マルフォイ家の娘

09 ―自由になった妖精―








 ドビーの一件を経て、ハリー達はますますドラコが継承者だという認識を強めてしまった。

「それに、何か隠してるようだった」

 翌朝退院し、談話室に戻ってきたハリーは、ポリジュース薬の調合を早く進めるべきだと三人に話した。その根拠がドラコの不審な言動だ。

「しもべ妖精は、主人の命令であれば何でも話を聞くんだろう? 命令して、ドビーが何を隠してるのか全部聞けば良いのに、僕とハリエットの前では何も聞かなかった。きっと、ドビーが何を隠してるのか知ってるんだ。でも、それを僕らに知られたくなくて」
「やっぱりマルフォイが継承者なのは間違いないよ。でも、何を隠そうとしたんだろう」
「ハリエットがドビーに聞けば良いわ。ハリエットはマルフォイ家の一員でしょう? しもべ妖精は主人の命令に絶対だというのなら、ハリエットのお願いも聞くしかないはずよ」
「……残念ながら、私はドビーの主人じゃないの」

 三人に期待の籠もった目で見られ、ハリエットは居心地悪くそう返した。

 一度、ハリエットはドビーにこっそり服を渡したことがある。もちろん、その行為の意味を理解して、である。

 幼い頃、ハリエットがお茶を零し、ドビーの汚い枕カバーが一層ひどい有様になったので、ハリエットが自分の服をあげようとしたことがあったが、その時のルシウスの怒りようは凄まじかった。全く関係のないドラコが泣いてしまうほどの剣幕だった。もちろんハリエットもあまりの恐ろしさにわあわあ泣いた。

 その時にルシウスから聞いたのだ。主人は、たとえ靴下一枚であってもしもべ妖精に渡さないように心掛けなければならないと。渡したが最後、その瞬間にしもべ妖精は自由の身となり、屋敷から出て行くことができるのだ、と。

 しばらくはその時のルシウスの怒りがトラウマになり、ハリエットは決して自分の衣服を手放さないように気をつけていたが――やがて、ルシウスへの恐怖よりも、ドビーへの愛情が勝った。日々ルシウスから虐げられているドビーを見て、ちょっと怒られることが何だと思った。ドビーはもっとひどい目に遭っている。ドビーが自由に、伸び伸びと暮らしていけるのであれば、ルシウスなんて怖くないと、ハリエットはこっそりチュニックを与えたのだ。ドビーは歓喜と困惑に打ち震えていた。マルフォイ家から解放されるのは嬉しいが、ハリエットと離れるのは嫌だとドビーは一生懸命縋った。

 だが、結果は。

 ドビーは、自由とはならなかった。魔法契約がどうであれ、ハリエットはしもべ妖精達の主人とはなり得なかったのだ。――つまり、ハリエットは、正式にマルフォイ家の人間とは認められていなかったのだ。

「お願いという形であっても、ドビーは教えてくれないと思うわ。『ご主人様』に禁じられてるのであれば尚更」

 結局ドビーから何の情報も引き出せそうにないので、当初の計画通り、ドラコから直接話を聞くということになった。

 ポリジュース薬の決行はクリスマスの日だった。休暇中、ほとんどの生徒は継承者を恐れ、家に帰宅するが、ドラコはハリエット共々ホグワーツに残るのだ。マルフォイ邸に魔法省の立ち入り調査が入るため、それと被らないようにするためだ。

 ドラコの他に、クラッブ、ゴイルも残ることも聞いた。ハリーとロンは後者二人に化けるとして、問題はハリエットとハーマイオニーだ。誰かスリザリン生の――できれば女の子が良いが――髪の毛でも手に入らないかとヤキモキしていた所、降って湧いたようにその機会ができたのがロックハートによる決闘クラブだ。

 ハリエットは、決闘相手であるパンジー・パーキンソンから見事髪の毛を抜き取り、ハーマイオニーもまた、ミリセント・ブルストロードと組んずほぐれつの乱闘をした後、ポケットに丁度彼女の髪の毛が入っているのを見つけた。

 クリスマス当日、クラッブとゴイルに罠を仕掛け、まんまと髪の毛をせしめた後は、マートルの女子トイレでそれぞれの化ける相手に変化した。

 想定外だったのが、ミリセントの髪の毛だと思っていた毛が、彼女のペットのものだったということだ。

 猫人間と化したハーマイオニーは女子トイレに隠れ、他の三人は地下へ向かった。

 ポリジュース薬は、見た目は本人そっくりになれるが、声だけはそうはいかない。特にハリエットは、男子二名から厳しい叱責を受けた。

「パーキンソンはもっとキーキー声だよ」
「恥ずかしいとか言ってられないよ。いつものあいつを思い出して。息つく暇も無いくらい僕らに嫌味をぶつけてくるんだから、もっと早口で」
「そういうあなた達だって、全然クラッブとゴイルらしくないわ! あの二人はもっと低い声よ!」

 互いにああでもない、こうでもないと言い合っていたら、丁度前からドラコが歩いてきた。

「遅いから心配したぞ。また大広間で馬鹿食いでもしていたんだろう」

 どうやら、いつまで経っても戻ってこないクラッブとゴイルに痺れを切らして探しに来たようだ。――ドラコは意外と世話焼きなのだ。

「アー、うん。おいしかった」
「なあ。特に……クリスマスプティングが良かった」

 一生懸命本人に似せようと、何かを口に含んでいるような声色を出す二人に、ハリエットは思わず噴き出しそうになった。

「パーキンソン? どうしてお前がここにいるんだ? 休暇は家に帰るんじゃなかったのか?」
「あっ――お父様に急に用事ができたのよ。だから今年は帰ってくるなって」

 急に声をかけられ、ハリエットは慌てふためいた。そしていつものパンジーの言動を思い出す。ポリジュース薬で化ける場合、彼女に本気で似せにいかなければならないと、真面目なハーマイオニーにこんこんと説教されていたことも――。

「で、でも、むしろこれで良かったわ! ドラコとい、い、一緒にいられるし〜?」

 自分ができうる最大限のキーキー声を出しながら、ハリエットはドラコの腕に飛びついた。

 甘い声(?)で兄に絡むというハリエットのこの勇敢な行動は賞賛に値すべきだ。にもかかわらず、ロン扮するクラッブはウゲッと嫌そうな顔になり、ハリー扮するゴイルはご愁傷様と言っていた。

「纏わり付くな」

 幸いにも、早々にドラコが腕を抜いてくれた。ハリエットは安心すると同時に、胸がズキッと痛んだ。ドラコには今まで邪険に扱われたことなどなかったため、戸惑ってしまったせいもある。

「お前達に見せたいものがある。寮に戻るぞ」

 ドラコと鉢合わせしたことは想定外だったが、結果的に助かった。三人はスリザリン寮へ入るための合言葉を知らなかったのだから。

 談話室に入って早々、ドラコが腰掛けたのは二人がけのソファだ。中央にふんぞり返るようにして座っている。その向かいにも二人がけのソファがあり、クラッブとゴイルが窮屈そうに腰掛けた。

 出遅れてしまったハリエットは、仕方なしにドラコの隣に腰掛けた。パンジーのいつもの行動上、ドラコにベタベタしに行くのは明白だったし、そもそもここしか座れる場所がない。ドラコはうんざりした表情になりながらパンジーのために少しだけ右にずれた。

「これだ」

 皆が落ち着くと、ドラコは得意げにポケットから新聞を取り出した。折り畳まれたそれは、日刊予言者新聞の切り抜きだ。

「父上が僕に送ってくれたばかりなんだ。笑えるぞ」

 切り抜きには、アーサーがマグルの自動車に魔法を掛けた廉で金貨五十ガリオンの罰金を言い渡されたことが記されていた。

 ロン――クラッブが、途端に不機嫌そうに黙り込んだので、ゴイルとパンジーは慌てて彼の分までフォローに回らなければならなかった。

「ハハハ、おかしくてお腹が痛いよ……」
「い、いい気味だわ、ウィーズリー」
「金貨五十ガリオンだなんて、奴らの金庫は大丈夫かな? そもそも、グリンゴッツの鍵なんて必要ないか?」
「…………」
「お前達、一体どうしたんだ?」

 ドラコが訝しげに尋ねた。もう遅すぎたが、三人は無理矢理笑いをひねり出した。それでもドラコは幾分か納得したようだった。パンジーはともかく、クラッブとゴイルの反応が鈍いのはいつものことなのだろう。

 ドラコは、主にハリーやロンを馬鹿にする話ばかりしていたが、話題はやがて継承者に移っていく。前屈みになってハリー達が興味を示す中、ドラコはポツリと呟いた。

「一体誰が継承者なのか、僕が知ってたらな」

 その口ぶりは、まるで自分がそうではないと言っているようで。

 ハリエットは目を輝かせ、ハリーとロンは期待外れの事実に困惑した。

「でも、ルシウス・マルフォイから何か聞いてるんじゃないか?」
「いいや、父上は何も教えてくださらない。今年ホグワーツで起こることは静観するようにとのことだ」
「でも、ドビーは――」
「ドビー?」

 ドラコはピンと眉を跳ね上げた。口を滑らせてしまったハリーは咳払いをしながら誤魔化す。

「ハリエット・マルフォイがドビーのことについて話してるのを聞いた。ドビーはマルフォイの家のしもべ妖精で、何か隠してるみたいだって」
「ったく、どこまであいつらに話してるんだ……」

 咄嗟のハリーの裏切りに、ハリエットは思わず彼を睨んだ。確かにハリー達に知りうることを全て話しているのは事実だが、何もドラコにバラさなくても!

「ドビーは昔からハリー・ポッターを崇拝していた。確か、母親がマグル生まれだったか? ポッターが純血じゃないから、継承者に殺されるのを恐れてるんだろう。あいつにできることはたかが知れてるが」
「でも、一介のしもべ妖精が継承者について知ってるのはおかしい。ルシウス・マルフォイから何か命令されてるんじゃないか? マルフォイは、ドビーから何か聞き出せないのか?」
「今日は良く喋るな」

 何気なくドラコが言ったが、ハリエット達はひやりとする。確かに、明らかにハリー――ゴイルは話しすぎだ。だが、幸いにもドラコはそれほど気に留めなかった。

「一度ドビーに命令してみたが、何も話そうとはしなかった。魔法契約が影響してるようだ。――全く、父上の命令を無視してホグワーツにいることを告げ口できればどんなにスッキリするか分からないのに」

 ブツブツ言いながら、不意にドラコはハリエットの方を見た。何も変なことはしていないはずなのに、ハリエットはピシリと背筋を伸ばす。

「――パーキンソン、髪の毛そんなに赤かったか?」
「えっ?」

 反射的に俯けば、視界の隅に移る髪は――確かにほんのり明るい。それに、見間違いでなければ徐々に伸び始めている。

「腹が痛い」
「胃薬を飲みに行かなきゃ」

 まれに見るチームワークの良さで、ハリーとロンもお腹を押さえて立ち上がった。見れば、ロンの方も徐々に髪の毛が赤っぽくなり、鼻も次第に伸び始めている。二人は慌てふためいて入り口へ急いだ。

「アー……私も、お手洗い」

 ハリエットも、当然後に続こうとした。二人との距離はそんなに離れていない。すぐに追いつけるはずだった――ドラコに腕を掴まれなければ。

「パーキンソンはそんな声じゃない」

 声にならない悲鳴が口から漏れ出る。慌てていたせいで、すっかり声真似を忘れていた。

「ちょ、ちょっと風邪気味なの。私、医務室に行かないと。ドラコ、離して」

 視線の先では、ハリーとロンが談話室を出て行くのが見えた。『置いて行かないで!』と反射的に叫びそうになったが、すんでの所で堪える。

「お前――」

 グッと腕に力を込められたと思ったら、ハリエットはそのままぐるんとドラコに向き直らされた。

「ハリエットか?」

 真っ直ぐハリエットを射貫く瞳には確信があった。それはそうだろう。ちょっと下を見るだけで、胸元にまで伸びきった赤毛が目に入る。きっと身長だって縮んでいるはずだ。

「これは一体どういうことだ? お前はパーキンソンかハリエットか、どっちだ?」
「…………」

 一応ハリエットはドラコの拘束から逃れようと抵抗したが、信じられないほどの腕力に抜け出せる可能性など微塵もなかった。

「……ハリエット」
「なぜパーキンソンの姿に? 変身術……いや、ポリジュース薬か?」

 もはや誤魔化せる気がしない。ハリエットは渋々頷いた。ドラコは鋭い目で辺りを確認すると、そのままハリエットの手を引いて寝室へ上がった。ガチャリと鍵を閉めて向き直る。

「ポリジュース薬……ポリジュース薬だと? 一体どれだけの校則を破ったのか分かってるのか? ――いや、お前は魔法薬学が苦手だった。ポリジュース薬を作れる訳がない……グレンジャーか? グレンジャーが作ったんだな? 何のために? ……僕に……そうか、あいつらもそうなんだな? クラッブとゴイルもポッターとウィーズリー……そうなんだな?」

 ぶつぶつと独り言を言っている間に、ドラコの中でどんどん推測がたてられているようだった。そしてそれはほとんど的を射ている。

「そうか、そうなんだな。……お前は僕を疑ってたってわけだ」

 長い息を吐き出し、ドラコは一歩後ずさった。

「お前の疑いは正しい。だって僕は、自分がスリザリンの後継者であればと何度願ったか分からないからね」

 ドラコはゆっくりベッドに腰を下ろした。軋む音がやけに大きく聞こえる。

「疑われることは名誉なはずだ。僕にその資格があるってことなんだから……。でも、お前に関しては別だ。お前はポッター達の言うことを信じて僕を疑った訳だ。ずっと一緒に育った僕よりも、あいつらを信じて」

 ドラコはそれ以上言葉にはしなかった。ハリエットは罪悪感に押しつぶされそうになった。

「……私は、ドラコは継承者じゃないって思ってたわ。ドラコから直接聞き出そうとしたのも、その確信を得るためよ」

 自分でも見苦しい言い訳だと思った。だが、どうしようもなかった。あまりにもドラコが傷ついた顔をするから、黙ってはいられなかったのだ。

「よく言う」

 ドラコは自嘲の笑みを浮かべた。それを目にした途端ハリエットの胸は締め付けられる。

 傷つけてしまったことは確実だ。でも、なんて言えばいい?

「早く行けよ。スリザリンの巣窟なんかにいたら、あっという間に継承者に襲われるぞ」

 ドラコはもうハリエットを見てはくれなかった。かけるべき言葉が思い浮かばず、ハリエットは項垂れながらスリザリン寮を後にした。

*****

 石になったジャスティンと首無しニックが発見されて以降、新たな犠牲者は出ないまま二月になった。バレンタインが近いことも相まって、ホグワーツは浮かれた雰囲気だった。特に今年は、魔女に大人気の魔法使い、ロックハートがいるものだから余計にだ。

 誰にバレンタイン・カードを上げようかと色めき立つ女子達の傍ら、ハリエットは一人そういった流行に乗り遅れていた。マルフォイ家ではそうしたイベントごととは無縁だったし、ホグワーツでも特に気になる男子というのはいない。まだハリエットは恋愛初心者だった。

 だからこそ、ハリエットは誰かの恋愛相談なんて乗れるわけがなかった。思い詰めた表情でジニーが隣に座っても、『ハリーのことで悩んでるの?』と言い出せるわけがないのだ。

 このところジニーの元気がないので、何か世間話でも投げかけようかと悩んでいると、先に彼女の方から先を越された。

「ハリエットは、ハリーと付き合ってるの?」
「へっ?」

 突拍子もない質問に、ハリエットの口から変な声が出てしまった。それでも尚ジニーは真剣に自分のことを見つめていて……我に返ると、ハリエットは慌てて首を横に振った。

「そんなことないわ! 私達はただの友達よ!」
「本当に?」
「逆に、どうしてそう思うの?」
「だって……あなた達、何だか特別な感じがするの」
「特別?」
「二人だけの空気って言うか……通じ合ってるって言うか」

 ハリエットは思わず苦笑してしまった。恋は盲目と言うが、ジニーは自分達の一体何を見てそう判断するに至ったのだろう。

「考えすぎよ。私、ハリーと出会ってまだ一年と少しよ?」
「だからよ。まだほんの少ししか一緒に過ごしてないはずなのに、空気が一緒なの。ハリエットは、ハリーと一緒にいて、居心地悪いと思ったことなんてないでしょ?」
「そりゃあ友達だもの」
「ううん、そういうことじゃなくて。……ハリーとハリエットが二人でいるとき、私はその輪の中に入って行く勇気がないわ。たぶん、ロンやハーマイオニーでさえ、ちょっと躊躇うと思うの」
「大袈裟よ」

 ハリエットは本格的に困ってしまった。

 大広間でも談話室でも、大体自分達は四人でいる。気まずいと思うくらいなら、こうも集まってない。ロンやハーマイオニーに直接聞いたとして、躊躇うという返答は返ってこないはずなのに。

「本当に、ハリーのこと好きじゃない?」

 確認するように、最後にもう一度ジニーが尋ねてきた。彼女の瞳は、まるで全てを見透かすようにじっと細められており――ハリエットは、頷くのに少し躊躇ってしまった。

「……ええ」

 そして同時に、胸がズキンと痛んだ気がした。

 嘘は言ってないはずなのに、この痛みは何だろう?

 ハリーのことは、好きではない。もちろん友人としては大好きだが、恋愛的な意味では決してないはずだ。だが、それにしても胸が締め付けられるように痛い。

 自分のことなのに、ハリエットは何が何だか分からなかった。

*****

 図書室近くの廊下を歩いていた辺りから、記憶がない。

 ハリエットは白い天井をぼうっと見上げながらぼんやりとそんなことを思った。

 寝起きからまだ頭がはっきりしない中、マダム・ポンフリーがカーテンを開けて入ってきた。

「ああ、目が覚めたんですね。あなたが最後ですよ。ほら、これを飲んで」

 ハリエットは、コップ一杯分の気付け薬を飲んだ。あまり苦くないので内心ホッとした。

「あの、私……どうして医務室に?」
「覚えてないんですか? 図書室の前で石になってたんですよ」
「――っ、そうだ、ハーマイオニー!」

 『石』という言葉でハリエットは全て思い出した。ホグワーツを混沌へ陥れた怪物の正体と、その回避方法、そして己が石になる前何があったかを。

「先生、ハーマイオニーは? レイブンクローのペネロピー・クリアウォーターも! 私達、一緒に図書室を出て、それから、それから――」
「落ち着きなさいな」

 マダム・ポンフリーは慣れた様子でハリエットの口にチョコレートを一欠片押し込んだ。

「二人とも無事ですよ。一足先に元に戻って、退院していきました」
「良かった……」

 それからは、マダム・ポンフリーから軽く事のあらましを聞いた。怪物の正体がバジリスクだと見破ったハーマイオニーのおかげで、手鏡を見ながら歩いていた三人は石になるだけで済んだこと、三人のすぐ後にジニーも継承者にさらわれたが、ハリーとロンのおかげで生還できたこと、二人はホグワーツ特別功労賞を受賞したこと――。

「ハーマイオニーのメッセージに気づいてくれたんだわ……」

 ハリエットはにっこり笑った。ハーマイオニーともあろう人が本のページを切り裂いた時はひどく驚いたが、それはひとえに帰り道に襲われることも考えてのことだったのだ。なんて聡明な魔女だろう!

 しばらく時間をおいて、もう一杯気付け薬を飲んだら退院しなさい、と残してマダム・ポンフリーは去って行った。ハリエットは再び一人になったが、それもほんの僅かな時間だけだった。すぐに荒々しい足音が医務室に突入してきたからだ。

「なんてこと! ここには患者がいるんですよ! 静かに入ってきてください」
「見舞いです」
「なら見舞い客らしく大人しくしたらどうですか!」

 プンプン怒りながらマダム・ポンフリーはハリエットのベッドまでその見舞い客を案内した。ハリエットは始め、マダム・ポンフリーの怒りにさらされることにビクビクしたが、カーテンが開かれたのを見てその認識を改めた。

 ――ドラコの怒りのほうがよっぽど怖い。

「一体どれだけ僕を心配させれば気が済むんだ!」

 ドラコは極力声を抑えてはいたが、それでも鼓膜は震える。

「ホグワーツに来てから――あいつらと友達になってから、お前は危険なことばかりだ! それも、お前自身の意志ではないな? 全部あいつらにそそのかされて危険な目に遭ってる!」
「今回は不可抗力よ。わざと危険なことをした訳じゃ……」
「誰もいない城でグレンジャーなんかと一緒にいたら、危ないに決まってるだろう……!」
「私を助けてくれたのもハーマイオニーなのよ。ハーマイオニーが怪物がバジリスクだって気づいたから、一緒に鏡を見て歩いてたの」

 ハリエットはピクリと眉を動かしたのみで、それ以上は何も言わなかった。ドラコの言い方は好きではなかったが、あくまで心配したからこその物言いだろう。

 ドラコはしばらく何も話さなかった。椅子に腰掛け、憎々しげに天井を睨みつけている。

「……僕があいつらと距離を置けって言っても聞かないんだろう」
「友達を止めろって言うの?」
「どうせ聞かないだろ。言ってみただけだ」

 諦めた声色に、ハリエットは少々ムッとした。

「ドラコだって、お父様に言われたからってクラッブやゴイルと離れられるの? クィディッチ・チームを止めろって言われても?」
「あの二人と一緒にいるようになったのも、家の付き合いからだ。父上がそう仰るのであれば、必要事項だろうし……クィディッチだって」
「嘘つき」

 ハリエットは小さな声で返した。

「嫌で嫌で堪らないくせに、お父様に従うのね」
「でも、父上は無理強いしない。そもそもクィディッチだって推奨してくださってる」
「論点のすり替えはずるいわ。絶対に譲れないことでも、誰かに言われたからって諦めるのはおかしいって言ってるの」
「あいつらの何がそんなにいいんだ」

 ドラコは投げやりに言った。

「すぐに喧嘩をふっかけてたら、そりゃあ良い所なんてわからないわ。喧嘩は止めて、たくさん話してみないとお互いの良いところは絶対に分からない。……それに、私はドラコとだって距離を置けって言われても嫌だわ」
「…………」

 再び沈黙が流れた。ハリエットが視線を落とすと、それが合図だったかのようにドラコが立ち上がった。

「もう行くの?」
「あいつらと鉢合わせになっても嫌だ」
「お見舞いに来てくれてありがとう」
「来年はもう少しお淑やかに過ごしてほしいものだな」
「善処するわ」

 鼻を鳴らし、ドラコはそのまま立ち去った。ハリエットはまたもマダム・ポンフリーから気付け薬を受け取り、『これを飲み終わったら退院なさい』と言われた。

 何故か一杯目よりも不味く感じられたので、ハリエットはチビチビと時間をかけて飲んだ。カーテンで締め切られた小さな空間は退屈で平凡だ。目だけでキョロキョロ意味もなくあたりを観察していれば、ふと目の隅で影が揺れたのに気づいた。ベッドに僅かに届く程の、小さな影だ。ハリエットはすぐにその特徴的なシルエットの正体に気がついた。

「ドビー?」
「……お嬢様」

 カーテンをめくり、ドビーが姿を現した。ハリエットはにっこり微笑む。

「お見舞いに来てくれたの?」
「……それも、ありますが」

 ドビーは、手慰みに何かを弄っていた。よくよく見れば、泥だらけの汚い靴下だ。どこかに落ちていたのだろうか?

「ドビー、それは?」
「ご主人様――いいえ、ルシウス・マルフォイから受け取ったものです」
「えっ――」

 ハリエットは一瞬言葉を失った。

「まさか――お父様が、ドビーに靴下を渡したの?」
「ルシウス・マルフォイの意志ではありません。ハリー・ポッターが一計を案じてくださったのです。そのおかげで見事ドビーめは自由の身になれました」

 長年の夢が叶った。その割には、ドビーはあまり嬉しそうには見えなかった。後ろめたそうに俯き、靴下を弄っている。

「ドビー……これでお別れなのね」

 ピクリ、と彼の肩が揺れた。

「お嬢様」
「名前で呼んで」

 ハリエットは優しい声で微笑んだ。

「もうあなたは自由な妖精でしょう? 私達は家族なのよ。名前で呼んで」
「…………」

 ドビーはようやくハリエットを見た。目は大きく見開かれ、そこから今にも零れそうな涙の膜が張っていた。

「折角のお言葉ですが……ドビーめがお嬢様の名を呼ぶとき、それは、お嬢様が――本当の名前を取り戻したときです」
「本当の、名前? ドビーは何か知ってるの? 教えてくれない?」
「ドビーは何も言いません。ルシウス・マルフォイに命令されたからではありません。ドビーの意志で言わないのです。お嬢様が危険な目に遭わないために」

 ハリエットはもどかしい思いで唇を噛みしめた。しかし、その思いとは裏腹に、ドビーは至極嬉しそうな顔で微笑んだ。あんまり幸せそうなので、ハリエットは毒気を抜かれてしまった。

「ドビー……」
「お嬢様、さようなら。ドビーはいつでもお嬢様の幸せを祈っております。また会いに行きます。お嬢様がお許しになるのなら」
「もちろんよ!」

 ハッとしてハリエットは叫んだ。

「何度でも会いに来て! クリスマスプレゼントは――そうね、蛙チョコがいいわ。私もドビーにとっておきの服をプレゼントするから! だから――だから、いつでも会いに来て。ドビーが元気な姿、見せに来て。皆にもちゃんと紹介したいの。ドビーのこと」
「光栄でございます。……お嬢様」

 しばしの間、ハリエットとドビーは見つめ合った。しかしやがて同時に微笑むと、ドビーはバチッと騒がしい音を立てて姿くらましをした。マダム・ポンフリーがすぐさま『静かに!』と叫んだ。