■炎のゴブレット
24:明日に向けて
ハリエットは、ホグワーツ城の壁を背もたれに座り込み、ぼうっと考え込んでいた。
あの日の夜――ヴォルデモートが復活した出来事は、当然のことながらハリエットに深い衝撃を与えていた。
両親の敵が復活した。そして彼は、ハリーの命をも狙っている――。
それを考えると、自ずと身体は震えるし、鼓動が早くなる。ダンブルドアと並ぶかもしれない闇の魔法使いが、ハリーを狙っているのだ。恐くて堪らない。もしも、ハリーまで失ってしまったら……。
ハリエットを恐怖と混乱に陥れる要素はまだたくさんあった。ハリエットはあの夜、何もできずに、ただハリーが痛めつけられているのを見ていることしかできなかった。拘束されていたとはいえ、何もできなかった。ハリーに勇気を与えることもできなかった。声すら出なかった。そんな自分が、腹立たしくて、そして悔しかった。
あの墓場で、ヴォルデモートがルシウス・マルフォイの名を呼んだことも衝撃だった。死喰い人として、ルシウスがあの場にはせ参じたことが信じられなかったのだ。クィディッチ・ワールドカップで、何の罪もないマグルの家族を宙づりにし、辱めた死喰い人達――。しかも、ヴォルデモートが言うには、その集団の先頭に立ったのがルシウスだという。尚更寒気がする思いだった。
ドラコは、大人になったら、ルシウスのようになるのだろうか? 死喰い人の仲間入りをして、マグルいじめをするような仲間に入るのだろうか?
そこまで考えて、ハリエットはすぐに首を振った。
噂や想像、憶測に惑わされてはいけない。自分自身が今まで見てきたものを信じる必要がある。周りに惑わされてもいけないし、かといってファッジのように、真実から目を背けてもいけない。
何より――ハリエットは、ドラコのことが好きだった。ハリーやロン、ハーマイオニーに辛く当たる所ははっきり言って嫌いだが、しかし、どうにも憎めない。ハリエットが本当に助けを必要としているとき、彼はいつも助けてくれた。嫌なことも何度も言われたが、それでも、素直な感情をぶつけることができる彼は、大切な存在だ。
ひょっとしたら、ロンやハーマイオニーと同じくらい好きかもしれない。こんなことを言えばハリー達三人には嫌がられてしまうかもしれないが、しかし、ハリエットはここまで育った感情を、今更見なかったことにはできなかった。
芝生を踏みしめる音がして、ハリエットは振り返った。丁度曲がり角を曲がってきたドラコと目が合う。
「箒の練習?」
ハリエットはにっこり微笑んだ。
「……ただの気晴らしだ」
偽者ムーディがいなくなってから、この時間――闇の魔術に対する防衛術は、いつも休講になっていた。本物のムーディも、まだ医務室で休んでいる状態だ。突然できた空き時間で、ハリエットは何となくこの場所に足を向けた。この場所に行けば会えるのではないかと、そんな予感があったからだ。
「これ、コリンからもらったの。一枚ずつ」
ハリエットは白い封筒を指しだした。中には一枚の写真が入っている。
「ダンスパーティーの時の」
それだけ言えば、ドラコも合点がいったのか、それ以上追求しなかった。
「来学年からはまたクィディッチの試合が始まるわね」
「ああ」
「グリフィンドールとスリザリンの試合はもちろんグリフィンドールを応援するけど、スリザリンが他の寮と戦うときはスリザリンを応援するわ。スニッチ取れると良いわね」
「ああ……」
初夏の湿った風が二人の間を通り抜けた。
立ち尽くしたままのドラコは、どこか落ち込んでいるようにも、悩んでいるようにも見えた。遠い目で、どこか別の所を見つめている。
もしかして、父親から何か言われたのだろうか。
ヴォルデモートが復活したから、自分の立ち位置を弁えろ、交友関係を洗い直せ、マルフォイ家として恥ずかしくない行動を取るようにと――。
「ドラコ!」
思っていた以上に大きい声が出た。ドラコは驚いたようにハリエットを見た。ようやく目が合ったとハリエットは思った。
「ねえ、久しぶりに箒に乗せてくれない?」
「は?」
「私、自分用の箒持ってないの。後ろに乗せてくれない?」
「どうして僕が……ポッターに乗せてもらえば良いだろう」
「ハリーの箒は早いから恐そう」
「嫌味か!」
ドラコはぷんぷん怒った。僕の技術を馬鹿にしてるのかとか、ファイアボルトに比べたら遅いに決まってるとか。
いつも通りのドラコが戻ってきた気がして、ハリエットはカラカラと笑ってしまった。それに対し、ドラコはまた一層目くじらを立てた。
*****
それから一ヶ月が経った。その間、ハリー達三人をそっとしておくよう、質問などしないようダンブルドアが生徒達に諭したおかげで、比較的穏やかに過ごすことができていた。
大勢の生徒が三人を遠巻きにした。途切れ途切れに聞こえてくる『ヴォルデモートが復活した』という言葉が、着実に恐怖と混乱を招いていた。
ロンとハーマイオニーも、ハリー達と一緒にいる中で、あのときの出来事を聞こうとはしなかった。ホグワーツの外で起こっていることの何らかの頼り――何か確かなことが分かるまでは、あれこれ詮索しても仕方がないということを分かっているようだった。
何事もなかったかのように、四人で他愛もない話をしたり、チェスをしたりすることで気は休まった。
夏休みに入る前夜の夕食では、ダンブルドアから生徒たちにいよいよ声明があった。
「今夜は皆に色々と話したいことがある」
ダンブルドアはそう始めた。
「皆はさぞ気にかかっているじゃろう――一ヶ月前の、第三課題の夜、何があったかについて」
皆がダンブルドアを見つめた。
「あの夜、ヴォルデモート卿が復活したのじゃ」
大広間に、恐怖に駆られたざわめきが走った。皆一斉にまさかという面持ちで、恐ろしそうにダンブルドアを見つめていた。
「ハリー、ハリエット、セドリックの三人は、ヴォルデモートのしもべによって別の場所に連れ去られた。優勝杯が移動キーになっていたのじゃ。三人はそこでヴォルデモート卿の復活を見た。魔法省は、わしがこのことを皆に話すことを望んでおらぬ。その理由は、ヴォルデモート卿の復活を信じられぬからじゃ。しかし、目を逸らしていても事実は変わらぬ。見て見ぬ振りをする間に、事態がもっと深刻になることを、わしは最も危惧しておる」
ダンブルドアは冷静に続けた。
「三人は、辛くも力を合わせてホグワーツに戻ってきた。ヴォルデモート卿と対峙したにもかかわらず、誰一人として欠けることなく、我々の元に戻って来てくれた。それが故に、わしはハリー・ポッター、セドリック・ディゴリー、ハリエット・ポッターの三人を讃えたい」
ダンブルドアは三人を順に見つめ、ゴブレットを上げた。大広間のほとんどの者がダンブルドアに続いた。スリザリン生のほとんどは頑なに席に着いたまま、ゴブレットに手も触れずにいた。ハリエットはドラコの方を見ることができなかった。
「三大魔法学校対抗試合の目的は、魔法界の相互理解を深め、進めることじゃ。ヴォルデモート卿の復活については、そのような絆は以前にも増して重要になる」
ダンブルドアはボーバトンの生徒とダームストラングの生徒に視線を巡らせた。
「この大広間にいる全ての客人は、好きなときにいつでもまた、おいでくだされ。皆にもう一度言おう――ヴォルデモート卿の復活に鑑みて、我々は結束すれば強く、バラバラでは弱い。ヴォルデモート卿は不和と敵対感情を蔓延させる能力に長けておる。それと戦うには、同じくらい強い友情と信頼の絆を示すしかない。それをどうか忘れずにいてもらいたい――」
*****
ホグワーツ特急のコンパートメントでは、ハリー達四人で一つを独占した。そこで、ハーマイオニーは嬉しそうに自分が成し遂げたことを報告した。なんと、あのリータ・スキーターの謎を突き止めたという。
スキーターは、実は未登録のアニメーガスで、コガネムシに変身できるのだ。ホグワーツに立ち入り禁止でも、コガネムシに変身して、ハリエットとジャスティンやハグリッドとマダム・マクシームの会話を盗み聞きしたのだ。
ハーマイオニーは、実際にスキーターが変身したコガネムシをガラス瓶に入れ、捕まえていた。そしてガラス瓶に『割れない呪文』をかけ、一年間ペンは持たないようスキーターにきつく言い聞かせたという。
その話を終えたところで、コンパートメントの戸がノックされ、セドリックがやってきた。セドリックは手に一千ガリオンが詰まった袋を持っていた。
「今、お邪魔じゃないかな? これをハリーに渡したくて……」
「優勝は君だ」
ハリーは断固とした声で言い切った。
「君が先に優勝杯にたどり着いてたんだから」
「でも、結局は僕は気絶した。優勝は君だよ」
「あれは、君がハリエットを助けようとしたから――」
「でも、君が僕でも助けただろう? 僕が気絶したのは、僕が不甲斐なかったからだよ」
ハリーとセドリックは口論を続けた。互いに誠実で、フェアだからこそ、ここは譲れなかった。結局話し合いは収束せず、セドリックは金貨の袋を席に置き、一旦そのまま席に座ることになった。
「お前達、一体何を争ってるんだ? さっきからうるさいぞ」
フレッドとジョージがノックもせずに顔を出した。
「そんなに気が高ぶるのなら、爆発スナップをして遊ばないか?」
フレッドがカードを取り出した。しばらく大人しくゲームをしていたが、ハリーは気になっていたことを双子に切り出した。
「ねえ、教えてくれない? 誰を脅迫してたの?」
「ああ、あのことか?」
暗い顔で口調でジョージが言った。
フレッドとジョージは、今学年ずっと怪しい動きを見せていた。談話室でこそこそ何かを書いていたり、ふくろう小屋で脅迫だの何だの話していたり……。
「俺たち、諦めたのさ……ルード・バグマン。クィディッチ・ワールドカップで賭けをしてたんだ。アイルランドが勝つけど、クラムがスニッチを取るって」
賭けは見事双子の勝利に終わったが、しかし、バグマンは支払いをレプラコーンの金貨で済ませた。双子は何度もバグマンに手紙を送ったが、彼はこれを無視。バグマンは、小鬼に借金もしていた。そこで、三大対抗試合を賭けの対象にして、バグマンは小鬼相手に、ハリーが優勝すると賭けた。
しかし、結局はハリーとセドリックが引き分けてしまったので、バグマンは支払いができず、トンズラしてしまったのだという。自分たちで悪戯専門店を経営することを夢見ていた二人にとっては、まさに目の前が真っ暗になった状況だろう。
キングズ・クロス駅に到着すると、皆はそれぞれトランクを持って汽車を降りた。ハリーはギリギリまでコンパートメントを降りず、セドリックもまたそうだった。行き場のない金貨の袋があるからだ。
「セドリック……これ、もう二人で分けようか」
「うん。僕もそう言おうと思ってた。公平に……二等分」
セドリックは、気恥ずかしそうに首に手を当てた。
「でも、ひょっとしてだけど、使い道はもう決めてる?」
「えっ?」
「フレッドとジョージ?」
セドリックが聞くと、ハリーは目を瞬かせた。
「どうして分かったの?」
「僕も同じこと考えてたら。もしかして君も……と思って」
ハリーの心は既に決まっていた。だが、セドリックがそう言い出すのは思いもよらず、ハリーは正直なところ困惑していた。しかし理由を尋ねる暇も無く、ハリーはセドリックと共に、慌てて赤毛の双子を探し出し、呼び止めた。そしてグイッと二人に袋を押しつける。
「受け取って」
ハリーが代表して言った。
「何だって?」
「狂ったか?」
ジョージは袋を押し返そうとした。
「ううん、狂ってない。君たちが受け取って、発明を続けてよ。悪戯専門店のためにさ」
「やっぱり狂ってる」
「いいかい」
ハリーは言い聞かせるようにして言った。
「僕、欲しくないし、必要ないんだ。でも僕、少し笑わせて欲しい。僕たち全員、笑いが必要なんだ。これから僕たちは、今までよりもっと笑いが必要になる」
「僕も君たちに受け取って欲しい」
セドリックは微笑んだ。
「そのお金には……僕のいろんな後悔が詰まってるんだ。だから受け取れない」
「でもこれ……一千ガリオンもあるはずだ」
ジョージがハリーとセドリックを見比べながら、小さい声で言った。
「そうさ。カナリア・クリームがいくつ作れるかな」
双子が目を見張る。
「ただ、おばさんには……セドリックからもらったって言って欲しい。おばさんはもう君たちを魔法省に入れることにはそんなに興味ないと思うけど……でも、嫌われたくないから」
ハリーはずいと袋を押しつけた。
「さあ、受け取って。さもないと呪いをかけるぞ。今ならすごい呪いを知ってるんだから。ただ、一つだけお願いがあるんだけど、いいかな? ロンに新しいドレスローブを買ってあげて。君たちからだって言って」
二人はようやく袋を受け取った。ハリーはセドリックに挨拶をして、颯爽と汽車を降りた。
降り口のすぐ側にハリエットが待っていた。
「金貨の行方は悪戯専門店?」
「――どうして分かったの?」
「分かるわよ」
ハリエットは澄ました表情で笑った。柵の向こうに行くと、バーノンが待っているのが見えた。そのすぐ側にはモリーがいる。モリーはハリーとハリエットを抱き締めた。
「夏休みの後半は、あなた達が家に来ることをダンブルドアが許してくださると思うわ。連絡をちょうだいね」
「じゃあな」
ロンが双子の背中を叩いた。
「さよなら、ハリー、ハリエット!」
ハーマイオニーは、これまで一度もしたことのないことをした。ハリーとハリエット、それぞれの頬にキスをしたのだ。
「ハリー――ありがと」
ジョージはもごもごお礼を言い、フレッドはその隣で猛烈に頷いた。
「またホグワーツで会おう、二人とも。元気で」
セドリックも手を上げた。ハリーとハリエットは、皆に手を振り、別れを告げた。
バーノンの方に向かい、挨拶をすると、彼は鼻息で返事を返した。今からダーズリー家に向かうというのに、双子の胸は、少しだけ安らかだった。