愛し子

― 02:魔法使いの家 ―






 週末になると、ハリエットは朝早くスネイプと共に家を出た。

 あの日――君は魔女だと衝撃の一言を告げられてから数日が経った。ハリエットは今でも信じられない。自分が魔法なんてファンタジーなものを使えるなんて。

 それこそ、そんなことを聞いた日の夜のうちに、ハリエットはこっそり魔法・・を使おうとした。空を飛びたいと念じてジャンプしてみたり、ケーキが食べたいと祈ってみたり、猫が目の前に現れるようじっとシーツを睨んでみたり。

 だが、一つだって成功はしなかった。それどころか、魔法のまの字さえ掠りもしない。絶対に騙されたんだ、と思う一方で、そうすると、暖炉の中に現れ、そして普通に会話をしてみせた生首の存在や、あっという間に風邪を治した薬のことも説明がつかないとも思った。

 果たしてどちらが正しいのか。時が経つにつれ、熱で朦朧した頭が幻覚を見たんだ、というのがハリエットの中での最終的な答えになった。だからスネイプに「出掛ける」と言われたとき、「どこに?」と質問してしまった。

「この前言っただろう。魔法使いの家に行くと」
「あのおじさんの所?」
「ミスター・マルフォイと呼べ。彼の妻はナルシッサ・マルフォイ。ドラコという息子もいる。お前と同い年だ」
「その子も魔法使いですか?」
「ああ――代々魔法使いの一族だ。それを誇りに思っている家だから、くれぐれも言葉には気をつけるように」

 たった数分の出来事だったが、生首に散々怒られたことは記憶に新しいので、ハリエットは神妙に頷いた。

 それから地下鉄に乗って、ハリエットは漏れ鍋という寂れたパブにやって来た。中は思いの外人で賑わっていたが、一体ここからどうやって魔法使いの家へ行くのだろう――。

 そう思っていたとき、スネイプがレンガの壁を細長い木の枝でトントンと叩いた。ハリエットがその行動の意味を問う暇もなく、壁はみるみるアーチ型の入り口に変化した。ハリエットはあんぐりと口を開いたままだ。

 ただ、スネイプはそんなハリエットの感動など気にもせずにどんどん先へ行くものだから、置いていかれてなるものかとハリエットは駆け足で彼に追いついた。

 レンガのアーチからくぐった先に現れた魔法界――ダイアゴン横丁というらしい――は、不思議の塊だった。こうもりの脾臓やうなぎの目玉の樽をうずたかく積み上げたショーウィンドウや、今にも崩れそうな呪文の本の山。羽根ペンや羊皮紙、薬瓶、月球儀なんかもある。終始開いた口が塞がらなかった。

 ペットショップらしきものもあった。猫はともかくカエルが売られているのは奇妙だったが、ふくろうは可愛かった。思わず百貨店の前で立ち止まり、ふくろうが首を傾げるのと同じように首を傾けていると、スネイプがゴホンと咳払いした。

「約束の時間に遅れる」
「あ――すみませんでした」
「初めての魔法界は物珍しいだろう。また時間が空いたら連れてくることも可能だ」
「いいんですか?」
「ああ」

 短く返事をし、スネイプはローブを翻してまたズンズン先を行ってしまいまいそうになった。ハリエットは慌てて彼に駆け寄る。

「ありがとうございます!」
「ああ」

 最初に立ち寄ったのは洋装店だった。藤色の格好をした女性が出迎える。

「いらっしゃいませ。ホグワーツ――にはまだ小さいようですよね?」
「ホグワーツではない。この子に服とローブを一着見繕ってくれ」
「冠婚葬祭用で?」
「普段着だ」
「かしこまりました。じゃあお嬢ちゃんはあっちの台に立って」
「ハリエット」

 そのまま向かおうとしたハリエットを呼び止めたのはスネイプだった。

「我輩は他で用を済ませてくる。採寸が終わってもこの店から動かないように。中で待たせてもらえ」
「はい」

 スネイプが出ていくのを見送り、ハリエットは採寸台の上に立った。途端に目まぐるしく動くメジャーが現れたのでハリエットは緊張に身体を強張らせた。

「さあて、服は何色にしましょう? お嬢ちゃんはどんな色が好き?」
「……緑が好きです」

 少し考えて、ハリエットはそう答えた。特別好きな色というのはなかったが、スネイプが緑を好んでいるというのは知っていた。彼の普段着は黒ばかりだが、身の回りのものは緑色が多かった。直接緑が好きと聞いたわけではないが、聞かずとも明白だった。

 採寸が終わった後は店主のマダム・マルキンと相談して服のデザインを選んだ。既に在庫はあったのか、ハリエットはすぐに彼女が持ってきたワンピースに着替え、軽くサイズを合わせた。

 マダム・マルキンがローブの裾を詰めている間、ハリエットは鏡の前でしげしげと自分の格好を眺めていた。

 まるで深窓の令嬢のような出で立ちだった。くるりとその場でターンを回ってみると、ふんわりレースの裾が広がって可愛らしい。あの奇妙なローブさえなければ良いのに、とハリエットは思ったが、すれ違う人皆ローブを身につけていたので、むしろローブがない方が浮いてしまうのかもしれない。

 スネイプは、ローブが出来上がるのと同時に戻ってきた。

「初めての顔合わせだから、ローブは着ていった方が良い。次からは着なくてもいい」

 ハリエットの残念そうな空気を感じ取ってか、スネイプはそう付け足した。マダム・マルキンにお金を払って店を出る。

 買い物を終えたので後は同じ道を戻るだけだが、ハリエットはまたまたふくろう百貨店の前を通る時、ゆっくりとした足取りになってしまった。行きに見た時と同じふくろうがハリエットにちょっかいをかけるように鳴いたのだ。

「ごめんなさい」

 スネイプが振り返って立ち止まっているのを見て、ハリエットは慌てて駆け寄った。

「……ふくろうが飼いたいのか?」

 ボソリと言うスネイプに、もしかして買ってくれるのだろうか、とハリエットの目は期待に輝く。だが、すぐに思い至るものがあって俯いた。

「で、でも、私が学校に行ってる間、お世話もできないし、家に一人だったら可哀想だし……」
「お嬢ちゃん、ふくろうが好きなの?」

 ふくろう百貨店の前でもだもだ問答を繰り広げる二人が気になってか、向かいの露店の店主が話しかけてきた。

 戸惑いながらもこくりと頷けば、店主は弾丸のように勢いを増して話し始めた。

「お父さん、どう? ふくろうのぬいぐるみ! なんとね、このぬいぐるみ、面白い魔法がかかってて――」

 早口すぎて、ハリエットはほとんど何も聞き取れなかった。スネイプも同じなようで、面倒な魔法使いに捕まってしまったとその顔にはありありと書かれている。

「だからね、子供に人気なの! まだペットを買うにはちょーっと早いかなってお子さんに大人気! どう、お父さん?」
「……良かろう」
「まいど!」

 約束に遅れると思ったのか、スネイプは懐から財布を取り出した。ハリエットがポカンとしている間に会計を終え、そして雑にぬいぐるみを押しつける。

「あ、ありがとうございます……」
「優しいお父さんで良かったね、お嬢ちゃん!」

 気恥ずかしくなってハリエットははにかむだけに留めた。その時にはもうスネイプは歩き出していて、ハリエットは慌てて彼の後を追った。


*****


 漏れ鍋に戻ると、スネイプはごうごうと燃えている暖炉の傍まで歩いた。暖炉の前で何人か並んでいる。

「これからウィルトシャーに行く」
「地下鉄で?」
「煙突飛行でだ」

 黙って見ているように言われ、大人しく眺めていると、先頭の魔法使いが暖炉の火に近づき、キラキラ光る粉のようなものを炎に振りかけた。すると、炎はエメラルドグリーンに変わり、魔法使いは何とその炎の中に躊躇いもなく入ったではないか!

「ホグズミード村、三本の箒!」

 そんな風に叫ぶと、次の瞬間には彼の姿はもう消えていた。ハリエットはあんぐり口を開けたまま固まっていた。

「も、燃えちゃった……?」
「いいや、移動しただけだ。魔法使いの移動方法だ」
「私も同じことをしないといけないんですか?」
「ああ」

 ハリエットはひどく怯えた。火が熱いんじゃないか、火傷するんじゃないか、変な場所へ連れて行かれるんじゃないか――。

 だが、そうこうしている間にもハリエットの番が近づいている。無理矢理粉を握らされ、暖炉の前に追い立てられる。

「ウィルトシャー州、マルフォイ邸だ。発音を間違えるな」
「はい……」

 粉を炎に振りかけようとしたハリエットだが、すんでで思い出し、抱えていたふくろうのぬいぐるみをスネイプに渡した。

「…………」
「燃えちゃったらいけないから、持っててもらえますか?」
「煙突飛行で燃えることはない」
「でも、失敗するかもしれないので……」

 スネイプの顔が嫌そうに歪んだが、断られるのは嫌だったのでハリエットはさっさと暖炉の前に戻ってきた。

 震える手で粉を振りかけ、息を止めたまま緑の炎の中に飛び込んだ。

「ウィルトシャー州、マルフォイ邸!」

 力一杯のハリエットの叫びはパブの客の笑いを買った。カラカラと小気味よい笑い声が次第に薄れていって――気がついたときには、ハリエットは固い地面に前のめりになって倒れていた。移動している間、ずっと高速で回転しているような感覚があったのでひどく気持ちが悪かった。くらくら目眩すら起こしながら、煤だらけのまま暖炉の中から這い出る。

 ――と、目の前に二本の足があった。そろそろと上を見上げれば、数日前暖炉の中で目撃した生首と同じ顔があり、ハリエットはヒッと飛び退いた。すると暖炉の縁で頭をぶつけ、ハリエットは涙目になった。

「訪問して早々騒がしいことだ。挨拶もできないのか?」
「こ、こんにちは……ミスター・マルフォイ?」
「ハリエット……スネイプだな?」
「はい」

 よろよろと立ち上がったハリエットだが、すぐに気持ちが悪くなって口を押さえる。ルシウスの隣に立っていた女性が手を叩いた。

「ドビー、水を持ってきてちょうだい。煙突飛行に酔ったんでしょう」
「――はい、ただいま!」

 数秒おいて、茶色の小人のような生き物が女性のすぐ近くに音を立てて現れた。パタパタ動く長い耳と、テニスボールほどの大きな目をしている。なぜか汚い枕カバーを身に纏っていた。

「ハリエット様、どうぞ」

 キーキー高い声で差し出されたのは、透き通る水が入ったグラス。ハリエットはドビーと言われた生物とグラスとを見比べながら、恐る恐る水を受け取った。

「あ、ありがとう……」

 驚きのあまり、気持ち悪いのさえ引っ込んでしまったようだ。ドビーは嬉しそうに耳をパタパタさせ、指をパチンと鳴らしてハリエットの身体を綺麗にしてくれた。綺麗なワンピースがあんなに煤に塗れていたのに、一瞬で新品同様に戻ったので一層ハリエットは驚いた。

 水を飲んでいると、スネイプがやってきた。軽く煤を叩いていると、彼もまたドビーによる清めの呪文を受けた。

「お招きいただきありがとうございます。ナルシッサもご無沙汰で」
「ええ、あなたがここに来るのも随分久しぶりね。ようこそ」

 ナルシッサは微笑み、スネイプと軽くハグをした。

「ぜひドラコにも会っていってくださいな。セブルスが来ると伝えたら、随分前から楽しみにしていて」
「スネイプ先生!」

 喜々とした声が響いたかと思うと、階段を軽快に駆け下りてくる音がして、何かがスネイプにドンと抱きついた。その拍子に、スネイプが持っていたぬいぐるみが地面を転がる。

「この前は誕生日プレゼントをありがとうございました!」

 男の子を抱き留め、スネイプは僅かに表情を和らげた。

「気に入ってもらえて何よりだ」
「ドラコったら、夜更かししてまで読んでるみたいで困ったものよ。今日だってお客様がいらっしゃるって言ってるのになかなか起きてこなくて」

 膝を折り、ナルシッサは目を細めて男の子の寝癖を整えた。その間にハリエットがぬいぐるみを拾い上げると、彼と目が合った。

「彼女は?」
「話しただろう。ハリエット・スネイプだ」
「ふうん……」

 男の子はジロジロハリエットのことを見てきた。ムッとしてハリエットはぬいぐるみを抱き締める。

「部屋で彼女と遊んでなさい。私たちは少し話がある」
「僕が?」

 不満を隠そうともせず男の子は叫んだ。

「どうしてマグルなんかと遊ばないといけないんですか!」
「マグルではない。マグルの血が混ざっているだけだ」
「同じことではないですか!」

 マグルというのは、生まれつき魔法が使えない人のことを指す言葉だそうだ。逆にマルフォイ家は代々生まれながらにしての魔法使いなので、マグルを差別する風潮がある――というのが、ここに来るまでスネイプから聞き及んでいた情報だった。

 自分がマグルだったとしても、こんな風にまるで病原菌でも持っているかのように扱われるのは気分が悪かったし、そんな態度を取られれば、ハリエットだってこの男の子にあまりいい感情を持つわけがなかった。それに――。

 彼とスネイプの仲が良さそうなのも気になった。お世辞にもスネイプは子供に好かれるような人ではない。なのに、まるで親戚の子供のように可愛がってるらしい男の子の存在に、ハリエットは胸がモヤモヤするのを感じた。

 ハリエットは、一度だってあんな風に抱きついたことはない。嫌われたらと思うとどうしても一歩踏み出せなかったのだ。だからこそ、素直に親愛を表現する男の子に妬いた。スネイプとて、自分といるときよりも、柔らかい表情をしていたし、それは、遠慮がちなよりは素直な態度の方が可愛がられるのは当然だ。

 ぬいぐるみを抱き締めてうじうじしていると、大人たちはリビングの奥の方へと行ってしまった。ポツンと残されたのは、おろおろしているドビーと不機嫌そうなドラコ、ハリエットだけだ。

 ドラコは黙って階段を上り始めた。どうして良いか分からなくてドビーを見れば、彼は困ったようにピクピク耳を動かした。

「早く来い!」

 突然怒鳴られ、ハリエットは飛び上がった。見ると、二階からドラコがハリエットを睨んでいる。ハリエットは慌てて階段を上った。

「鈍くさい奴め」

 ブツブツ言いながらドラコは長い廊下を歩いた。至る所に肖像画が掛けられていて、中の人物がまるでテレビのように動き、話しているのが驚きだった。

 ドラコの部屋は、スピナーズ・エンドのリビングほども広い場所だった。

「僕は父上に言われたから仕方なくお前を部屋に入れたんだ。大人しくしてろよ」

 そう言うと、ドラコはソファに座って図鑑のようなものを読み始めた。手持ち無沙汰だったので、ハリエットは絨毯の上に座ってぬいぐるみを膝の上に乗せた。

 ふくろうのぬいぐるみは、真っ白な毛並みに明るいグリーンの瞳をしていた。もこもこしているので触り心地は最高だ。

 ぬいぐるみを撫でていると、「ホウ」と一声響いたのでハリエットはびっくりしてしまった。恐る恐る声のした方を振り返ってみると、黄褐色のワシミミズクがこちらを見つめていた。もう一度彼は「ホウ」と鳴く。

 ハリエットはドラコの方を見た後、恐る恐るふくろうに近づいた。近くで見ると随分大きい。ハリエットのぬいぐるみの二倍はあるだろう。ワシミミズクは、ぬいぐるみに興味を持っているらしかった。興味津々に首を傾げるので、ハリエットもそれに合わせてぬいぐるみを傾けてみた。

「ホウ」
「ホウ」

 手の中で鳴き声がしてハリエットは驚いてもう少しでぬいぐるみを落とすところだった。驚いたのはハリエットだけではないようで、ワシミミズクもバタバタと羽をバタつかせる。すると、なんとぬいぐるみの方も真似をするかのように羽を動かし始めたではないか!

 ようやくあの店の主人が早口で言っていたことを薄ら思い出してきた。確か、物真似の魔法が何とかかんとかと言っていたような気がする。

 一見怖そうな顔をしたワシミミズクだが、ハリエットが檻の中にそうっと指を入れても彼は怒らなかった。それどころか、大人しく撫でられてくれたので、きっと賢いふくろうなのだろう。

 ハリエットは嬉しくなってワシミミズクとしばらく遊んだ。ぬいぐるみが鳴くと彼は不思議そうに鳴き返すし、おかしくなってハリエットも「ホー」と言ってみたらもっと驚いたような顔になった。

 意外にもからかいがいがあるので夢中になっていると、突然ワシミミズクがバサバサと羽を羽ばたかせた。何事かとハリエットが目を丸くしていると、窓をコンコンと叩く音があった。更にもう一羽、窓の外にふくろうがいたのだ。それも、よくよく見れば、その足には小さな荷物が括り付けられているではないか!

 驚きのあまり、ハリエットは思わずドラコに話しかけていた。

「ね――ねえ! 窓を見て! ふくろうが荷物を運んできたわ!」
「何を当たり前のことを……」

 ブツブツ言いながらドラコは窓を開けた。ふくろうの足から荷物を外す。あまりにも自然に行われる行動にハリエットはポカンとしていた。

「魔法使いの家ではこれが当たり前なの?」
「当然だ。ふくろうがいないと誰が手紙を運ぶんだ?」
「郵便配達の人よ。毎朝持ってきてくれるの。新聞とかチラシとかも」
「マグルは知恵がないから人力でなんでもやらないといけないんだろう」
「知恵がないとか、そういう問題でもないと思うわ」

 小声で言い返しながらも、ハリエットは届いた荷物が気になってそろりとドラコの方に近づいた。どうやら新聞のようなものが到着したらしい。少しくらい良いだろうと伸びをして文面を覗き見れば、一面に大きく取り上げられている写真が、まるで動画のように動いていることにびっくりしてしまった。

「すごい、それ写真? どうして動いてるの?」
「写真が動くことに理由なんてない」
「でも、普通写真は動かないわ。私たちの所では……」
「マグルはそうだろうさ」

 パラパラと流し読みした後、ドラコはもう興味を失ったとばかり新聞を放り投げた。ハリエットは好機とばかりそれを拾って軽く読んでみた。何か面白いことでも、と思ったが、ドラコがすぐに興味を失った訳が分かった。政治的なことばかり書かれていて、とても深く読み込む気にはなれなかったのだ。

 となれば、次に気になってくるのは、部屋に戻ってきてからずっとドラコが夢中になっている雑誌の方だ。

 ドラコの横顔がちょっと機嫌良さそうに見えたので――会って一時間かそこらの付き合いにきちんと判断できたかも怪しいが――ハリエットは思いきって声をかけてみた。

「何を読んでるの?」

 ドラコはちらりと横目でハリエットを見て、また雑誌に視線を戻した。

「クィディッチ」
「クデッチ?」
「クィディッチ!」

 語気を強めてドラコは返した。あまりにも言葉足らずだ。ハリエットは仕方なしにまた質問を投げかける。

「クィディッチってなあに?」
「スポーツ」
「どんなスポーツなの?」
「空を飛んでボールを相手のゴールに入れればいい」
「空を飛ぶの!?」

 突然の大声に、ドラコはビクッと肩を揺らした。ようやく目が合う。

「私、空を飛ぶ所見たことないの! ねえ、私にもちょっと見せて」

 そう言いつつも、ハリエットはそわそわしてもうドラコのベッドに上がる準備をしていた。――が、予想に反してドラコはぷいとそっぽを向く。

「嫌だね。これは僕のだ」
「ちょっとくらい良いじゃない。隣から見せてもらうだけよ」
「嫌だ」

 頑として譲らないドラコに、さすがのハリエットもムッとしてくる。心が狭いどころの話ではない。

「――じゃあいい!」

 ハリエットもぷいっとそっぽを向き、ぬいぐるみと共にワシミミズクの所へ戻った。「お疲れ様」とでも言うようにワシミミズクはホーと鳴いたが、ハリエットのささくれだった心はそう簡単には癒やされなかった。


*****


 昼食はマルフォイ家と共に食べた。しもべ妖精が手際よく用意した豪華な昼食は初めて見るものばかりで、ハリエットはおっかなびっくりナイフとフォークで慎重に口にした。

 昼食の席は、主にお喋りなドラコがいろんな話をしていた。もっぱらクィディッチの話ばかりで、最新型の箒がどうのとか、どこのチームの誰がどうのとか、ハリエットにはちんぷんかんぷんなものばかりだった。

 だが、もちろんハリエットには分からないことだらけでも、その他の人にとってはそうではなく、ルシウスやナルシッサ、スネイプばかりも自然と会話に入っているので、ハリエットは疎外感を感じて寂しくなった。

 食事も終盤が近づき、デザートが出てくると、ようやくハリエットの存在を思い出したとばかりナルシッサが話しかけた。

「可愛いぬいぐるみね」
「ありがとうございます! 先生に買ってもらったんです!」

 ふくろうのぬいぐるみは、空いていたハリエットの横の椅子に座らせている。手を伸ばしてハリエットが撫でると、先程の物真似魔法の名残か、「ホウ」と鳴いた。

「君とぬいぐるみは似合わないな」
「店主に言いくるめられて買っただけです」

 からかうように見られ、スネイプは顔を顰める。ルシウスはティーカップをテーブルに置いた。

「そういえば、彼女の入学前の教育はしてるのか? 魔法薬学だけでも先に学んでおけば他と差をつけられる」
何分なにぶん時間がないもので……」

 自分の話だと分かった途端、ハリエットは反射的に口を開いていた。

「私、魔法界のこと勉強したいです」

 皆が驚いたようにハリエットを見る。普段は気後れして言えないことも、今なら言える気がした。

「あと、空も飛んでみたい……」

 そうして小さな声で付け加える。空を飛ぶのがハリエットの今の一番の夢だ。魔法使いは箒に乗って空を飛ぶというのはスネイプから聞いていたが、スネイプが飛ぶところを見たいとか、自分も飛んでみたいという我が儘は言ったことがなかった。断られるかもと思ったし、面倒だと思われたら嫌だったからだ。

「それなら箒はドラコに教わるといい」
「えっ!」

 思わずといった様子でドラコは声を漏らした。単なる戸惑いと取ったのか、ルシウスは気にすることなく続ける。

「お前も一緒に箒に乗る相手が欲しいと言っていただろう?」
「それは……でも、マグルだし……」
「彼女は半純血だ。半分は純血の血が混じっている」

 ハリエットも、できれば教わる相手がドラコというのは遠慮したかったが、この場の決定権を所持しているルシウス相手に異を唱えることなどできなかった。それは息子たるドラコも一緒なようで、クラッブ、ゴイルとごにょごにょ言う声が聞こえてきたが、そのまま小さくなって更には押し黙った。

「しかし、ご迷惑では」

 最後の砦であるスネイプが口を挟んだが、ルシウスは意に介さない。

「君には普段からドラコの勉強を見てもらってるんだ。これくらい構わないさ」

 そんな風に言われれば、スネイプも引き下がるしかない。ハリエットは、今後週末が来るたびにあの気まずい空気を味わわないといけないんだろうなと思って少し憂鬱な気分になった。




*おまけ:覗き見*



 ガタン! と物音がして、スネイプは訝しげに顔を上げた。

 隣からの騒音ではない。明らかに二階から聞こえてきた。

 もしかして何かあったのではとスネイプは書きかけの羽根ペンを置いて階段を上った。ハリエットは大人しく、普段から騒いだりしない。そういえば彼女はついこの間風邪を引いたばかりだ。また熱がぶり返して朦朧としているのではとそう思ってしまったのだ。

 ハリエットの部屋は、僅かに隙間が空いていた。そこからそっと覗くと――。

「えいっ!」

 ハリエットが、ベッドからジャンプしているのが見えた。綺麗に着地したが、しばらくその場から動かない。やがて首を傾げながらまたベッドに上り、勢いよくジャンプする。

「なんで飛べないのかしら」

 何度かそれを繰り返した後、不思議そうに呟くその一言に、スネイプはようやく合点がいった。

 君は魔女だと告げてから早数時間。ハリエットは早速「魔法」を使おうとしているのだ。深く考えずとも今は空を飛ぼうとしていることが容易に理解できる。

 空を飛ぶ方法なんて知らないだろうに、なぜチャレンジしたのだろう。なぜできると思ったのだろう。スネイプには不思議でならないが、しかしまだ彼女は八歳なのだ。「魔法」に夢見る年頃なのだろう。

 魔法使いは箒がないと空を飛べない――そのことを伝えようか否かスネイプは迷った。非常に迷った。だが、それを伝えれば恥ずかしいところを見られてしまったとハリエットが自己嫌悪に陥るかもしれない。少なくとも自分ならそうなる。

 しばらく逡巡した後、スネイプは結局何もしないことにした。己は今日何も見ていない。ハリエットの部屋など覗かなかった――そう自分に言い聞かせ、スネイプはそうっと扉を閉めた。