マルフォイ家の娘

08 ―災難続きの二年次―








 ダイアゴン横丁での一件以来、ハリエットはすっかり塞ぎ込んでしまった。ドラコやドビーにも心配されたが、ハリエットが口を開くことはなかった。

 新学期の当日も、ハリエットの表情は浮かなかった。

 ――ホグワーツに行きたくない。

 確かに、そんな風には思った。このまま永遠に夏季休暇が終わらなければ良いのにとも思った。だが、まさかホグワーツに行くことすらできないなんて、誰が想像しただろう!

 カートを押しながら九と四分の三番線を抜けるドラコ、その後に続くルシウスとナルシッサ。ハリエットも、重たい足取りながら、壁に向かって走っていた――だが、急に固い壁にぶつかり、転倒したのだ。ハリエットは何が何だか分からなかった。ホウホウと驚いたように檻の中で暴れるウィルビーを宥めながら、マジマジと壁を見る。――何故だか、急に壁が通り抜けられなくなってしまったのだ!

 壁を触ってみても、固い壁がそのままハリエットの手を押し返す。一体どうしたというのだろうか。ホグワーツに行きたくないというハリエットの思いを、九と四分の三番線は汲んだというのか?

 途方に暮れていると、遠くの方からウィーズリー一家がやってくるのが見えた。ハリエットは慌てて脇にずれて人混みに紛れた。今はロンにもハリーにも会いたくなかった。

 ハリエットの目の前で、ウィーズリー一家はスムーズに壁をすり抜けていく。ハリエットは唖然となった。

 ――やはり、壁が通り抜けられなくなったというのは、自分の勘違いだったのだろうか? 壁は、ちゃんと魔法界への入り口として作用していた?

 問題が起こったのはハリーの番になったときだ。彼もまた、カートを押しながら壁を抜けようとした所、ガツンと衝撃が走り、転倒してしまったのだ。眼鏡も吹っ飛んでしまったようで、ハリエットは咄嗟に駆け寄った。

「ハリー! 大丈夫!?」
「は……ハリエット?」

 ロンから眼鏡を受け取り、ハリーはマジマジとハリエットを見た。

「こんな所で……一人?」
「あ……えっと、私もこの壁通り抜けられなくて」
「ハリエットも?」

 手分けして壁を探ってみるが、相変わらず壁はうんともすんとも言わない。三人はほとほと困り果ててしまった。

「こうなったら、車でホグワーツに行くしかないよ」
「車?」
「うん、空飛ぶ車。パパが改造したのがあるんだ」
「空を飛ばすの!? マグルに見られたらどうするの!?」
「大丈夫だよ。透明にすることができるんだ」

 車の運転ができるのかとか、未成年が魔法の車を操縦しても良いのかとか、ハリエットにはいろんな心配が付きまとったが、今現在二人に大層な負い目がある身として、苦言を口にすることなどできなかった。

 努めて影を薄くして後部座席に身体を押し込んでいると、浮上を終え、車も軌道に乗り始めた頃にハリーが振り向いて話しかけてきた。

「それよりも、ハリエットが元気そうで安心したよ」
「どうして手紙返してくれなかったんだい? ハリーに続いて、君まで何かあったんじゃないかって心配だったんだから。ハーマイオニーなんか、マルフォイに手紙を出そうってイカれた案を出すくらい心配してたんだぜ」
「ごめんなさい……」

 ハリエットはしどろもどろに謝罪した。視線を上げれば、バックミラー越しにロンと目が合い、余計に萎縮する。

「ロン……ロン、ごめんね」
「どうして僕に謝るの?」
「だって、お父様があんなひどいことを言って……なのに私、何も言えなくて」

 ハーマイオニーにもひどいことを言ったのに、とハリエットは小さく続ける。ロンはああ、と納得がいったような声を上げた。

「ダイアゴン横丁でのこと? 別に気にしてないよ。マルフォイの嫌味で耐性できてるし」
「ハーマイオニーだって大丈夫だよ。むしろあんな人が父親代わりで可哀想だって怒ってた」
「もしかして、そんなことくらいで手紙返さなかったの?」

 ロンはぐるりと首を回してハリエットを見た。

「心配して損した。君がマルフォイとは似ても似つかない子だってことは、去年で充分分かってるつもりさ」

 ゆるゆると、ようやくハリエットは笑みを見せた。ロンの言葉は、同時に兄であるドラコをも貶しているのだが、今のハリエットはそのことに気づかない。

「ありがとう、ロン!」
「誤解が解けたみたいで良かったよ。ハリエットには聞きたいことがたくさんあったんだ」
「聞きたいこと?」

 ハリーの言葉にハリエットは前屈みになった。

「うん。屋敷しもべ妖精のせいで僕に手紙が届かなかったってことは伝えたでしょ? ハリエットの家にもたくさんしもべ妖精が働いてるって話だから、どうにかしてその子の主人を突き止められないかと思って」
「そうね、しもべ妖精には独自の繋がりがあるみたいだから、ドビーに聞くことはできるけど……その子の名前は知ってるの?」
「いや、僕も聞いたんだけど、全然教えてくれなかったんだ。ご主人様にバレたらひどい目に遭うって言って、頑なに……。少しでも主人の悪口を言うと、途端に自分にお仕置きをし出すから本当に参ったよ」
「全く、話に聞くだけでもはた迷惑なしもべ妖精だよな。ホグワーツにどんな危険があるって言うんだ? ハリーにとってはダーズリーの家の方がよっぽど最低だろ」

 ハリーの義父であるバーノンに鉄格子のついた部屋に軟禁されていたという話を思い出し、ハリエットは暗い顔になった。純血主義のマグル嫌いと同じようなものなのだろうか。ハリーは何も悪いことをしていないのに。

「名前は分からないけど、その子の特徴なら分かるよ。しわくちゃで、キーキー声で、目が大きいんだ。汚い枕カバーを身につけてた」
「あの……ハリー、ほとんどのしもべ妖精が大体そんな感じだわ、たぶん。少なくとも、マルフォイ家で働いてるしもべ妖精は。私だって、小さい頃は全然見分けがつかなかったもの」
「そっか……だったら主人の特定は難しいかもね」
「せめて名前が分かれば良いんだけど」
「もしまた僕の前に姿を現すことがあれば頑張って聞き出してみるよ」
「ええ、分かったらぜひ教えて。ドビー、ハリーのこと尊敬してるから、きっと喜んで主人探しを手伝ってくれるわ」
「ハリーは魔法生物の間でも有名って訳だ」

 ロンはヒューッと口笛を吹いた。

「そのドビーって、ハリエットと仲良いの?」
「そうよ。昔からマルフォイ家で働いてるしもべ妖精で、私の家族なの。私が赤ちゃんの頃からお世話してもらってたのよ」
「へえ。僕もドビーに会ってみたいな」
「ぜひ! いつか皆にも紹介したいわ。優しくて面白いのよ。お母さんみたいな存在なの」

 ハリエットはニコニコと話をした。マルフォイ家の人間は総じてしもべ妖精のことが好きではないので、誰かにドビーのことを自慢げに話すのはこれが初めてだった。

「ほら、ロン。話に夢中になるのは良いけど、ちゃんと前を見て。ホグワーツ特急が見えてきた」
「ウワッ、早く言ってくれよ!」

 焦りと共にロンはグンと車体を浮上させる。彼の焦りようがおかしくて、ハリエットは大きな笑い声を立てた。ホグワーツに行きたくないだなんて考えていたことは、すっかり頭から抜け落ちていた。


*****


 ウキウキとホグワーツへ向かったハリエットを待っていたのは、スネイプの恐ろしいまでの怒気だった。スネイプは退校処分をちらつかせ、大いに三人を恐怖に陥れた。マクゴナガルもカンカンだったが、どうやら退学にはならない様子だったので、ひとまず胸をなで下ろすことになった。

 散々ドラコにも怒られた。壁を通り抜けられなかったと正直に話したのに、『魔法界の英雄と空を飛んでのご旅行は楽しかったかい?』、『まさかあいつらに感化されて君も目立ちたがり屋になったとは思いも寄らなかった』、『父上から吠えメールが来ても知らないからな』等とあらん限りの一方的な怒号をまくし立て、プンプンしながらスリザリンの方へと去って行った。これには、さすがのハリエットも少々立腹した。少しくらいこちらの言い分を信じてくれたっていいのに。

 結局、一方的にドラコに避けられ続け、次にまともに顔を合わせたのは、グリフィンドールとスリザリンのクィディッチ・チームの練習時間が被ってしまったときだ。

 二つのチームが何やら諍いを起こしているようなので、ハリーの応援に来たハリエット達三人は現場に駆けつけた。

「――彼が新しいシーカーだ」

 得意げに胸を張り、スリザリンの集団から現れたのはドラコだった。幼い頃からの、彼の並々ならぬクィディッチへの執着と努力を知っているハリエットは、途端にパッと笑みを浮かべた。それをまともに真正面から見たドラコは少々ばつの悪い顔をする。――シーカーになったことを報告しなかったことが後ろめたいのか、それとも自分達が冷戦中だということを思い出したのか。

 ドラコの選抜入りは、もちろんルシウスにも報告済みだったらしい。彼のチームメイトが話すことには、自分達の最新型の箒は、全てルシウスから贈られたものだという。

 厳しくしつつも、息子のことになるとやはり途端に財布の紐が緩くなるルシウスは、ハリエットから見れば立派な親馬鹿だ。そしてそれは第三者の目から見ても同じなようで、グリフィンドールチームが持つ箒が嘲笑される中、果敢にハーマイオニーが一歩前に出た。

「少なくとも、グリフィンドールの選手は誰一人としてお金で選ばれたりしてないわ。こっちは純粋に才能で選手になったのよ」

 ドラコの青白い顔にサッと朱が差すのと、ハリエットがまずいと顔を顰めるのはほぼ同時だった。

「誰もお前の意見なんて聞いてない。この穢れた血め」

 ドラコがその一言を放ったとき、爆発したような怒りがグリフィンドールから放たれた。実際、杖も出た。ロンがナメクジの呪いをドラコに放ったのだ。

 だが、生憎ロンの杖は、暴れ柳によってギリギリ杖を形を取っているだけの代物だった。壊れかけの杖は呪いを逆噴射させ、ロンは青い顔でナメクジを吐いた。

 ハリーとハリエットは、ロンを両側から抱え、ハグリッドの元へ連れて行こうとした。その傍ら、今もなお聞こえる嫌な笑い声を立てる集団を睨み付けるのも忘れない。

「最低よ」

 ロンの有様を嘲笑うスリザリン生も、信じられない蔑みの言葉を吐いたドラコも。


*****


 ドラコが『穢れた血』と言い放って以降、一方的に避けられる側だったハリエットは、一転してドラコを避ける側に徹した。

 以前から、ドラコには『穢れた血』なんて言葉は使って欲しくないと再三言っていた。にもかかわらず、彼はハリエットの親友に向かってその言葉を吐いたのだ。

 何も知らないハーマイオニーに貶されたからといって、口にして良い言葉と悪い言葉がある。確かにドラコはクィディッチに身を入れていたし、その努力をなかったものとされ、かつさも財力だけでシーカーの座を手に入れたと言われるのは屈辱的だっただろう。だが、彼とてこれまでそれと同等のことを散々ハリー達三人に投げかけていた。今回のことは良い薬だ。

 結局、ドラコと仲直りができないまま、ハロウィーンがやって来た。首無しニックから絶命パーティーに誘われた四人は、大広間からの甘い匂いに必死に耐え、幽霊だらけのパーティーに参加した。

 だが、事が起こったのはその帰り道だ。ハリーだけにしか聞こえない恐ろしい声を追って三階まで上がると、廊下に石化したミセス・ノリスと血文字が残されていたのだ。

『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気をつけよ』

 秘密の部屋とは、サラザール・スリザリンがホグワーツ内に作ったと言われている部屋だ。ホグワーツに真の継承者が現れたとき、ホグワーツで魔法を学ぶにふさわしからざる者――つまりは、マグル生まれを追放するというのだ。

 継承者は誰だろうという噂でホグワーツは持ちきりになり、もちろんハリー達四人もその話題に興味を示した。もっぱら、ハリーとロンの主張は、継承者がドラコだという説だ。

 継承者はマグル生まれを嫌っている。マグル生まれを一番嫌っているのはドラコだ。おまけに、マルフォイ家はドラコが散々自慢するほど代々スリザリン出身で、ならば彼がサラザール・スリザリンの末裔でもおかしくはないということだ。もちろんハリエットは懸命に違うと説明したが、残念ながら、ドラコの今までの行動は、確かに継承者としてのあり方になんら疑問は抱かせないものだったので、説得はできなかった。それどころか、なりたい相手に変身できるポリジュース薬を精製し、ドラコに直接継承者かどうか尋ねようとまで計画が練られるくらいだ。

 『そんなにマルフォイを信じたいのなら、逆に無実を証明するためだって思えば良いわ。それなら身が入るでしょう?』とうまいことハーマイオニーに丸め込められ、ハリエットも渋々ポリジュース薬の計画に参加することになった。

 その一方で、相変わらずドラコと仲直りもできない。ハーマイオニーの件でドラコに対してツンツンしていたら、何となく仲直りするタイミングを逃してしまったのだ。そしてついにはクィディッチ・シーズンが到来してしまった。グリフィンドールの初試合はスリザリンである。となると、すなわちこの試合が記念すべきドラコの初試合ともなるわけだが、喧嘩中の身で、しかも一応は対戦相手のドラコに会いに行くこともできず、結局ハリエットは鼓舞の一つも送ることができなかった。

「頑張ってね、ハリー!」

 せめてもと精一杯ハリーを励まし、競技場へと見送った。ロンとハーマイオニーと共に観客席に腰を下ろした所で試合は始まった。

 異変を感じたのはすぐのことだった。二つある内の一つ、ブラッジャーが執拗にハリーばかりを狙うのだ。ハリーを心配するが故の思い込みではない。観客席がざわつくくらいには、あまりにブラッジャーの行動がおかしい。

「誰かが細工したんだ」

 急に降りだしてきた雨にうんざりしながらロンが言った。

「ハリー以外は狙ってない。スリザリンの奴ら、ブラッジャーに何か仕掛けたに違いないよ」
「でも、練習以外でブラッジャーは出し入れされないはずよ。競技用に使うスニッチやクァッフルは、鍵を掛けてしまうものだってクィディッチ今昔に書いてあったもの」

 ああでもないこうでもないとロンとハーマイオニーが話をする中、事態はついに起こった。避けきれなかったブラッジャーが、ハリーの肘を強打したのだ。右腕をだらりとぶら下げながら、ハリーはみるみる急降下を始める。

 観客席から恐怖の叫び声が上がった。ハリエットもだ。激痛のあまりハリーは気を失ってしまったと思ったのだ。

 だが、それは早計だった。突然の急降下はスニッチを見つけたからだ。ハリーは折れていない方の腕でしっかりスニッチをキャッチし――しかし一度バランスを失った身体で空中で体制を整えるのは難しく――ハリーは地面に転がるように落ちてしまった。

 叫び声やら歓声やら、様々な衝撃がピッチを包み込む。ハリエット達三人が立ち上がるのはほぼ同時だった。

 屋根がないのはピッチも観客席も同じなのだが、競技場は更に雨脚が強いと感じた。本降りの中、視界の隅でフレッドとジョージが暴れるブラッジャーと格闘しているのが見えた。ブラッジャーは傷ついているハリーの方へまだ尚突っ込んでいこうとしているように見えて、ハリエットは背筋がひやりとするのを感じた。

 件のハリーの傍には、既にクィディッチのメンバーやマダム・フーチ、そしてなぜかロックハートがいた。

「何だか嫌な予感がする」

 青ざめて足を速めるロンと、意味が分かってない様子のハーマイオニー。ハリエットももちろんその後に続こうとしたが、『危ない!』という声に、反射的に足を止めた。

 ハリエットは度肝を抜かれた。すぐ目の前の地面がドゴンと音をたてて抉れたからだ。何が何やら、パチパチと瞬きする間に、一瞬にして地面をえぐり取った正体――ブラッジャーは、今度こそ狙いは外さないと言わんばかり、ハリエットに向かって飛んでくる。

「ハリエット、逃げろ!」

 誰かが叫ぶのが聞こえたが、残念ながら、ハリエットの運動神経は、非常事態に俊敏に動けるほど良くはなかった。フラフラと後ずされば、二度目のブラッジャーの攻撃からは奇跡的にも避けることはできたが、三度目の奇跡はない。

 唸りを上げて近づいてくるブラッジャーに対し、思わず両腕で顔を守ったのは、ハリエットにしては素晴らしい反射だった。ブラッジャーは勢いを増しながらハリエットに突っ込み――そして、彼女の腕を鈍く強打した。嫌な音が響き渡り、ハリエットは遅れながら悲鳴を上げる。

「ハリエット!」

 悲鳴にも似た叫び声を最後に、ハリエットは気が遠くなるのを感じた。


*****


 幸か不幸か、暴れるブラッジャーは、あの後すぐにフレッドとジョージによって取り押さえられたらしい。

 医務室のベッドで目を覚まし、マダム・ポンフリーによって問答無用で吐き気のする薬を飲まされながら、ハリエットはロンとハーマイオニーにあの後の出来事を聞いていた。

 カーテンで閉められているが、隣のベッドにはハリーが寝ており、彼は何と、腕を骨折するだけに留まらず、ロックハートによって腕の骨を抜かれてしまったという。

 マダム・ポンフリーお手製の魔法薬を飲めば、骨折ならあっという間に治るそうだが、骨を生やさなければならないハリーの方はそうはいかず、今夜は医務室に泊まりこんで骨が再生される苦痛に耐えなければならないという。ハリエットはひどく同情した。

「ブラッジャーに魔法を掛けたの、絶対にマルフォイだぜ」
「でも、ブラッジャーはハリエットも狙ったのよ。妹にそんなことするかしら」
「魔法がうまくいかなかったんだよ。ハリーだけを狙うはずが、呪文が狂っちゃったんだ」
「ドラコはそんなことしないわ」

 黙って聞いていることはできず、ハリエットはつい口を挟んだ。

「そうは見えないかもしれないけど、ドラコは臆病なの」
「あいつが臆病なのは知ってるよ」
「口先だけって言いたいの?」

 ハーマイオニーが鋭く聞けば、こくり、とハリエットは頷いた。ドラコが聞いていたら顔を真っ赤にして怒りそうだが、しかし事実なのだから仕方がない。

「まあ確かに、なんだかんだ言ってマルフォイが直接手を出してきたことはないけど……」
「さあさ、この子はしばらく安静にしていなければなりません! お見舞いはもう終わりですよ!」

 ハリエットの傍からロンとハーマイオニーが追い立てられ、マダム・ポンフリーは、まるでハリエットを幼子のように寝かしつけてカーテンの外へ出て行った。催眠効果でもあるのか、彼女が飲ませたホットミルクは、ハリエットをすぐに眠りに誘った。

 次に彼女が目を覚ましたとき、もう辺りは薄暗くなっていた。ハリエットが身動きしたのに気づいたのか、マダム・ポンフリーはすぐにやってくる。ハリエットの右腕を軽く触りながらうんうんと頷く。

「もう良いでしょう。きちんと骨もくっついているようです。退院できますよ」
「ハリーは? 大丈夫ですか?」
「あの子は今夜泊まり込みですね。でも大丈夫、明日には退院できるでしょう」
「お見舞いしていっても良いですか?」
「良いですが、先ほど薬を飲んで寝たところですよ。しばらく目は覚まさないでしょう」
「そうですか……」

 マダム・ポンフリーから許可を得て、ハリエットはハリーのベッドに近寄ったが、確かに彼は固く目を閉ざしていた。顔色は悪いが、腕以外にどこか怪我をしている様子もない。ハリエットは胸をなで下ろした。

 もはや怪我人でもなく、見舞客でもないハリエットの長期滞在はマダム・ポンフリーのお気に召さなかったらしく、早々に医務室から追い出された。仕方なしに向かった先は大広間だ。グリフィンドールのテーブルに近づくと、ハリエットに気づいたロンとハーマイオニーがパッと手を挙げた。

「ハリエット! 良かった、退院できたんだね!」
「腕は大丈夫?」
「ええ。もうなんともないの。すっかり元気よ」

 ハリエットは言葉通り右腕を動かした。さすがはマダム・ポンフリーだ。違和感も何もない。

「迎えに行けなくてごめんなさい。私達、マダム・ポンフリーに出入り禁止を言い渡されたのよ」
「僕らが見舞いに行ったときに、タイミング悪くフレッドやジョージがドロドロ状態で医務室をウロウロしたから」

 ロンとハーマイオニーはもう食べ終わったようだが、ハリエットが夕食を終えるまで一緒にいてくれた。その間、ハーマイオニーはいそいそとバスケットに夕食を入れていた。

 ハリエットが食事を済ますと、ハーマイオニーはバスケットを掲げ、申し訳なさそうにハリエットに差し出す。

「退院したばかりなのに頼むのは悪いんだけど、ハリーに夕食を持って行ってくれない? ほら、私達……」
「出入り禁止だから?」

 苦笑しながらハリエットはバスケットを受け取る。もちろん快諾だ。

「二人が心配してたってハリーに伝えるわ」
「よろしく! 寝込みに気をつけろって言っておいて」
「ロン、縁起でもないこと言わないの」

 二人のいつものやり取りを見せられれば一番の薬になるだろうに、それができないのが残念だ。

 ハリエットはクスクス笑いながら二人と別れた。


*****


 継承者騒ぎのあった二階の廊下は、随分と人気がなかった。ロンとハーマイオニーも途中までついてきてくれると言ってくれたのだが、ロンの課題がまだまだ残っていたことを覚えていたハリエットの方から辞退した。誰だって、親友がスネイプにネチネチと嫌味を言われている姿は見たくない。

 心細くなって、ハリエットは無心で歩いていた。だからこそ、後ろから声をかけてきた誰かにひどく驚き、『ひゃあっ!』っと間の抜けた叫び声を上げてしまった。

「――っ、驚かせるな! 何だその叫び声は!」
「だ、だって急に声をかけるから……」

 そして聞こえてきたのは、聞き慣れたツンケンした声で。

 ハリエットはすっかり胸をなで下ろした。

「……でもドラコ、こんな所でどうしたの? もしかして、ドラコもどこか怪我したの?」

 図書室は反対側だし、そもそも彼の寮は地下にある。なのに二階をウロウロしているということは。

「別に何だって良いだろう。それよりも、腕は良いのか?」
「あ、ええ。魔法薬を飲んだらあっという間に」

 ハリエットが腕を動かしてみせれば、ドラコは顰めっ面ながら、僅かにその眉間の皺が浅くなった。……ほんの僅かにだが。

 継承者を恐れる夜のホグワーツに、人気は少ない。シンと静まりかえった雰囲気に耐えきれず、ハリエットはチラリとドラコを見上げた。

「……ドラコ、試合は残念だったわね」
「…………」

 再び皺が深くなった。触れられたくない出来事だっらしい。

「でも、飛ぶ姿は格好良かったわ」
「ふん、どうせポッターしか見てなかったくせに」
「別に、そういう訳じゃないけど……」

 言いながら、ハリエットはそろりと視線を逸した。確かに今回の試合は初出場となるドラコを応援しようと思っていたが、何せハリーには勝利よりも命がかかっていたのだ。自然と恐怖にかられて彼ばかり見てしまうのは仕方ないだろう。

「今からどこに行くつもりだ? もう時間も遅いのに」

 この話は終わりだとばかり、ドラコは話を切った。次の話題は、ハリエットが気まずくなるものだ。

「あー……ハリーに夕食を届けに」
「…………」

 ほら、ドラコは黙ってしまった。

 ハリエットは弱々しく笑い、ドラコにさよならを告げた。ドラコも引き止めるようなことはしなかった。

 だが、しばらく歩き続けて、なぜだか後ろから聞こえる足音。ハリエットが振り返れば、足音もピタリと止む。

 『何か用か?』とでも言いたげな顔でハリエットを見るドラコ。その顔をしたいのはこっちの方だとハリエットは思った。

 結局、ドラコは医務室までついてきた。その間、一言も言葉を交わさず。

 ハリエットが医務室をノックしたときも、彼は後ろにいた。割と大きくノックをしたはずが、返事はない。

「いないのかしら」
「珍しいな。何かあったのか」

 ドアは僅かに開いていた。あの怖いマダム・ポンフリーの許可なく入室するのは躊躇われて、ハリエットはこっそり中を覗き込んだ。――場合によっては、その行為のほうが咎められるはずだが、今のハリエットにはそんなことまで考えが及ばない。

「――ハリー・ポッターは学校に戻ってきてしまった。何度も何度も警告したのに、どうして家に戻られなかったのですか?」

 ボソボソという話し声と、キーキー甲高い話し声が聞こえる。後者の方は、ハリエットにとってもひどく聞き馴染みがあり――そしてそれは、ドラコにとっても同じだった。急に怖い顔になってツカツカ医務室へ侵入し、声もかけずにカーテンを開く。

「お前がどうしてここにいる?」
「ぼ、坊ちゃま……」

 大きく見開かれた目がドラコを映し出し、そしてハリエットへも焦点が合う。

「なぜホグワーツにいるのかと聞いてるんだ。命令だ、話せ」

 ハリーは困惑のあまり固まったままだ。

 ドビーはぶるぶる震えながら黙っていたが、やがて観念して話し始めた。

「ハリー・ポッターに警告をしに……」
「警告? 何の」
「こ、今年、ホグワーツで恐ろしいことが起こるから……秘密の部屋が開かれてしまったから……」

 ドラコは目を細めた。ハリエットも意外な思いでドビーを見る。ドビーは、秘密の部屋について、何か知っているのだろうか?

「ドビーめは、ハリー・ポッターが壁を通り抜けられなくなれば、ホグワーツへ行かないと思って……」
「九と四分の三番線の壁を閉じたのは君だったのか!」
「はい……」
「ドビー、じゃあもしかして、私の時も壁が閉じたのは」

 ドビーはこくりと頷いた。

「ドビーめはお二人のことが心配だったのです! たとえ、大怪我をしたとしても、ホグワーツに居続けるよりは、ずっと安全だと思って――」
「まさか――ブラッジャーも君のせいなの!?」

 ハリーの声に、ドラコの顔が険しくなった。ドビーを睨みつけながら詰め寄る。

「あれはお前の仕業なのか?」
「そ、それは……」
「お前はもう少しでハリエットを殺す所だったんだぞ!?」

 ドラコは低く唸るような声で叫んだ。ドビーはすっかり項垂れたが、ドラコの激情は収まらない。

「このことは父上に報告する。ただで済むと思うなよ」

 恐ろしい言葉に、ハリエットはドビー以上に震え上がった。二人の間に駆け込むように割って入る。

「待って! ドビーは私達のためにやってくれたの。怒らないで。どうかお父様には内緒にして……」

 ルシウスに知られれば、ドビーはどんなひどい目に遭うことか。ハリエットが怪我しようがなんだろうが、彼は気にしないだろうが、しもべ妖精が命令に背き屋敷から抜け出すなど彼の癇に触るに違いない――その上、ドビーの行動理由はハリー・ポッターだ。

「お願い、お願いドラコ。私の家族なの。ドビーだけは……」

 縋るようにして見上げれば、ドラコはピクリと眉を上げて押し黙った。険しい表情からは、なんの考えも読み取れない。

 やがて、ドラコはハリエットの腕を掴んだ。

「二度目はない」

 怒気を隠そうともしない声色で言い捨てると、ドラコはハリエットを連れたまま歩き出した。ハリエットは慌てて振り返ったが、肝心のドビーは頭頂部が見えるほど項垂れていて、顔を見ることは叶わなかった。