼女が、大好きな筆者だというのならば、さぞ面白い本なのだろう。

「もし興味が出てきたら、この本を貸すわ。ここにいる間読んでみなさいな」
「いいんですか?」
「もちろんよ。彼の本はまだたくさんここにあるから、気に入ったら勝手に取っていって良いわ」
「ありがとうございます!」
「あなたと早くロックハート先生の本の感想を言い合いたいわ」
「はい。私も楽しみにしています」

 ニコニコ笑ってハリエットは本を見つめた。『雪男とゆっくり一年』とそこには書かれていた。


*****


 ウィーズリー家通称『隠れ穴』で過ごす日々は本当に目まぐるしく、そして楽しかった。食事の席では、マグルに興味津々のウィーズリー氏のアーサーがしょっちゅうマグル界でのことをハリー、ハリエットに尋ねた。彼はいつもどちらか二人を隣の席に座らせ、話を聞くのだ。二人はいつも交代でその役目を担っていた。

 朝はウィーズリー家の手伝いを少しだけして、午後からは丸まる自由時間だった。ハリー達は、クィディッチの練習したり、丘まで散歩に行ったりといろんなことをした。しかしハリエットは家の中の方を好んだ。体力が有り余る男の子達と違って、ハリエットは女の子なのだ! すぐに疲れるし、それに、何時間もぶっ続けて箒に乗るのは正直なところ遠慮したかった。

 男の子達が外に行っている間、ハリエットは隠れ穴でロックハートの本をたくさん読んだ。彼の本はとても面白かった。冒険的でいつもドキドキ、ハラハラに溢れていたし、すんでのところで危険を回避する様は、とても格好良く映った。本のことを素晴らしいと思うにつれ、ハリエットは表紙にデカデカと載っているロックハートの動く写真を見て、顔をポッと赤らめるようになった。

 ロックハートのことについては、ハーマイオニーと手紙でやりとりをしたり、モリーと共に熱をふるって感想を言い合うことで、より一層燃え上がった。ハリーはそれほどロックハートのことに興味はないようだが、ハリエットは実に充実した毎日を送っていた。

 隠れ穴に来てからしばらく、ハリー達はハーマイオニーと約束して、ダイアゴン横丁に教科書を買いに行くことになった。

 ダイアゴン横丁へは、暖炉を通って行くことになった。煙突飛行粉を使って一気に目的地へと移動するのだ。お手本はフレッドだった。鉢からキラキラ光る粉をひとつまみ取り出すと、暖炉の炎に近づき、粉を振りかけた。炎はエメラルド色に変わり、フレッドは『ダイアゴン横丁!』と叫んだ。フレッドの姿はすぐに消えた。

「ハリー、ハッキリ正しく発音するのよ」

 モリーは注意したが、ハリーは緊張していた。粉を炎に投げ入れるところまでは良かったが、口を開いたときに熱い牌を吸い込み、むせたのだ。

「ダ、ダイア、ゴン横丁!」

 ウィーズリー家は、皆ハリーの失敗を悟った。

「すぐに助けに行かなければ」

 アーサーは急いで暖炉に消えた。その後にジョージ、ロンも続く。

「さあ、ハリエットあなたも。気をつけて発音するのよ」
「はい」

 頼もしく頷いたハリエットだったが、ハリエットは、良くも悪くもハリーと双子だった。ハリーの失敗を間近で見たばかりだというのに、灰に思い切りむせたのだ。

「ダ、ダイア、ゴン横丁!」

 全くハリーと同じ発音の仕方だった。ハリエットの姿はすぐに消えた。

 高速で回転したと思ったら、次に気がついたとき、ハリエットは石の暖炉の中に立っていた。どこかの魔法使いの店のようだった。煤だらけの顔で暖炉を出る。店内を数歩と歩かないうちに、誰かと遭遇した。彼はとても青白い顔をしていて、煤だらけのハリエットとは正反対だった。

「ドラコ?」

 ハリエットの発した声によって、彼も自分の目が幻を見ているわけではないと悟ったようだ。困惑したように彼女に近づく。

「なんだその姿は。どうしてここにいる?」
「ここ……どこ? ダイアゴン横丁?」
「ノクターン横丁だ」
「ノクターン?」

 ハリエットはさっぱり現状が分からなかった。暖炉を出れば、つい先ほど別れたばかりの赤毛一家と出会えると思っていたのに……。

「たぶん、変なところに来ちゃったみたい。本当はダイアゴン横丁に行きたかったの。暖炉から来たんだけど……」
「大方発音に失敗したんだろう。マグル育ちのやりそうなことだ」

 ふんとドラコは笑った。

「ドラコ、彼女は?」

 ドラコの後ろから、背の高い男性が姿を現した。ドラコと同じ青白い顔で、瓜一つのグレーの瞳をしていた。すぐに彼が父親だと分かった。

「ハリエット・ポッターです。同級生の」
「こんにちは」
「ルシウス・マルフォイだ。ドラコからいつも話は聞いている」

 意外な情報にハリエットは顔を上げたが、ルシウスは唇の端を歪めていたので、おそらく『良い話』ではないのだろうと思った。

「それが君の趣味でないのならば……私が綺麗にしてあげよう」

 どこかで聞いた台詞だ、とハリエットは思った。返事をする前に、ルシウスは軽く杖を振るった。

 すると、みるみるハリエットの煤だらけの顔が綺麗になっていく。顔だけでなく、服の煤もなくなった。ハリエットはパッと笑顔になった。

「ありがとうございます!」
「なに、大したことではない。ドラコ、彼女と一緒に店の前で待っていろ。私はこの店に用がある」
「はい」

 ハリエットは問答無用に外に連れ出された。とはいえ、いつまでもおどろおどろしい雰囲気を醸し出すあの店にいたくはなかったので、ホッとはした。

「ドラコも教科書を買いに来たの?」
「ああ。手紙が来たからな」
「夏休み中も家でクィディッチの練習してたの?」
「ああ」
「夏休みは楽しかった?」
「ああ」

 おかしい。ハリエットはちょっと首を傾げて考えた。そしてようやくその原因が分かった。ドラコのアイデンティティたる嫌味がないのだ。嫌味のないドラコなど、眼鏡のないハリーのようなものだ。

「ねえ、ドラコ。何か怒ってる?」
「は?」

 ドラコは一瞬ハリエットを見たが、すぐに前を向いた。

「別に」
「返事が素っ気ないから、何か怒ってるのかと」
「…………」

 ドラコはなかなか口を開かなかった。なかなか気まずいが、ルシウスの用事が終わらないことにはこの沈黙はどうにもできそうにない。

「お前が」
「え?」
「自分から手紙を送ってこいと言っておきながら、返事も返さないなんて、マグル育ちは常識がなくて困る」

 ドラコは苛立たしげに言った。ハリエットがポカンとした顔になるのを見て、だから言うのは嫌だったんだとドラコは内心で悪態をついた。これでは、まるで返事を期待していたみたいで。本当のところは、ただ自分が損したような気になって悔しいだけなのに。

「あ……ごめんなさい。あの、本当に」

 ハリエットは途端にオロオロした。すっかり忘れていたが、今ようやく思い出した。この夏休みは、ずっとドビーによって手紙を止められていたことを。

「話せば長くなるんだけど、私の家、夏休み中ずっと届いた手紙を没収されてたのよ。だからあなたの手紙も見ることができなくて……ごめんなさい」

 隠れ穴に移った後も、ウィルビーの具合が悪くてドラコの家に手紙は送れなかった。ハーマイオニーへの手紙は、ハリーの手紙と一緒にヘドウィグに届けてもらったが、ドラコの家までともなると、何だか気が引けて借りられなかったのだ。

「でも、ちょっと嬉しかったわ。私に手紙書いてくれてたなんて。読めなかったのが本当に残念」
「儀礼的に送っただけだ」
「それでもよ」

 それ以降会話はなくなったが、もうそれほど気まずいと思うことはなかった。ドラコの態度も、少しだけ態度が軟化したような気がしてホッとした。