■炎のゴブレット
21:第三の課題
スキーターによるハーマイオニーの中傷記事は、月曜日に影響が出た。いつものように広間で朝食を食べていると、何羽ものふくろうがハーマイオニーの元へやってきたのだ。彼らが持ってきた手紙は全てスキーターの記事を読んだ人たちがハーマイオニーを非難するものだった。
ハーマイオニーは律儀に全ての手紙を開けようとするので、嫌な予感がしたハリエットは慌てて止めた。
「痛っ!」
だが、ほんの一瞬遅かった。ハーマイオニーが封筒を開けた瞬間、そこから強烈な臭いのする液体が噴き出し、ハーマイオニーとハリエットの手にかかったのだ。途端に黄色い腫れ物がブツブツ膨れ上がる。
「腫れ草の膿の薄めてない奴だ!」
「ああ、ハリエット、ごめんなさい。私のせいであなたまで……」
「ううん、私は大丈夫。一緒に医務室に行きましょう」
ナプキンで拭き取りながら、ハリエットとハーマイオニーは一緒に立ち上がった。
「ついて行こうか?」
「ううん、大丈夫」
医務室へ向かっている途中、ハーマイオニーは少し落ち込んだ様子だった。無理もない。
「これからは、ああいう手紙は全て燃やした方が良いかも。私のときもそうだったから」
「ハリエットも? そんな素振り全然見せなかったじゃない!」
「私のときは、こんなにひどくはなかったから……」
「それでも、相談くらいはして欲しかったわ」
「ええ、そうね。ありがとう」
医務室で治療を受けた後は、二人揃って両手が包帯でぐるぐる巻きになった。
「私たち、お揃いね」
「もう、そんなこと言ってる場合!? 私、絶対にあの女に目にもの見せてやるんだから!」
そんなやりとりをしながら、ハグリッドの授業へと向かった。
*****
五月の最後の週に、ようやく第三の課題発表が行われた。第三の課題は迷路を攻略することで、中央に三校対抗優勝杯が置かれるため、それに最初に触れた者が満点だという。その途中様々な障害物があるので、選手達はそれを魔法で切り抜ける必要がある。
課題の発表は夜に行われたが、その帰り道、問題が起こった。ハリーとクラムが二人で歩いていると、禁じられた森で病気だとされていたクラウチを発見したのだ。彼は正気を失っているようで、ハリーは急いでダンブルドアを連れてきたが、森に戻ったときには、クラウチは忽然と姿を消していて、気を失ったクラムだけが残されていた。
ハリーが迂闊な行動を取ったことは手紙でシリウスからも怒られ、それからのハリーは大人しく第三の課題のための呪いの練習に明け暮れることになった。しばらくは空き教室で練習していたが、手当たり次第にその時開いていた教室を使うので、見かねたマクゴナガルが変身術の教室を昼休み中使っても良いと許可をもらった。
武装解除や失神の呪文、妨害の呪いに粉々呪文など、たくさんの呪文を練習した。ハーマイオニーは、杖で北の方角を指し示してくれる四方位呪文も見つけてきてくれた。
だが、そんな最中、占い学の授業の時に、ハリーの額の傷が痛んだ。ハリーはダンブルドアの元へ行ったが、そこで、『憂いの篩』と言われる、記憶や想いを整理するときに使う水盤で、ダンブルドアの過去の記憶を垣間見た。それは、魔法省で死喰い人の裁判が行われているときのもので、死喰い人として、イゴール・カルカロフやスネイプの名前が挙げられた。ルード・バグマンは、死喰い人に情報を流したとして、最終的には無罪になったが、裁判に出頭していた。スネイプは、死喰い人ではあったが、ヴォルデモートの失脚前に、自ら大きな危険を冒してダンブルドアの密偵になったという。ダンブルドアがそう保証することで、スネイプは無罪になった。
最後には、クラウチジュニアの裁判で締めくくられた。ジュニアは必死に己の無罪を主張していたが、父のクラウチはこれを聞き入れず、アズカバン行きになった。
ダンブルドアは、ハリーの額の傷が痛むのは、ヴォルデモートがハリーを殺し損ねたときに、その傷を通してハリーとヴォルデモートが繋がったからだという。そのため、ヴォルデモートがハリーの近くにいるとき、もしくは極めて強烈な憎しみに駆られているときに痛むのだという。
談話室に戻ると、ハリーはすぐにこれらのことをハリエット、ロン、ハーマイオニーの三人に報告した。
*****
いよいよ第三の課題が行われる日がやってきた。当日の朝、ハリーの元にシリウスから、泥んこの犬の足型が押しつけてあるカードが送られてきた。ハリエットはいいなあと羨ましがり、ハリーはにんまり笑ってローブのポケットに大事そうにしまった。ロンが『君たち……大丈夫?』という顔をしていたのには気づかない振りをした。
だが、そんな嬉しい時間も束の間で、またもやスキーターによる記事がハリーの心を暗くさせた。スキーターはもうハリーを悲劇の主人公とするのは止めたようで、占い学の授業中にハリーの傷が痛み、教室を退出したことや、それをハリーが錯乱しているのではないかと専門医達が当たりをつけていること、ヘビ語を話せるハリーを警戒せねばならないこと等が書かれていた。
だが、この記事をきっかけに、ハーマイオニーは何かに感づいたようで、期末試験に遅れることを覚悟で図書室に走って行った。
午前のうちに、代表選手の家族がホグワーツにやってきた。最終課題の観戦に招待されたのだ。ハリーの家族として、ウィーズリー一家がやってきた。一瞬ダーズリーが来るのではと想像してしまったハリーは、モリーとビルを見てニコニコした。
ハリーは午後一杯二人をホグワーツに案内し、ハリエット達は、期末試験に精を出した。
夕方には、ようやく試験も終わり、残る不安はハリーの第三課題のみとなった。
大広間までやってきたところで、ハリエットはようやくと重要なことを思い出した。
「私、談話室に行ってくるわ!」
「もうすぐ晩餐会よ?」
「万眼鏡を持ってくるの忘れたの!」
おざなりに手を振って、ハリエットは素早い動きで人の波をすり抜け、広間を出て行った。
「ホント、ハリエットってばコリンに似てきたな」
「第二のコリン誕生ね」
ロンとハーマイオニーの呆れたような呟きは聞こえていなかった。
談話室には、ほとんど誰もいなかった。今日が最終課題で要人もたくさん招かれているので、夕食は豪華らしいのだ。生徒たちはそれを楽しみにすぐさま広間へ向かったのだろう。
早くご飯が食べたいと、人気のない廊下を駆け抜けていると、曲がり角で誰かとぶつかりそうになった。
「む、ムーディ先生!」
誰もいないからと走っていたのを咎められるのではないかと、ハリエットは薄ら冷や汗を流した。しかしムーディは『随分と慌てているようだな』とだけで終わらせてくれ、減点はなかった。
ムーディは手に忍びの地図を持っていた。ハリエットがまじまじと見つめていることに気づき、ムーディはそれを鞄にしまった。
「ポッターに借りた。ポッターから聞いてるな? 怪しい動きをしている奴がいないか見張ってるんだ」
何となく一緒に歩く流れになって、ハリエットとムーディは肩を並べた。
「ポッターの様子はどうだ? 今日はいけそうか?」
「たぶん……やれるだけのことはやりましたから」
ハリエットはきゅっと万眼鏡を握った。
「でも、無事に戻ってきてくれるだけで充分です」
「そうだろうな……お前はそうだろうな」
どこかぼうっとした様子でムーディは答えた。
「これから夕食か?」
「はい」
「悪いが、その前にわしの手伝いを頼んでもいいか? 第三の課題も、ミス・ポッターの協力が必要だ」
「今回も人質が必要なんですか?」
「人質というよりは、一足先に候補者を迎えるため……という役割だな。優勝するしないにかかわらず、家族の無事を一番先に確かめたいだろう?」
「――はい! ぜひ!」
「悪いな。じゃあ、まずわしの部屋に行こう。そこに優勝杯があるんだ。わしは迷路に優勝杯を運び込む仕事があってな。その準備をする……」
それから、ムーディの後に続いて、彼の部屋に行った。部屋に入り、扉を閉め、そして前を向いたとき、何か閃光が瞬いた。それは真っ直ぐハリエットの胸に当たり、そして――ハリエットは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
*****
次にハリエットが目を覚ましたとき、彼女は固い地面の上に身を横たえていた。すぐに起き上がろうとしたが、身体が動かない。全身を縛られていた。そのままの体勢で顔だけ上げると、ハリエットはその視線の先の光景に、顔を盛大に引きつらせた。
「ひっ……!」
目の前に、毛むくじゃらの巨大な蜘蛛がいた。見上げるほどに大きく、カサカサと四方に動く手足は見ていて気分が悪くなってくるほどだ。今ならロンの気持ちが分かった。――蜘蛛は嫌いだ。
食べられてしまうとハリエットは確信した。だが、何とか逃げ出そうとしても、惨めにバタバタとその場を転がるだけで、思うように逃げられない。ハリエットは泣きそうになった。
巨大蜘蛛は、興味深そうにハリエットの側をウロウロした。ハリエットにはせいぜい身体を縮こまらせることくらいしかできない。だが、何かを感じ取ったのか、蜘蛛の動きはふと止まり、まるで何かに導かれるように、急に素早い動きで生け垣の上に登った。
蜘蛛がいなくなったことで、少しハリエットにも周りを見る余裕が出てきた。ハリエットは、迷路のような生け垣に囲まれていた。すぐ側には、眩しいほどに輝くカップのようなものがある。ハリエットがそれに気を取られていると、バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきた。そちらに顔を向けると、誰かが走ってくるのが見えた。杖先に灯りを点して駆けてくるのは――セドリックだった。
「ハリエット?」
セドリックは困惑した表情で足を緩めた。
「どうしてこんな所に?」
「わ、私も分からないの。気がついたらここに――」
セドリックを見上げたハリエットの顔が、恐怖で凍り付いた。生け垣に登った巨大蜘蛛が、ターゲットをセドリックに絞っていた。
「セドリック!」
「左を見て!」
ハリエットの声と、誰かの声が重なった。セドリックが左の方を見、間一髪で身を翻し、衝突を避けた。足をもつれさせて転んだセドリックに、蜘蛛はのしかかろうとした。
「ステューピファイ!」
蜘蛛の後ろからハリーが現れ、呪文を放った。確かに直撃したはずなのに、しかし巨大蜘蛛には何の影響もなかった。
「フィニート!」
セドリックが杖を拾い、ハリエットの拘束を解いた。
「君は逃げて!」
「で、でも――」
巨大蜘蛛は今度はハリーに向かっていった。
「ステューピファイ! インペディメンタ!」
ハリーは立て続けに呪文を放ったが、蜘蛛には何の効き目もなかった。大きすぎるせいか、魔力が高いせいか、呪文をかけても蜘蛛を怒らせるばかりだ。蜘蛛はハリーを前足で挟み、宙づりにした。
「は、ハリー!」
「ステューピファイ!」
セドリックの麻痺呪文も何の効き目もなかった。杖はどこか、とハリエットはローブをまさぐった。しかしいつもの所に杖はない。代わりに万眼鏡ならあった。
こんなもの! と思ったハリエットだが、すぐに思い直し、キッと蜘蛛を睨み付けると、狙いを定め、蜘蛛に投げつけた。
蜘蛛に魔法はほとんど効果はないようだが、物理的な攻撃なら多少は影響があるらしい。蜘蛛はハリーを取り落とし、ぐりんとハリエットに向き直った。ハリエットの足は恐怖で凍り付いた。
蜘蛛は素早い動きでハリエットに近寄ってきた。ハサミを振り上げ、今にも襲いかかろうと――。
その時、ハリエットは誰かに身体を押され、地面に倒れ込んだ。気がついたときには、ハリエットの代わりに、セドリックが蜘蛛に宙づりにされていた。
蜘蛛はまるで捧げ物をするかのようにセドリックを高々と掲げ、ハサミを近づける。セドリックは蜘蛛の下腹部めがけて杖を高く構え、力強く叫んだ。
「ステューピファイ!」
同時にハリーも同じ呪文を叫んだ。一つの呪文ではできなかったことが、二つ呪文が重なることで効果を上げた。蜘蛛はセドリックごと横倒しになり、側の生け垣を押しつぶした。ゴツンと重いものがぶつかる音が響く。
「セドリック!」
セドリックは、蜘蛛の巨体に押しつぶされかかっていた。ハリエットはハリーと協力し、何とか彼の身体を救出した。しかし意識はない。慌てて脈をとると、ちゃんと一定の間隔で脈打っていた。ハリエットは安堵のあまり脱力した。
「ハリエット……どうしてここに?」
ハリーは喘ぎながら言った。ハリエットは力なく首を降る。
「それが、全く分からないの。気がついたらこの場所に――っ、ハリー、その傷どうしたの!?」
ハリーの片足からは、おびただしいほどの出血があった。破れたローブに、蜘蛛のハサミのべっとりとした糊のような分泌物がこびりついている。立とうとしていたので、ハリエットは慌てて彼を支えた。
「ここはどこなの?」
「第三の課題の迷路の中だよ」
「私、今回も人質なの?」
「誰かに連れて来られたんじゃないの?」
双方とも、何が何だか分からない状況だった。
「万眼鏡を取りに談話室に戻って、それから……後のことは覚えてないわ」
階段を降りていた所までは覚えている。だが、それ以上のこととなると、どうも靄がかかったように思い出せないのだ。
「誰かに記憶を消されたのかも」
ハリーは険しい表情になった。
「今回の課題は、何か変だ。ひとまず助けを呼ぼう。セドリックを介抱しないと」
ハリーは杖を上に上げ、空中に赤い火花を打ち上げた。
「変って、何かあったの?」
「クラムがセドリックに磔の呪文を使った」
「――えっ?」
ハリエットは一瞬何を言われたのか分からなかった。
「クラムが、そんな……」
「それに、ハリエットが人質だとして、どうしてハリエットだけ? 他の皆は? こんな危険なところに身体を縛って放置するなんておかしい」
ハリーは、優勝杯には目もくれず、その場にしゃがみ込んだ。ハリエットも同じく、疲れたように地面に座り込んだ。話をする気力もなかった。だが、気絶している蜘蛛を監視することだけは忘れなかった。今にも動き出しそうなその蜘蛛を、野放しにするわけにはいかない――。
だらりと垂れ下がった足の一本がぴくりと震えた気がして、ハリエットは背筋を正した。
「ねえ、ハリー? 今その蜘蛛動かなかった?」
「えっ」
不穏な台詞に、ハリーはビクッと身体を揺らした。
「そろそろ目を覚ますのかも……」
「ここから離れた方が良いんじゃない? セドリックを連れて」
「それか、セドリックの杖を借りて、同時に失神呪文をかけるんだ。それなら何とかなるかも……」
ハリーはセドリックを優勝杯の近くまで引きずった。ハリエットは、嫌々ながら蜘蛛の近くまで寄り、セドリックの杖を拾った。
「――インペリオ!」
囁き声が聞こえたと思ったら、圧倒的な幸福感がハリエットを包み込んだ。全ての思いも悩みも優しく拭い去られ、漠然とした幸せな気持ちだけが残る。虚ろな脳みその所から、誰かの声が響いてきた。
『ハリー・ポッターの腕を掴み、優勝杯に触れろ……』
ハリエットはその声に何の疑問も抱かなかった。呼吸するのと同じように、ハリエットは忠実にその声に従った。くるりと振り返り、四苦八苦しながらセドリックを移動させようとしているハリーの腕をとり、優勝杯に触れる。
途端に、ハリエットはへその裏側の辺りがぐいと引っ張られるように感じた。両脚が地面を離れたが、ハリエットは決してハリーの腕を離さなかった。