■不死鳥の騎士団

05:シリウスの部屋


 ハリーが無罪放免の朗報を持って帰ってきたとき、屋敷は一層騒がしくなった。モリーは少し泣いていたし、フレッド、ジョージ、ジニーの三人は戦いの踊りのような仕草で歌っていた。アーサーはそれに怒りながらも笑うという器用なことをしていた。

 だが、数日経ち、ハリーとハリエットは、このグリモールド・プレイス十二番地に、自分たちがホグワーツに帰ることを心底喜んではいない人間がいることに気づかないわけにはいかなかった。

 シリウスは、最初にこの知らせを聞いたとき、ハリーの手を握り、皆と同じようににっこりして嬉しそうな様子を見事に演じて見せた。しかし、間もなく彼は以前よりも塞ぎ込み、不機嫌になり、ハリーやハリエットとさえもあまり話さなくなった。そして母親が昔使っていた部屋に、ますます長い時間バックビークと一緒に閉じこもるようになった。

「僕、あんな考え無しなことを言うべきじゃなかった」

 何日経ってもシリウスの態度が軟化しないので、ハリーはハリエットにそう愚痴った。ハリエットも同じく項垂れる。

「私も。……安易にシリウスを喜ばせちゃったかも」

 三人で一緒に暮らしたいというのは本当だった。でも、同じくらい――もしかしたらそれ以上――ホグワーツのことが恋しかった。早くクィディッチが見たい、ハグリッドに会いたい、こことは比べものにならないくらい騒がしい席で夕食を食べたい、宿題は面倒だが、次は何をやるんだろうとワクワクするような授業を早く受けたい……。

「シリウスに元気になって欲しい……」
「部屋に行ったら、嫌がられるかしら?」

 皆の前でこんなことを話題に出すわけにもいかず、何とかしてハリエットはシリウスと話したかった。だが、もし万が一、どうしてこんな所に来たとシリウスに追い出されたらと思うと、ハリエットの足は遠のく。

 一人では駄目でも、ハリーと一緒ならと期待を込めて兄を見ると、ハリーも不安そうな顔で頷いた。

「行ってみる? 僕もシリウスと話したい。こんな状態で別れるのは嫌だ」

 意見が一致した。ハリーとハリエットは、活を入れるように微笑むと、意を決して階段を上った。五階まで一気に上がると、控えめに部屋の戸を叩く。

「シリウス……入っても良い?」

 しばらく待ったが、返事は返ってこない。もしかしてこの部屋にはいないのか、とそうっと扉を開けると、バックビークと、その傍らに座り込むシリウスの後ろ姿が見えた。

「……なんだ?」

 思っていたよりも低い声に、ハリエットはおののいた。助けを求めるようにハリーを見ると、ハリーは果敢に部屋に足を踏み入れた。

「シリウス……あの、僕、たくさん手紙書くよ。一ヶ月――あ、いや、週に一度!」
「私……私もね、万眼鏡でハリーのクィディッチの試合たくさん撮って送るわ」

 ハリエットはしっかりした声で請け負った。しかしシリウスからの返事はない。双子はすっかりしょぼくれて顔を見合わせた。

 気まずい沈黙が流れたが、ハリエットも勇気を振り絞ってシリウスの側まで行った。彼の大きな背中を撫でる。

「シリウス……あのね、バックビークばかり構わないで、私たちのことも構って欲しいの」

 ハリエットはスカートの裾を握りしめながら早口で言った。

「私達もうすぐ出発なのよ……バックビークばっかりずるいわ」

 こんな子供っぽいことを言う予定ではなかったのに、咄嗟に口から出てきたのは、いかにも小さい子供が言いそうな言葉ばかり。ハリエットは顔が熱くなるのを感じた。

「……甘えん坊だな」

 シリウスが苦笑するのが分かった。ようやくシリウスが応えてくれて、ハリエットはパッと顔を上げた。

 シリウスは振り返っていた。気恥ずかしそうに笑っている。

「ジェームズも時々びっくりするくらい甘えたになることがあったな」
「それっていつの話?」

 ハリーもシリウスの側にやってきた。

「学生時代だなあ。結婚してからは、しっかりしてきたような気がする。リリーと二人きりの時だとどうだったかは分からないがな」
「私、お父さん達が学生時代の時の話が聞きたいわ」
「それならアルバム持ってくるよ!」

 すぐにハリーは部屋から出て、トランクの中から、ハグリッドからもらったアルバムを持ってきた。

「どれがどういう写真かとか、何してたかが知りたいんだ」
「私も!」

 シリウスを真ん中にして、ハリーとハリエットは、両側からアルバムを覗き込んだ。シリウスは記憶力が良く、どの写真も丁寧に教えてくれた。だが、アルバムはあっという間に終わってしまった。まだ少し物足りない気分だった。

「シリウスは写真持ってないの?」
「数枚なら持っていたような気はするが……」

 ハリーが尋ねると、ハリエットも小首を傾げた。

「私、シリウスの部屋に行きたいわ。駄目?」
「えっ」

 珍しく、シリウスは慌てたような声を出した。

「う、うん……どうだろうな。ちょっと部屋が汚いから……」
「そんなの気にしないよ、ね?」

 ハリーの声かけに、ハリエットも頷いた。

「いや、わたしが気にする」

 それでもシリウスはうんうん唸った。

「ちょ、ちょっと待ってろ。掃除が必要だ……」

 徐に立ち上がると、ソワソワした様子で部屋を出て行った。

 それから、シリウスはすぐに帰ってきた。掃除が必要だ、と言っていた割には驚くくらい早かった。

 三人は揃ってシリウスの部屋に向かった。

 シリウスの部屋は広かった。かつては洒落た部屋だったに違いない。木彫りのヘッドボードがついた大きなベッド。長いビロードのカーテンでほとんど覆われている縦長の大きな窓。天井からは大きなシャンデリアが吊され、壁には絵やポスターがびっしり貼られていた。おそらくシリウスは永久粘着呪文を使ったのだろうことが窺えた。シリウスの両親は、長男の装飾の趣味が気に入らなかったに違いないと思えるからだ。家族と自分とは違うということを強調するためだけに張られたグリフィンドールの大きなペナントや、マグルのオートバイの写真もあった。

 ハリーとハリエットは、あんぐり口を開けて部屋の中を見回った。何だか不思議な気分だった。ホグワーツを卒業する前に家出をしたとはいえ、シリウスは幼少期をずっとこの部屋で過ごしたのだ。

 壁に貼られた唯一の魔法界の写真では、ホグワーツの四人の学生が肩を組み合い、カメラに向かって笑っていた。

 ハリエットは父親を見つけて胸が躍った。くしゃくしゃな黒い髪はハリーと同じに自由にピンピン立っているし、ハリーと同じに眼鏡をかけている。チラリとハリーの顔を横目で見れば、やっぱりそっくりだった。

 父親の隣はシリウスで、無頓着なのにハンサムだ。幸せそうに微笑んでいる。シリウスの右に立っているのはペティグリューで、頭一つ以上背が低く、顔を輝かせて笑っていた。ジェームズの左側にルーピンがいた。その頃にしてややみすぼらしかったが、友人三名同様、幸福に満ち溢れた顔で笑っていた。

 シリウスは、何かを探すように引き出しを開け閉めしていた。ハリエットは四人の集合写真に見入っていたが、ハリーはポスター一枚一枚をじっくり見て回った。試しに一枚剥がしてみようとしたが、やはりピッタリと壁に張り付いていてびくともしない。

 だが、シリウスが部屋の中を動き回って巻き起こる風に、そのうちの数枚のポスターがヒラヒラとはためいているのに気づいた。

 永久粘着呪文をかけなかったポスターもあるのだろうか。

 興味を惹かれて近寄ったハリーだが、そのポスターの下に、更に何かが隠れているのが見えた。無心でそれをめくったハリーだが、茫然とした状態で固まることになった。

「……なに? これ?」

 そこにあったのは、ビキニ姿の若いマグルの女性のポスターだった。

 ハリーは、シリウスの趣味に関してどうこう言うつもりはなかった。だが、ハリーの声に振り返ったシリウスは大いに慌てた。

「――だあーっ! それはっ!」

 シリウスは口をパクパク開けて動転し、更にはハリエットが何事かと振り返ろうとしているのに気づいた。

 ハリエットにだけは見られてなるものかと、シリウスは咄嗟にハリエットを抱き締めた。ハリエットの頭を抱き込むようにして、自由になった腕の一本を使って、身振り手振り、口パクで何とかハリーに伝えようと必死だった。
『それは! 若い頃の! 趣味だ!』
 しかしハリーにきちんと伝わったかは不明だった。ハリーはどこか悟ったような表情でポスターを下ろした。

 シリウスは毛を逆立てた犬のように警戒しながら、ハリエットを放した。ハリエットは耳まで真っ赤になっていた。

「し、シリウス、どうしたの?」
「ああ、いや……すぐそこに虫がいたから、危ないと思って……」
「そ、そう……ありがとう……」

 シリウスは、お願いをするような、脅すような視線をハリーに向けた後、再び写真探しに精を出した。しばらくして、シリウスは嬉しそうな声を上げた。

「見つけた。ほら、これだ」

 手招きしてシリウスはハリーとハリエットを呼んだ。

「懐かしいな……ハリーの小さい頃だ」

 目を細め、彼は二枚の写真を差しだした。黒い髪の男の子が、小さな箒に乗って大声で笑いながら写真から出たり入ったりしている。端ではリリーが笑っていた。ハリーを追いかけている二本の足はジェームズのだろう。

「一歳の誕生日プレゼントにわたしが玩具の箒を贈ったら、ハリーは大喜びでな。飼ってる猫を危うく殺しそうになったり、花瓶を割ったり大騒ぎしながら得意げに乗りこなしていたよ……。ジェームズが面白がって、将来は偉大なクィディッチ選手になるなんてうるさかったな」

 二枚目は、おままごとセットでハリエットが遊んでる写真だった。自由気ままに歩き出すぬいぐるみをようやく椅子に座らせ、おままごとを始めようとしたところで、箒に乗ったハリーが飛び込み、人形に激突していた。ハリエットもハリーもわんわん泣いていた。

「その写真はわたしが撮ったんだ」

 シリウスが笑いをかみ殺して言った。

「ハリエットが機嫌良く遊んでいたのに、そこにハリーが突っ込んできて……。リリーはジェームズにカンカンだったな。一階で箒に乗らせるはずだったのに、どうして二階まで来たんだって。ハリーの飛行技術にみとれたとか何とか言いながら、ジェームズは平謝りだったよ……」

 双子はじっと写真に見入った。自分たちの小さい頃の写真は初めて見た。不思議な気分だった。でも、何かが物足りない。シリウスにもそれは分かっていた。

「どこだったかな……どこかにジェームズからもらった写真があるんだ。家族四人で写ってる写真……」

 シリウスは、引き出しを開け、洋箪笥を漁り、しまいには床に這いつくばって隙間を確認したが、その写真は見当たらなかった。

「どこかにはあるはずなんだが、もうずっと前のことだったから……。見つかったら必ず渡そう」

 申し訳なさそうにシリウスが言い、ハリーとハリエットは頷いた。今はこの二枚の写真だけでも充分だった。

 それから夕食までシリウスの部屋で過ごしたが、夕食を食べに厨房に降りるときには、すっかりシリウスの機嫌は良くなっていた。今まで通り快活な笑顔を見せ、ホストとして皆を笑わせたり場を盛り上げたりした。

 翌日以降も、もうバックビークの部屋に閉じこもることはなくなった。犬になって、一緒に庭で遊んだり、掃除に精を出したり、何をどうしたのか、突然手料理を振る舞ったこともあった。

 夏休み最後の日には、ようやく教科書のリストがホグワーツから届いた。ロン、ハーマイオニーの手紙には一緒に監督生のバッジも同封されていて、二人は大喜びだった。ハリーは少し落ち込んでいたが、シリウスから、シリウスもジェームズも監督生になったことがないという話を聞いて、気分が浮上したようだった。

 監督生のお祝いに、モリーが豪勢な食事を作り、皆はお腹いっぱいに詰め込んだ。