■アズカバンの囚人
13:襲われたロン
ルーピンとの始めの授業では、銀色の靄のようなものが杖から出て、ハリーも一層訓練に励んだが、そこからは一向に先に進まなかった。なかなか動物の形にならないのだ。
授業の終わりには、ルーピンはいつもお菓子を出してくれた。今日は三本の箒のバタービールだ。
「ホグズミードのバタービールだよ。今まで飲んだことがないだろう?」
「うわあ、僕これ大好きです!」
思わずハリーがそう漏らせば、ルーピンは不審にそうに眉を寄せた。ハリーは慌てて付け足す。
「あの、ロンとハーマイオニーが持ってきてくれたので」
「そうか」
ルーピンはそれでもまだ腑に落ちない様子だった。
「本当はハリエットにも飲ませてあげたかったが」
「あー……はい」
気まずそうに顔を逸らすハリーに、ルーピンは首を傾げた。
「そういえば、君たちは喧嘩でもしているのかい?」
「えっ?」
「最近、あまり一緒にいるところを見ないが」
「あー、えっと」
ハリーは言葉を濁した。ファイアボルトのことを言おうかとも思ったが、ルーピンのことだ、きっとハリエット達の肩を持つだろう。
そう思って、ハリーは少しだけ冷静になった。そう、正しい大人なら、きっと皆がファイアボルトのことを警戒する。ハリーは、ブラックのことが憎いとは思いながらも、突然現れた憧れの箒に目を曇らせ、判断能力を鈍らせたのだ。
「……ちょっと喧嘩してしまって。僕が悪いんです」
「そうか。それが分かるだけでも充分じゃないか」
「はい」
「きっとハリエットも寂しがってるはずだよ」
「……でも、ハリエットは」
ハリーは結局、ファイアボルトのことを説明した。そしてその上で気になっていたことを口にした。
「僕に危険だって言っておきながら、一人で禁じられた森まで行ったりするんです」
「森まで!?」
ルーピンは驚きの声を上げた。
「あ、いえ、森の中には入ってないんですけど。森の中に黒い犬が住んでて、その子に会いに行ってるみたいなんです。一人だけで」
「犬……?」
ルーピンの声が低くなった。ハリーは頷く。
「はい。その子、最初はダーズリー……僕たちが暮らしてる家の近くに現れて、今は森に住んでるみたいなんです。ハリエットは動物が好きだから、その子に名前をつけて可愛がってて」
「犬ってどれくらいの大きさだい?」
「結構大きいです。これくらいです」
ハリーは両手を広げて見せた。ルーピンは蒼白となって立ち上がった。
「ハリエットはどこだい?」
「えっ……分かりません。いるとすれば談話室か、森の近くだと思います」
「ハリー、私は先に行くよ。飲み終わったらそこに置いておいて」
ルーピンは怖い顔で部屋を出て行った。何かまずいことでも言ったのかとハリーは困惑するばかりだった。
部屋を出たルーピンは、まず玄関ホールに向かった。談話室にいるならまだいい。森の近くなら、もう――。
ハリエットとは、一階の階段で鉢合わせた。
「ハリエット!」
「ルーピン先生?」
授業外で初めて声をかけられ、ハリエットは驚いているようだった。
「どこに行っていたんだい?」
そして、唐突に問われ、ハリエットはますます困惑した。
「あ、あの……?」
「禁じられた森かい?」
「――っ」
ハリエットは分かりやすく動揺した。ルーピンは彼女に詰め寄る。
「ハリーから聞いた。森で黒い犬と会ってるそうだね?」
「あ……」
「一人で? 今も一人で行っていたのかい?」
「は、はい」
「どうしてそんな危険なことをするんだ?」
ルーピンの顔は怖かった。通り過ぎる生徒が、何事かと二人に視線を向けた。
「あの、えっと……」
「ハリエット、もう一人で行動しちゃ駄目だ。その犬にも近づいてはいけない」
「どうしてですか?」
ハリエットは恐る恐るルーピンを見た。
「一人で外に出ちゃいけないっていうのは分かります。でも、スナ――あの子に会っちゃいけないって」
「危険だからだよ!」
どうして分からないんだ、とでもいうような口調でルーピンは声を荒げる。
「シリウス・ブラックが、その……犬を使って君を誘き出すかもしれない!」
「でも、そんな回りくどいこと」
するはずがない、という言葉はルーピンによってかき消された。
「とにかく!」
ルーピンの手が、ハリエットの肩に食い込んだ。
「もう絶対にその犬に会いに行っちゃいけない。分かったね?」
「…………」
ハリエットが答えられずにいると、ルーピンは視線を鋭くした。
「約束してくれないと、僕は君にも監視をつけるようマクゴナガル先生に報告しないといけなくなる。分かったかい?」
ハリエットは青い顔で頷いた。そうしないと、ルーピンがもっと恐くなるような気がした。
*****
しばらくして行われたグリフィンドール対レイブンクローの試合は、グリフィンドールの勝利で幕を下ろした。途中で、スリザリンのフリントや、クラッブ、ゴイルが吸魂鬼の真似をしてハリーを驚かす悪戯が行われたが、ハリーは焦ることなく守護霊の呪文で撃退。彼ら三人には厳しい処罰と五十点減点がなされた。
そしてその日の夜、グリフィンドール塔ではもちろん祝賀会が開かれた。たくさん食べ、たくさん祝い、夜遅く皆がベッドについた頃。
ハリー達の部屋に絶叫が響き渡った。ロンの悲鳴だった。
ハリーが飛び起きると、ロンの無事な姿を確認できた。だが、カーテンが片側から切り裂かれ、ロンは恐怖で引きつった顔をしていた。
「ブラックだ! シリウス・ブラックだ! ナイフを持ってた!」
「えっ?」
「ここに、たった今! カーテンを切ったんだ! それで目が覚めたんだ!」
ロンの絶叫に、他の寝室の生徒も起きだした。
「ロン、本当に夢じゃなかった?」
「本当だってば! ブラックを見たんだ!」
「騒がしいですよ!」
ロンの異常な様子に、マクゴナガルもやってきた。
「グリフィンドールが勝ったのは私も嬉しいです。でもこれでははしゃぎすぎです。パーシー、あなたがもっとしっかりしなければ」
「先生! 僕目が覚めたら、シリウス・ブラックがナイフを持って、僕の上に立ってたんです!」
「ウィーズリー、冗談はおよしなさい。肖像画の穴をどうやって通過できたと言うんです?」
「あの人に聞いてください! それで分かります!」
マクゴナガルがカドガン卿に、グリフィンドール塔に男を一人通したかと聞けば、彼は得意げに通したと答えた。そして彼は、合い言葉が書かれた紙切れを持っていたという。
翌日から警戒はまた厳しくなった。カドガン卿はクビになり、太った婦人が戻ってきた。彼女のために、無愛想なトロールが数人雇われた。
合い言葉が書かれた紙切れを落としてしまったネビルには吠えメールが来て、スリザリンの生徒は大爆笑だった。それに紛れて、ハリーのところにも手紙が来た。ハグリッドからのもので、自分の所にお茶に来ないかというものだ。そこにはハリーとロンの名前しかなく、ハリエットやハーマイオニーの名はない。何となく彼も今のギスギスした四人の事情を知っているのではないか、とハリーは思った。
小屋でパンと茶を出しながら、ハグリッドは語った。
「ハーマイオニーのことだ」
「ハーマイオニーがどうかしたの?」
「あの子は随分気が動転しとる。クリスマス辺りから、ハーマイオニーはよくここに来た。寂しかったんだな。最初はファイアボルトのことでお前さんらはあの子と口をきかんようになった。今度はあの子の猫が――」
「スキャバーズを食ったんだ!」
ロンがいきり立って口を挟んだ。
「しょっちゅう泣いとったぞ。あの子は今大変な思いをしとる。勉強をあんなにたくさん。そんでも時間を見つけてバックビークの裁判の手伝いをしてくれた。ハリエットもな。お前さんら二人なら、箒やネズミより友達の方を大切にすると、俺はそう思っとったぞ。言いてえのはそれだけだ」
続いてハグリッドは懐かしむような目をした。
「ハリエットもな、ここんところここにすら姿を見せねえ。前はな、よく一人でここまで来て、あそこの……森のすぐ側で、犬と遊んどったのに」
ハリーはギクリと肩を揺らした。ルーピンに悪気なくハリエットとスナッフルのことを漏らし、そして彼は怒ったように部屋を出て行ったが……あの後、もしかしてハリエットはこっぴどく叱られてしまったのだろうか。
「まあ、それが一番だが。ブラックが狙う可能性があるのはハリーだけじゃねえ」