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10:守るべき妹
〜もしもハリーとハリエットが双子じゃなかったら〜



*賢者の石『寮対抗杯』後*


 学期の最終日、キングズ・クロス駅に迎えに来てもらえるようにバーノンに頼んでくれないかという手紙が届いたとき、ハリエットは戦々恐々とした。

 ハリエットは、今までバーノンにそんな大それた頼みごとを一つだってしたことがなかった。どうしてもしなければならない状況に追い込まれたときは、いつだってハリーがやってくれた。

 ハリーとハリエットは、一歳違いの兄妹だった。二人には両親がおらず、親戚のダーズリー家では、まるで召使いの如く扱いを受けていた。

 バーノンには理不尽に怒鳴られ、その妻ペチュニアには甲高い声で小言を言われ、息子ダドリーには殴られたり蹴られたりする。そんな生活の中で、気が弱く大人しいハリエットは、一歳年上の兄ハリーにべったりだった。

 もし万が一――今更そんなことを言ってもあり得るわけはないのだが――ハリーとハリエットが双子だったならば、同い年の兄を支えようと、もう少しハリエットもしっかりしたのだろうが、結局の所、二人は双子ではない。自然とハリエットは兄に甘えたし、ハリーもハリーで、妹を守ろうとしっかりするようになった。ハリーとハリエットは、お互いにとってなくてはならない存在だった。

 大切な兄のために、ここは一肌脱がなくては、とハリエットは意気込んだ。ゆっくり階段を降り、ソファで寝転んでテレビを見るバーノンの側に行く。

「あの……」

 ギロリ、とバーノンが目だけでハリエットを見つめ、ハリエットはヒッと喉の奥で悲鳴をもらした。

「あの、えっと、七月の最初の土日に、ハリーが帰ってくるの……」
「小僧だと?」

 ハリエットはこくこくっと頷いた。

「十一時に、キングズ・クロス駅に着くみたいで……その、迎えに、行きたくて……」
「ふん」

 バーノンはまたテレビに視線を戻した。

「行きたいなら一人で行けば良い」
「でも、ハリーは荷物も持ってるし、その……」
「何が言いたい?」
「く、車を出して欲しいの」

 ハリエットは勇気を振り絞ってその一言を口にした。またしてもバーノンはギロリとハリエットを睨み付けた。

「どうしてわしがそんなことをしなくちゃならない?」
「だって、折角ハリーが帰ってくるんだもの……。それに、迎えに行かなかったら、あっちの世界の人に何されるか分からないわ。またハグ――あの大きな男の人が来るかもしれない」

 もし駄目そうだったら、ハグリッドのことを持ち出せば良い、とはハリーの意見だ。昔から、こういった悪知恵が働くのはいつもハリーだった。ハリーはすごいわと、ハリエットはいつも尊敬の眼差しで向けたものだった。

 ハリーの思惑は成功した。さすがのバーノンも、あの夜の出来事はトラウマだったらしく、渋々頷いた。ハリエットは内心大歓喜だった。

 自分の力で――ハリーの悪知恵のおかげもあったが――バーノンを説得できたこと、そして何より、ハリーが帰ってくること……その二つのおかげで、ハリエットはダーズリー家での日々もそれほど辛いとは思わないようになっていた。手作りのカレンダーにバツをつけ、その日を今か今かと待ち望む日々が続く。

 そして待ちに待った当日がやってくると、ハリエットはとっておきのお洒落をした。全てがお下がりの中でのお洒落などたかが知れていたが、それでもハリエットはできるだけ染みのついていない、よれよれの少ない、サイズが割と合っている服を引っ張り出して着、髪もできるだけ撫でつけ、ハリーからの誕生日プレゼントである、五分ごとに色の変わるリボンでまとめた。――実を言うと、このリボンは貰ってから初めて日の目を見る。ダーズリー家では、少しでも魔法を匂わせることを言ったり、使ったりすると、途端に火がついたように怒り出すからだ。今日くらいは良いだろうと思ってのことだった。

 鏡を覗き込むと、いつもより少しだけマシな格好をした自分が見つめ返していた。女の子らしいアイテムが一つあるだけで、あっと驚くくらい女の子らしくなるのだから、不思議なものだ。

 いざバーノンと共にキングズ・クロス駅に行こうとすると、その直前でダドリーが駄々をこねた。曰く、ハリエットと一緒にロンドンに行くなんてずるい、自分も連れて行って欲しいということだった。

 ダドリーに蜂蜜の如く甘いバーノンが息子の願いを無碍にするわけがなく、ダドリーも一緒に行くことになった。ダドリーが行くとなると、もちろんペチュニアもついていくことになった。

 ダドリーの我が儘によって、危うくハリエットの上機嫌が萎む所だったが、しかし何とか持ち堪えた。ぶすっとした顔でついてくるダーズリー一家と共に、改札のすぐ目の前まで出てきた。

 だが、時間になってもハリーはなかなかやってこなかった。明らかに他とは違う、ふくろうの檻を下げた少年少女の姿はあるものの、ハリーだけが来ないのだ。

「奴は大怪我をして、この夏もう戻ってこないのかもしれんな」

 バーノンは意地悪な顔つきをしてハリエットを見た。ハリエットは素直にこれを鵜呑みにして、内心ぶるぶる震えていた。

 状況が変わったのは、それから十分ほど経ったときだ。人混みに紛れて、くしゃくしゃの黒髪が目に入った。

「ハリー!!」

 ハリエットは喜びに改札の前でピョンピョン飛び跳ねた。何故だかハリーの名前に、近くにいる少年少女がハリエットの方を向くのが分かった。

「ハリエット!」

 人混みをかき分けて、ハリーが現れた。約一年ぶりだった。顔はあまり変わらなかったが、少しだけ声が低いし、背も伸びた。ピンと伸びたその姿勢は、ダーズリー家では見られなかった自信によってもたらされたものだと思われた。

 ハリーはよしよしとハリエットの頭を撫でた。久しぶりに見る兄が、少しだけ別人に思えて、ハリエットはぎこちなかった。

「クリスマス休暇は帰れなくてごめんね」
「いいの……」

 ハリエットはふるふると首を振った。自分たちにとって、ダーズリー家が悪夢のような場所だということは分かりきっている。毎週送られてくる手紙によって、ハリーが楽しくホグワーツで過ごしていることを知ったハリエットは、自分から帰ってこなくていいと言い出したのだ。『クリスマスは新しくできた友達と過ごすから、ハリーも楽しんで』と嘘をついて。

「その子がハリエットね?」

 久しぶりにハリーに甘えていると、彼の後ろから、少女がひょっこり顔を出した。ハリエットは目をぱちくりさせた。

「こ、こんにちは……」
「小さくて可愛いわ」
「ハーマイオニーだって小さいじゃないか」

 ハリーの後ろから更に赤毛の少年がひょいと顔を出した。ひどく背が高く、ハリー達よりも抜きん出ていた。

「失礼ね! 年下の子と一緒にしないで」
「あー、はいはい。でも君、本当に赤毛なんだ。あんまりハリーとは似てないね」
「ロン、まずは自己紹介しないと分からないわ」

 分かるわ、と言おうとしてハリエットは止めた。二人のことは、ハリーの手紙で良く知っていたが、改めて名前を知りたいと思った。

「私はハーマイオニー・グレンジャーよ。よろしくね」
「僕はロン。ロン・ウィーズリー」
「ハリエット・ポッターです……」

 手紙ではよく知っているものの、実物の、しかも自分に対して友好的な人物は非常に珍しく、ハリエットは気弱に兄の背中に隠れた。ハリーは苦笑いを浮かべる。

「ごめん。ハリエット、人見知りで」
「大丈夫よ。初めて会う人には緊張しちゃうものね」

 ハーマイオニーはにっこり微笑んだ。

「ねえ、ハリエットもホグワーツには通えるの? 確か、今年十一歳なんでしょう?」
「ハリーの妹がスクイブな訳ないよ」
「どうだろう……ハリエット、ホグワーツから手紙は来た?」

 ハリエットははにかみながら頷いた。おずおずと懐から手紙を取りだし、ハリーに見せる。

「わあ、おめでとう!」
「良かった! これでハリエットもホグワーツに一緒に通えるのね!」

 ロンとハーマイオニーは手放しで喜んでくれた。もちろんハリーもだ。ハリエットは胸が温かくなった。

「おい、小僧! さっさとせんか! お前のために一日を潰すわけにはいかん!」

 改札の所でバーノンが叫んだ。ハリーの注意が自分に向けられたことを確認すると、彼はペチュニアたちを連れてさっさと行ってしまった。

「じゃあまた」
「夏休みに会おう」

 ハリーとロンは苦笑いを返した。

「楽しい夏休み……あの……そうなればいいけど」

 ハーマイオニーは、バーノンのような人がいるなんて、とショックを受けた顔をしていた。

「大丈夫だよ。僕たちが家で魔法を使っちゃいけないこと、連中は知らないんだ」
「魔法、見れないの!?」

 ハリエットは絶望の声を上げた。ハリーが帰ってきたら、一番に『浮遊術』を見せて貰いたかった。箒で飛ぶ姿だって見たかった。

「大丈夫よ、あなたも九月から一緒にホグワーツに行くんだから、すぐに見られるわ」

 ハーマイオニーはハリエットの頭をポンポンと撫でた。

「ほら、ハリエット。もう行かないと。ロン、ハーマイオニー、またね。手紙待ってるよ」

 元気でな、とロンはハリーの背中を叩いた。ハリエットには、一瞬戸惑った後、頭をポンと叩いた。

「君ともホグワーツで会えることを楽しみにしてるよ!」


*****


 夏休みの間中、ハリーは家で魔法を使えなかったので、ハリエットは、兄が魔法使いだという実感が湧かなかった。だが、どうやって入ってきたのか、ドビーと名乗るヘンテコな生き物がケーキを浮かせたり、空飛ぶ車でロン達が迎えに来たりで、ハリエットは突如魔法界に飛び込むこととなった。

 ヘンテコな生き物は、ロン達からの手紙を妨害していたらしく、返事が来ないことを不審に思ったロンと、彼の兄、フレッドとジョージが魔法使いらしいやり方で迎えに来たというわけだ。

「おいおい、ジニー、こんな所で何してるんだ?」

 フレッドとジョージは、そっくりの双子だった。ジョージと名乗った方がマジマジとハリエットを見る。運転席のフレッドも振り返った。

「驚いたな。いくらハリーのファンだからって、まさか自宅にまで押しかけてるとは」
「あ、あの……」

 ハリーはおろおろとフレッドとジョージを見比べた。二人は、どうやら誰かと勘違いしているようだ。なんと言うべきか迷いあぐねていると、ロンが助け船を出してくれた。

「二人、君をからかってるんだ」
「えっ?」
「ジニーって言うのは僕たちの妹。ジニーも赤毛なもんで、からかってるんだよ」

 途端にハリエットは顔を赤くした。そんなこととも知らないで、一人で真に受けてしまった自分が恥ずかしかった。

 ジョージはニコニコ笑ってそんなハリエットの頭を撫でた。

「可愛いなあ。ジニーとは大違いだ。妹って感じする」
「ジニーは最近小生意気になってきたからな」
「良くも悪くも、ハリエットが悪い影響を受けないことを祈るよ」

 全く同じ顔で、フレッドとジョージは笑った。ハリエットはおどおどと微笑みを返した。

 真夜中のドライブを終え、ハリエット達は、朝方まだ日も昇らないくらいの時間にウィーズリー家にやって来た。ロン達は、興味深い魔法界のことをいろいろ教えてくれたが、いかんせん、ハリエットはまだ十一歳だった。おまけに空飛ぶ車の居心地は最高で、ハリエットはもっと話を聞いていたい気持ちとは裏腹に、うとうとするのを止められなかった。

 ジョージに負ぶわれ、ハリエットはようやく目を覚ました。

「……もうついたの?」
「もうだって? そりゃずっとすやすや寝てたハリエットには『もう』かもしれないけどな」
「四時間以上も空を飛んでたんだよ」

 ハリーはどこか疲れた顔で答えた。身体の節々が痛むとばかり、ぐんと伸びをしている。

「さあ、でも正念場はここからだぜ。俺たちの家にゃ、ラスボスがいる……」
「トロール?」

 ハリエットは夢現の中、無邪気に尋ねた。ハリーが、ロン、ハーマイオニーと共にトロールと戦ったというのは、ハリエットも手紙で知っていた。クィディッチをしたり、ドラゴンを運搬したり、『例のあの人』と戦ったり――そんな中で、もしかしたらハリエットが一番好きな冒険談もしれない。

「ははっ! トロール! そりゃいいや!」

 ハリエットの返しに、フレッドとジョージが一斉に手を叩いた。

「いいか、ハリエット。あの家にはトロール並みにこわーい生き物がいるんだ」
「捕まったが最後、ロックハート談議か庭小人駆除のどちらかを選ばされる」
「俺たちには――ああ、どっちもトロールの棍棒で叩き潰されるくらい恐ろしい出来事だ――」
「我が家にトロールがいたなんて、私、初めて知ったわ」

 冷ややかな声が五人の間駆け抜けた。赤毛の双子はゲッという顔になり、ロンは恨めしげな視線を兄達に向ける。

「さあ、トロールとは誰のことを指すのか教えて頂きましょうか? フレッド、ジョージ?」
「ママ……ママにはジョークが通じると思っていてもいいよね?」
「海のように深い懐を持つママには、俺たちがただハリエットの純粋な発言に乗ってあげただけだって分かってるはずだ!」
「お前達はまたそんな調子の良いことを言って……」

 ウィーズリー夫人モリーは、腰に手を当て、眉を吊り上げた。

「それに、母さんがどんなに心配したか分かって? 本当にお前達はいつもいつも心配をかけてばっかりで……」
「ママ、ハリー達疲れてるんだよ。先に休ませてもいい?」

 いち早くロンがこんなことを言い出した。モリーは、ジョージに背負われ、半分眠りかけているハリエットを見て溜飲を下げるしかなかった。やんちゃな男の子達はともかくとして、ハリエットはまだ小さい女の子なのだ。

「う……まあいいでしょう。あなた達、今夜は覚えておきなさい。――さあ、ハリー、ハリエット。よく来てくれたわね。朝食をどうぞ。お腹空いたでしょう?」

 先ほどの怒鳴り声はどこへやら、モリーはすっかり甘い声を出した。

 ウィーズリー家キッチンは狭くるしかったが、温かいところだった。至る所に家族の愛情があった。モリーは手慣れた様子で子供達に熱々のソーセージを出した。ハリーやハリエットの分は特に多い。

「アーサーと二人であなた達のことを心配していたの。昨夜も、金曜日まで手紙が来なかったら私たちがあなたを迎えに行こうと思っていたのよ。普通のやり方で」

 ジロリとモリーは息子達を見る。息子達はせっせとソーセージに夢中になっている振りをして、これを無視した。

 ハリエットは、食事をしながらも、モリーが軽く杖を振るうだけで目の前をものが行き交う光景に、目を白黒させていた。フレッドがこれを面白がり、ハリエットに蛙チョコを差しだしてきたのでさあ大変。ハリエットは突然チョコレートがぴょんと顔に飛びついてきたので、悲鳴を上げてお皿をひっくり返してしまった。フレッドとジョージはケラケラ笑い、モリーは息子達を厳しく叱った。

「ハリエットをからかうんじゃありません!」
「だって、あんまり素直に反応するからからかわない方が失礼だよ!」

 やがてロンの妹ジニーも降りてきて朝食をとった。彼女は、ハリーがいるのを見つけると、キャッと叫び声を上げた。フレッドとジョージがからかって言うことには、彼女はハリーの大ファンらしい。

 フレッドが気を利かせてハリエットの隣から移動した。ハリエットとジニーの視線がぶつかる。ジニーははにかみ、空いた席に近寄る。

「ここ、いい?」
「う、うん……」
「いつもはうるさいくらいなのに、ジニー、嫌にしおらしいな?」
「うるさいわね!」

 ジニーは頬を染めて言い返し、チラチラとハリーとハリエットを見た。ハリーはロンと楽しそうに話をするので、その視線には気づかない。

 ジニーはポツポツとハリエットにマグル界での暮らしを尋ねてきたが、時間が経つと慣れてきたのか、次第にお喋りになってきた。ハリエットの方も緊張がほぐれ、二人は食事が終わっても尚いろんな事を話した。


*****


 ウィーズリー家通称『隠れ穴』で過ごす日々は本当に目まぐるしく、そして楽しかった。食事の席では、マグルに興味津々のウィーズリー氏のアーサーがしょっちゅうマグル界でのことをハリー、ハリエットに尋ねた。彼はいつもどちらか二人を隣の席に座らせ、話を聞くのだ。二人はいつも交代でその役目を担っていた。

 朝はウィーズリー家の手伝いを少しだけして、午後からは丸まる自由時間だった。ハリー達は、クィディッチの練習したり、丘まで散歩に行ったりといろんなことをした。しかしハリエットは家の中の方を好み、あっという間に仲良くなったジニーと話をしたり、魔法界の玩具で遊んだりした。

 モリーやジニーから、ロックハートという魔法使いが書いた本を薦められ、ハリエットも呼んだ所、ハリエットは一気に彼のファンになった。彼の本はとても面白かった。魔法界のまた知らないたくさんのことを本は教えてくれたし、ストーリーも冒険的で、いつもドキドキ、ハラハラに溢れていた。加えて、すんでのところでロックハートが危険を回避する様は、とても格好良く映った。本のことを素晴らしいと思うにつれ、ハリエットは表紙にデカデカと載っているロックハートの動く写真を見て、顔をポッと赤らめるようになった。それと共に、ホグワーツで早く魔法を学びたいと思うようになった。

 隠れ穴に来てからしばらく、ハリー達はダイアゴン横丁に教科書を買いに行くことになった。

 ダイアゴン横丁へは、暖炉を通って行くことになった。煙突飛行粉を使って一気に目的地へと移動するのだ。お手本はフレッドだった。鉢からキラキラ光る粉をひとつまみ取り出すと、暖炉の炎に近づき、粉を振りかけた。炎はエメラルド色に変わり、フレッドは『ダイアゴン横丁!』と叫んだ。フレッドの姿はすぐに消えた。

「ハリー、ハッキリ正しく発音するのよ」

 モリーは注意したが、ハリーは緊張していた。粉を炎に投げ入れるところまでは良かったが、口を開いたときに熱い牌を吸い込み、むせたのだ。

「ダ、ダイア、ゴン横丁!」

 ウィーズリー家は、皆ハリーの失敗を悟った。ハリエットだけは、何が何だかよく分からない。ただ、騒然とし出した周りを見て、ハリーが何かよくない事態に陥ってしまったということだけは分かった。

「ハリーは大丈夫?」

 ハリエットは涙目になってモリーを見た。モリーは優しくハリエットの頭を撫でる。

「大丈夫よ。アーサー?」
「ああ、分かってる。すぐに助けに行かなければ」

 アーサーは急いで暖炉に消えた。その後にジョージ、ロンも続く。

「さあ、ハリエット、あなたも。気をつけて発音するのよ」
「は、はい」

 ハリエットはおどおどと頷いた。不安で堪らなかったが、煙突飛行粉を一掴みした。そこまでは良かったものの――良くも悪くも、彼女はハリーと兄妹だった。ハリーの失敗を間近で見たばかりだというのに、灰に思い切りむせたのだ。

「ダ、ダイア、ゴン横丁!」

 全くハリーと同じ発音の仕方だった。ハリエットの姿はすぐに消えた。

 高速で回転したと思ったら、次に気がついたとき、ハリエットは石の暖炉の中に転んで着地した。涙目になりながら辺りを見回すと、どうやらどこかの店らしいことが分かった。ハリエットは煤だらけの顔で暖炉を出る。

「ハリー?」

 ハリエットは小さく問いかけた。こんな所にハリーがいるわけがないとは思ったが、幼い頃からの習慣で、ハリエットはまずハリーに助けを求めた。すぐ近くからカタンと物音がして、ハリエットは振り返ろうとしたが、それよりも早く、誰かがパッと姿を現した。

「何だお前は?」

 偉そうに問うたその少年は、ひどく顔白い顔をしていて、おそらく煤だらけの顔をしているハリエットとは正反対だろう。

 見知らぬ人物に高圧的に尋ねられ、ハリエットはきゅううっと縮こまった。

「わ、私……ダイアゴン横丁に行きたくて……」
「ダイアゴン横丁? 煙突飛行に失敗したのか?」

 本当に失敗したのかは分からなかったが、ハリエットはひとまずこくりと頷いた。

「煙突飛行を使うのは初めてか?」

 また頷く。少年は馬鹿にしたように笑った。

「お前、大方マグル生まれだろう? 全く、嘆かわしいね。マグルはマグルの世界で生きていけば良いのに。煙突飛行も使えないような奴がホグワーツに来て欲しくないよ」

 やれやれと少年は首を振った。ハリエットはますます身を縮こまらせた。

 やはり、自分には『魔法』は分不相応だったのではないかと、ハリエットは急速に自信を無くした。ハリーはハリエットにとって格好良いヒーローだ。ダーズリー家の暴力からいつも守ってくれるし、トロールも撃退したし、クィディッチの選手だし、悪い人もやっつけた。――でも、自分は?

 ハリエットは、到底自分がハリーのような勇気や力があるとは思えなかった。

 泣きそうになってハリエットが俯くと、誰かがサッと彼女の前に姿を現した。ハリエットの『ヒーロー』の登場だった。

「そのお喋りな口を閉じろ、マルフォイ」
「ポッター、お前、どこから現れた?」

 マルフォイと呼ばれた少年は、ハリーの登場に大袈裟に目を丸くした。そして馬鹿にしたように嘲る。

「――いや、聞くまでもないな。お前のその煤だらけの顔を見れば嫌でも分かる」

 少年はチラチラとハリーとハリエットを見比べた。

 黒髪の少年と赤毛の少女。どちらも煤だらけの格好をしていて、まるで彼氏気取りで、少年は少女を庇うように立っている。

 少年はフッと鼻で笑った。

「彼女、ポッターのガールフレンドかい?」
「妹だ!」
「おや、そうだったのか」

 彼は意外そうに眉を上げた。

「全く似てないんだな。どっちか一人、橋の下で拾われてきたんじゃないか?」
「黙れ!」

 滅多に見ないハリーの剣幕に、ハリエットはおろおろした。反射的にギュッと彼のトレーナーを握る。それに気づいたハリーは、上から妹の手を握った。

「行くぞ。こんな奴相手にしてたら時間がもったいない」
「逃げるのか? そうか、『生き残った男の子』は、闇の帝王からも、そんな風に無様に逃げ回ったに違いない……」

 むっつりと唇を結んだハリーに連れられ、ハリエットはその店を出た。店の外は、どこか鬱々とした雰囲気の漂う通りが続いていたが、闇雲に歩いていたら、いつの間にか明るい通りに出た。

 もう安全だと判断したハリーは足を止め、真剣な表情でハリエットと視線を合わせた。

「いいかい、ハリエット。絶対にあのいけ好かないマルフォイには近づくんじゃないぞ」
「あの人、ハリーの知り合い? あの人もホグワーツの生徒なの?」

 ハリエットは不安そうに尋ねた。まるでダドリーのような少年の出現に、ハリエットはこれからの行く末が心配でならなかった。

「ああ、まあ。あいつは僕と同級生で、いつもやたらと突っかかってくるんだ。僕の妹だってことで、あいつがハリエットに何かしてくるかもしれないけど、できることなら無視するんだ。いいね? 間違っても自分から近づいちゃ駄目だ。いじめられる」

 ハリエットは従順にこくこくっと頷いた。大好きな兄を馬鹿にしたような態度の彼は、あまり好きにはなれないタイプだと思った。


*****


 はぐれてしまったウィーズリー家とは、本屋で再会した。そこでは、なんとあの『ロックハート』のサイン会が行われており、魔法界で特に有名なハリーに気づいた彼は、ハリーとハリエットを呼び寄せ、一緒に写真撮影までした。すっかり彼の大ファンになっていたハリエットは、幸せのあまりこのまま死んでしまうのではないかと思った。おまけに、彼はホグワーツの『闇の魔術に対する防衛術』の教授となったという。

 彼にサインしてもらった教科書を抱え、ハリエットがふわふわの心地でハリーの後ろをついて歩いていると、マルフォイ親子と遭遇した。アーサーとマルフォイの父親は仲が悪いらしく、不穏な空気が漂っていたかと思えば、殴り合いの喧嘩にまで発展した。すぐ側にいたハリエットはとばっちりを受け、ロックハートの本をバラバラと落としてしまった。慌てて拾い上げたが、本の四隅が潰れてしまい、少し落ち込んだ。相変わらず表紙のロックハートは上機嫌にハリエットに向かってウインクをしていたが。

 それから、駆け足で楽しい日々を過ごし、あっという間にホグワーツへ行く日がやってきた。

 ただ、そこで一つ問題が起こった。昨年は見送ることしかできなかったが、今日はあの『九と四分の三番線』の壁を通り抜けるのだとワクワクしていたハリエットは、ハリーが思いきり壁に衝突したのを見て仰天した。慌ててロンとハリーは壁を調べたが、壁は完全に閉じてしまっていた。ハリー達は、どうあってもホグワーツ行きの汽車に乗れなくなってしまったのだ。

「私……私達、ホグワーツへ行けないの?」

 ハリエットはすっかりしょげて尋ねた。あんなに楽しみにしていたのに、まさか行けないなんて話があるだろうか!

 どんな顔をしてダーズリー家に戻ればは良いというのだろうか。『ほら見ろ』という顔でバーノンが出迎えるに決まっている。その光景を想像すると、ハリエットは異がキリキリと痛んだ。

 だが、まだ希望はあった。ウィーズリー家には、空飛ぶ魔法の車があるのだ!

 それに乗ってホグワーツに行くという意見に、ハリエットは何の疑いもなく賛成した。魔法界の知識について疎かったハリエットは、『むしろ汽車で行くよりも楽しそう!』と随分と安直な考えを持っていた。

 だが、すぐにその考えは覆されることになる。まず、空飛ぶ車での旅路は簡単なものではなかった。汽車にぶつかりそうになったり、暴れる車から振り落とされそうになったり……。ようやくついたと思ったときには、エンジンが壊れてそのまま暴れ柳に衝突した。車に乗ったまま、暴れ柳によって上下左右に揺らされるし、ロンの杖は折れるし、肝心の車のもどこかへ走って行くしで、散々だった。

 そして極めつけは、待ちかねていたホグワーツの教授、スネイプの説教だった。

「ついてきなさい」

 突然後ろに現れたのは、黒いローブを羽織った男性だった。黒々とした髪を肩まで伸ばし、土気色の顔に鉤鼻のその人は、口元に笑みを浮かべていた。初対面だったが、ハリエットにはその笑みが嫌な笑みだとよく分かった。

 ハリーとロンは、明らかに消沈した様子で彼の後についていった。ハリエットも項垂れてその後に続く。

「入りたまえ!」

 三人は震えながら彼の研究室に入った。薄暗がりの壁の棚の上には、大きなガラス容器が並べられ、気味の悪いものがいろいろ浮いていた。ハリエットは恐ろしさのあまり身震いした。

「なるほど……」

 スネイプは低い声を絞り出した。

「有名なハリー・ポッターと忠実なご学友のウィーズリーは、あの汽車ではご不満だった。どーんとご到着になりたい。それがお望みだった訳か?」
「違います、先生。キングズ・クロス駅の柵のせいで、あれが――」
「黙れ!」

 スネイプは冷たく言い、今日の夕刊予言者新聞をくるくる広げた。

「お前達は見られていた」

 新聞の見出しを指差し、スネイプは押し殺した声で言う。

「『空飛ぶフォード・アングリア、訝るマグル』――お前達は見られていたのだ、何人ものマグルに!」

 怒りのあまり、スネイプがバンッと机を叩いた。その拍子に、ハリエットは堪えていた涙をこぼした。一度たがが外れると、せきを切ったようにぶわっと涙が溢れてきた。

 スネイプの冷たい目がハリエットに向く。

「おまけに……なんと嘆かわしいことか、こんな惨事を引き起こした連中の中に新入生がいたとは。いやはや、なんとも嘆かわしい……」

 スネイプは独り言のようにブツブツ言った。

「いや、でもある意味幸いだったか。組み分けをする手間が省けたな……。厳密に言えば、まだホグワーツ生ではない新入生を入学取り消しにするのは容易いことだ……」
「先生!」

 ハリーは思わず声を荒げた。ハリエットはショックを受けた顔になった。入学すらしていないのに退学になったなどと、どんな恥さらしだろう!

「ハリエットは悪くありません! ハリエットは僕たちについてきただけです!」
「黙らんか!」

 スネイプはぴしゃりと怒鳴りつけた。ハリエットは一生懸命嗚咽を飲み込もうとしたが、無駄な努力だった。

「恨むなら目立ちたがり屋の兄を恨むことだ……魔法の『ま』の字も見ないうちにマグル界に送り返されることだろう」
「ハリー……ハリー!」

 ハリエットはグスグスと鼻をすすり、頼りなく兄を呼んだ。ハリエットの新品のローブは、あっという間に涙に塗れた。

「お前達にしても同じことだぞ。……ただ、まことに残念至極だが、お前達は我輩の寮ではないからして、二人の退校処分は我輩の決定する所ではない。これからその幸運な決定権を持つ人物達を――」
「セブルス!」

 バンッと音を立てて扉が開いたと思ったら、そこからエメラルド色のローブを羽織った女性が現れた。彼女は部屋に入るなり、ハリーとロン、そしてハリエットの顔を見比べる。

「組み分けもまだの新入生を捕まえて、何の話をしているんです?」
「ああ、さよう、我輩が行かずとも、向こうからおいでなさったようですな」

 スネイプは恍惚とした表情を浮かべ、女性にいきさつを伝えた。その間、ハリエットは生きた心地がしなかった。

「話は分かりました」

 女性が低い声がそう言い放ち、ハリエットの身体は更に震える。

「ですが、それとこれとは話が別です。この子は一年生ですよ! それも、マグル界で育った十一歳! 兄とその友人の登校方法に問題があったからといって、この子にまで責任を押しつけてはいけません」
「そうじゃな」

 穏やかな声が五人の後ろから響いた。いつの間に入ってきたのだろうか。ハリエットが振り返ると、優しい目をした背の高い老人がそこに立っていた。

「二人はマクゴナガル先生の寮の生徒じゃから、彼女に責任があり、そして処分にも決定権がある。まだ寮も決まっていないミス・ハリエット・ポッターには、校長のわしに責任があり、決定権がある。そうは思わんかね、セブルス?」

 スネイプは苦々しい顔つきに鳴り、ハリーはパッと嬉しそうな顔をした。ハリエットは情けない顔で下を向いた。

「さあ、ハリエット、顔を拭くのじゃ」

 老人はハリエットの肩に手を置き、片目を瞑った。

「今から君の組み分けじゃ。そんな顔をして皆の前に出る訳にいかんじゃろう?」
「先生、ダンブルドア先生――!」
「ハリー、君たちの処分はマクゴナガル先生が決めてくださる。ひとまず、ハリエットはこのままわしが責任を持って大広間まで連れて行こう」
「ハリー……」

 ハリエットは心配そうに兄を見た。ハリーは、少し笑って、ハリエットに向かって頷いた。

 ダンブルドアに誘導される形で、ハリエットはとぼとぼ廊下を歩いた。だが、このままではいけないと、道中、ハリエットは一生懸命ダンブルドアに事の次第を伝えた。九と四分の三番線の壁が急に通り抜けられなくなったこと、ホグワーツに行くには魔法の車に乗るしかないと思ったこと――。

 ハリエットの拙い言葉でどれだけ伝わったかは分からないが、しかしダンブルドアは穏やかな表情で静かにハリエットの話を聞いてくれた。

「私、ハリーと一緒にホグワーツに通いたいんです……」
「残念ながら、それはわしの一存では決められん。二人の寮監はマクゴナガル先生じゃ」
「でも……でも……」
「じゃが、一言付け足すと、マクゴナガル先生は非常に慈愛に満ちた先生じゃ。懐まで受け入れることはあれど、突き放すようなことはないじゃろう」

 諭すように言うダンブルドアに、ハリエットは不思議と心が落ち着いていくのを感じた。そして小さく頷いたとき、ようやく大広間にたどり着いた。

 そして、ハリエットは皆の好奇の視線の中、一人だけやけに遅れて組み分けの儀式を受けることになった。顔は涙でグシャグシャで、ローブもよれよれ、あちこちかすり傷もある。こんな格好でで全校生徒の前で組み分けをするなんて、とハリエットは思ったが、入学できるだけ万々歳だ。ハリエットは椅子に腰掛け、よれよれの帽子を頭に乗せられた。

 そして、頭の中に響いてくる不思議な声に、ハリエットは一生懸命お願いした。

「グリフィンドールがいいの!」

 どうかあの怖そうな教師がいないところがいい――。

 ハリーからは散々聞いていた。セブルス・スネイプは嫌味で底意地が悪くで、自分に意地悪ばかりしてくると。そんな彼はスリザリンの寮監で、ハリーに高圧的だったドラコ・マルフォイという少年もスリザリンだということを――。

「私、スリザリンは嫌……怖い……」

 先程の説教で、散々スネイプに対する恐怖心が植え付けられたハリエットは、必死になってグリフィンドールを願った。そして、組み分け帽子もそれを叶えてくれた。ハリエットは涙が出る程喜んだ。

 無事グリフィンドールにくみ分けされたハリエットのホグワーツ生活は、残念ながら安泰とは言えなかった。

 そもそも、ドビーのせいで部屋に閉じ込められ、危うく餓死しそうになったり、魔法の車から落ちて死にそうになったり、退学になりそうになったり、ハリエットは入学前から散々だった。だが、それは入学してからも変わらず、むしろもっとひどくなった。

 入学して翌日には、モリーから『吠えメール』が届いたり、ハリーがブラッジャーに殺されそうになったり、初めての飛行訓練で、暴れる箒からハリエットがふるい落とされそうになったり、生徒が次々にもの言わぬ石になったり、ハリーが継承者だと皆から遠巻きにされたり……。

 あんなに憧れていた魔法界で散々な目に遭っていたハリエットは、その心の隙間を埋めるように、不思議な日記に悩みや不安を書き連ねた。いつの間にかハリエットの教科書に紛れていた『リドルの日記』は不思議な日記で、ハリエットが文字を書くと、それに答えてくれるのだ。ハリエットはすぐにこの日記に夢中になり、たわいもないお喋りをしたり、悩みを相談したりした。この『リドル』のせいで、自分が恐ろしいことに手を貸しているとはつゆ知らず、ハリエットは日記を心底信頼していた――。