■不死鳥の騎士団

01:吸魂鬼現る


 この夏一番の暑い日を、ハリーとハリエットは庭の花壇で過ごしていた。うだるような暑さだったが、もうじき日は暮れようとしている。暑い時間が過ぎるのは待ち遠しいが、ダーズリー家で過ごす苦痛の時間を思うと、どっちもどっちだった。

 二人は肩を並べて花壇に仰向けに寝転んでいた。ハリーはこの夏でぐんと背が伸び、今やハリエットと頭の半分以上は差があった。成長すればするほど、彼の容姿は亡き父ジェームズそっくりだ。朝起きると、黒髪は必ずくしゃくしゃに爆発していてなかなか持ち主の言うことを聞かないが、しかし綺麗に整えたときは、精悍な顔つきと、亡き母リリーそっくりの輝くような緑色の瞳が覗いた。

 ハリエットも、夏に少し背は伸びたが、やはり男の子の成長には適わず、ハリーと比べて相変わらず小柄だ。赤毛は背中の中程まで延び、このまま伸ばすべきかとハリエットを悩ませた。もうじき十五歳となる彼女は、身体つきも女性らしく丸みを帯び、綺麗になった。亡き母の端麗な容姿を余すことなく受け継いだ彼女は、瞳だけは亡き父と同じ色を受け継いだ。時々悪戯っぽく光るそのハシバミ色の瞳は、見た目とのギャップも相まって可愛らしかった。

 開け放たれた窓から聞こえてくるテレビのニュースは、何気ないものばかりで、取り立てて興味を惹くものはなかった。ここマグル界にいると、魔法界のニュースは一切入ってこないので、せめてマグルのニュースで我慢するしかないのだ。行方不明や不審死など、何かありそうなニュースの裏には、闇の魔法使いの存在が隠れていることも多々あるのだから。

 些細なニュースに聞き飽き、いつしかうとうとし始めたとき、バシッという大きな音が響き渡った。電柱に止まっていたカラスが驚いたように飛び立つ。ダーズリー家の窓からは驚いたような悲鳴と悪態が聞こえた。

 顔を見合わせ、双子が立ち上がると、窓からバーノンの顔が覗いた。

「お前達だな? あの音はなんだ? お前達が出したんだろう!」
「僕達じゃない」
「じゃあそんな所で何をしていた」
「ニュースを聞いてたんだ」

 仕方なしにハリーが答える。だが、バーノンは決して信じず、唾を飛ばしてがなり立てる。ハリーは面倒くさくなって、ハリエットの腕を引いて庭をでた。バーノンが呼び止めたが、二人は止まらなかった。

「あの音って、姿現しの音よね?」
「それか、姿くらましだね」

 確認するように通りをキョロキョロしながら歩いたが、それらしき人影は見当たらない。気のせいだったのだろうか、と二人はちょっと落ち込んだ。

 だが、それもそのはず、二人は夏休みに入ってから、徹底的に『魔法』からは断絶されていて、ストレスを抱えていた。前年復活したヴォルデモートのことについて、少しでも情報を集めたいのに、ヴォルデモートのヴの文字もマグルのニュースには上がってこない。日刊予言者新聞やロン、ハーマイオニーから情報収集しようとしても、新聞はヴォルデモートのことなんて一言も書かれていないし、友人達は手紙を盗まれることを危惧して言葉を濁すばかりだ。

 ハリーのイライラは最高潮に達し、そんな彼を間近で見ているハリエットは、逆に冷静になって彼を宥めることに徹底していた。

 ハリー達は、マグノリア・クレセント通りを抜け、公園に入った。行く宛もなかったので、人気のないブランコに腰を下ろす。

 二人とも、口を開かなかった。ただ夏の暑い風に髪をなびかせながら、イライラと不安を胸の中に燻らせる。

 下品な笑い声を響かせながら、数人の足音が聞こえてきた。ハリーにはすぐ彼らがダドリー軍団だと分かった。ダドリーは、一年間のダイエットを乗り越え、ボクシングを始めた。最近はジュニアヘビー級のチャンピオンになり、ますますボクシングに磨きがかかっていたが、同時に、小学校からの付き合いのダドリー軍団と共に、子供を殴ったり脅したりするので、この辺り一帯の子供達はそれはそれはダドリー軍団のことを怖がっていた。

 ハリーがイライラを込めてその一行を睨んでいると、その中の一人がふいと公園を見た。夜の帳が下り、辺りは暗かったが、街灯に照らされた赤毛はよく映えた。

「おい」

 マルコムが気軽にダドリーの肩を叩いた。

「ビッグDんところの居候じゃないか」
「間違いねえ。双子だ!」

 ダドリー軍団はニヤニヤ笑いながら公園までやってきた。

「こんな所で寂しそうにどうした? ママのお迎えでも待ってるのか?」

 ピアーズは嘲るように笑った。誰かを馬鹿にすることに命をかけてるような少年である。ダドリーは、一歩下がったところで落ち着かなく視線を彷徨わせていた。

「お前のパパママはよっぽど貧乏だと見た。なんだその格好? ゴミ捨て場から拾ってきたのか?」

 ゲラゲラと笑い声が一斉に上がる。ハリエットはムッとしたように眉を吊り上げたが、ハリーが何も言わないので大人しくなる。

 ハリーは相変わらずのボロボロの格好をしていた。時々服は買っていたが、バーノン達は魔法界で購入した服はお気に召さないらしく、どうしてもダドリーのお下がりを着せたがったのだ。

 とはいえ、ハリエットの方は、さすがに年頃の少女なので、好きな服を着せてもらえた。ハリエットは、いつも魔法界の通販で服を買い揃え、時々ハリーにも選んであげていた。今日の格好は特にお気に入りだった。暑い夏を越すため、ノースリーブのワンピースを選んでいた。涼しげなストライプで、腰元のリボンは後ろできゅっと結ばれている。

 ゴードン達は、ニヤニヤ笑いながらハリエットを見ていた。急に標的が変わったのだ。

「おい!」
「いたっ!」

 意地悪く口角を上げて、ゴードンはハリエットの赤毛を引っ張った。釣られるようにしてハリエットは立ち上がる。

「その手を離せ!」
「やだね! 悔しかったらビッグDと決闘でもしてみろよ」

 いきり立つハリーに対し、ゴードンはダドリーを顎で示した。突然話題に上がったダドリーは、面食らって動揺した。

 ダドリーは表には出さないが、内心ではハリーのことを恐れていた。未成年は魔法を使ってはいけない――そのことは知っていたが、動物園のガラスケースが消えたこと、自分の尻に豚の尻尾が生えたこと、舌が一メートルも伸びたこと、伯母が膨らんで浮かんだこと――全てが魔法によって起きた出来事だった。無力でやせっぽちのハリーに負ける気はない。だが、魔法は常識を越えるのだ。何がどうなるか、予想も見当もつかない。

 バーノンとペチュニアは魔法を嫌悪し、ダドリーは恐怖していることが、ダーズリー家唯一の違いだろう。

 ハリーは構わずゴードンに向かったが、その間にダドリーは割って入った。魔法への恐怖ではなく、手下の前で威厳を損なうわけに行かないという思いの方が勝った。

「退けよダドリー」

 ハリーは杖を取り出した。

「そこを退け!」
「――駄目っ!」

 ハリエットは咄嗟に駆けつけようとした。次魔法を使ってしまったら、ハリーは退学処分になってしまう。

「おっと」

 逃がすまいと、ゴードンはハリエットのお腹に手を回した。片腕一本でゆうゆうとハリエットを閉じ込める。

「おい、その辺で……」

 ダドリーは口を開いた。その時だった。

 何かが、夜を変えたのだ。星をちりばめていた群青色の空が、突然光を奪われ、真っ暗闇になった。星が、月が、街灯が、全ての灯りが消え去る。咄嗟の出来事に声すらなくなった。冷たい何かが、地を這って近づいてくるようだった。

「お、おい――」

 ダドリーの恐怖の目がハリーに向いていた。

「何をするつもりだ? 止めろ!」
「僕は何もやってない!」

 この場にいる全員を襲う突然の冷気に、皆は身体を震わせた。

「逃げて!」

 ハリエットは咄嗟に叫んでいた。

「ここから逃げて!」

 ハリエットの声を受けて、まずゴードンが逃げ出した。ハリエットを突き飛ばすようにして走って行く。次にマルコムが、ピアーズが。

 ダドリーはただ一人その場で混乱していた。ハリーを何とかすればこの奇妙な異変は病むと思っていたのだ。

「止めろ! こんなこと止めろ! 殴るぞ!」
「ダドリー、だま――」

 ダドリーの大きな拳がハリーの頬を殴った。ハリエットは悲鳴を上げた。

 ハリエットがハリーに駆け寄ると、その間にダドリーはよたよたと逃げようとした。だが、方向がまずい。彼は、冷気が忍び寄ってくる方向へ今まさに向かおうとしていた。

「ダドリー、戻ってこい!」

 ダドリーの叫び声が上がった。同時に、ハリーは背後にゾクッとする冷気を感じた。間違いなく相手は複数いる。

「杖は!」

 暗闇の中、何とか杖を見つけ、そして。

「エクスペクト・パトローナム!」

 杖先から銀色の気体が飛び出した。辺り一帯を明るく照らしたパトローナスは、複数の吸魂鬼の姿を浮かび上がらせ、そして遠くへ追いやる。

「エクスペクト・パトローナム!」

 しかし、数が多い、多すぎる。あっという間にハリーとハリエットの二人を吸魂鬼が取り囲む。ハリエットが力なくハリーの服を掴んだ。絶望に染まろうとしていたハリーの頭に、ハリエットの顔が浮かんだ。ロンや、ハーマイオニーの笑顔が鮮明に蘇った。

「エクスペクト・パトローナム!」

 ハリーの杖先から、巨大な銀色の牡鹿が飛び出した。牡鹿は次々と吸魂鬼を激しく追い立てていった。

「ダドリー!」

 ダドリーを襲っている吸魂鬼は、今まさにダドリーの顔にキスをしようとしているところだった。

「やっつけろ!」

 ハリーが大声を上げれば、銀色の牡鹿は怒濤の如くハリーの脇をかけ、吸魂鬼を空中に放り投げた。吸魂鬼は仲間達と共に宙に浮かび上がり、暗闇に吸い込まれていく。牡鹿も路地の向こうの橋まで駆け抜け、銀色の靄となって消えた。

「は、ハリー……」

 ハリエットの声は震えていた。

「ありがとう」

 ハリーがいなかったらどうなっていたことか。

 ハリーはそんな妹の頭に手を乗せ、ハリエットは一層兄の身体に身を寄せた。

 ダドリーは身を震わせて地面に転がっていた。ハリーは杖を下ろし、ダドリーの具合を見ようと身体を屈めた瞬間。

「馬鹿! そいつを仕舞うんじゃない!」

 突然女性の声が聞こえた。

「まだ他にもその辺に残ってたらどうするんだね? ああ、マンダンガス・フレッチャーのやつ、あたしゃ殺してやる!」

 現れたのはアラベラ・フィッグだった。老女で、少し変わり者で、ダーズリー一家が出掛けるときにハリー達がよく預けられた、あの――。