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12:守るべき妹2


misty様
リクエスト

 右腕を吊り、ベソをかき、あちこち汚れてしまったローブ姿で、ハリエットは人目を憚るようにして外に出た。

 今でも、皆の嘲笑が耳に張り付いてならない。

『ハリー・ポッターの妹なのに』
『マグル生まれでもあれよりはマシだ』
『箒に嫌われてるよ』
『退学した方がむしろ安全じゃない?』

 ハリエットも自身も正直そう思っていた部分はあったので、余計にショックだった。

 初めての箒訓練。ハリエットは心から楽しみにしていた。なんてったって、空を飛べるのだ! ハリーからの手紙でも、いつも空を飛ぶのは楽しいと書いてあったし、ジニーも箒は大の得意らしい。ハリエットも、ちょっと怖い気持ちはあったが、それ以上に楽しみに思う気持ちの方が強かったはずなのに――結果は散々だった。

 マダム・フーチの合図と共に浮上したハリエットは、始めは調子が良かった。それなのに、突然箒が暴れ出し、ハリエットはどんどん上へ上へと上がっていった。マダム・フーチが降りてくるよう言っていたが、ハリエットにはどうすればいいか分からなかった。ただ上に上がるだけならいい。箒は、次第にハリエットの手元で暴れ始めて、ハリエットを右に左にと振り落とそうとするのだ。

 マダム・フーチが魔法で強制的に止めようとしてくれたが、それを拒むかのように箒は禁じられた森へと一直線へ進み、やがて木にぶつかってハリエットは地面に強かに激突した。

 恐怖と激痛のあまり、ハリエットは取り乱してわんわん泣いてしまった。遊園地にも行ったことのないハリエットにとって、暴れる箒は何よりも恐ろしい死の恐怖を与えた。まだ腕が折れただけでも幸運だった。だが、そう考えてもこの激痛が和らぐわけではない。

 マダム・フーチにすぐに医務室に連れられ、処置を受けたが、ハリエットの心の痛みはなかなか癒えなかった。痛みが治まってくると、つい先ほどの光景が蘇ってきたのだ。暴れる箒の恐怖と、大泣きするハリエットにかけられる嘲笑の数々。楽しみにしていた授業が一転、悪夢の出来事に早変わりしてしまった。

 その上、ハリーからもらったリボンをどこかに落としてしまったことにも気づいた。医務室のベッドで気がついた時には、ポニーテールにしていたはずの髪が解けてしまっていたので、きっと箒に乗っていた時に落ちてしまったのだろう。

 もう辺りは薄暗くなり始めていて、ちらほら生徒たちが大広間へ向かう声もする。だが、どうにもハリエットはそんな気にはなれなかった。大広間に行けば、皆がハリー・ポッターの妹の情けなさを噂しているのではと怖くて堪らなかったし、ハリーのリボンのことだって気にかかる。

 そう思って、ハリエットは一人とぼとぼと玄関ホールへ向かったのだ。

 だが、探し始めて早々、ハリエットは後悔し始めていた。外には人の気配がなく、おまけに薄暗いのだ。今にもお化けが出てきそうでハリエットは震え上がる。

 早くリボンを見つけてしまおうと、熱心にいろんな所を見て回ったが、なかなか見つからない。もしかしたら、木にぶつかった時に落ちてしまったのかもしれないとハリエットは森の方へ視線を向ける。

 ――禁じられた森は、怖い目に遭いたくなければ近づくなとダンブルドアが忠告していた場所だ。事実、ホグワーツの灯りも夕日の光も届かないような薄暗いその森は非常に不気味になって見える。

 ――やっぱり帰ろうか。

 禁じられた森を遠目に見ながら、それでも決心がつかずにうろうろしていると、不意に何かが空を横切ったのが見えた。遠くの方で、一人箒に乗った誰かが上空を旋回している。

 その光景にハリエットは少しだけ勇気をもらい、そろそろと森の方へ近づき始めた。入り口の所を少しだけ探すだけだ。万が一怖いことが起こったら、あの箒の人に助けを求めようと思っていた。あんなに上手に乗るのなら、きっと上級生だ。魔法を使ってハリーのように華麗に助けてくれるだろう。

 森の端につくと、ハリエットは覚えたての「ルーモス」を使って辺りを探してみたが、リボンはなかなか見つからない。

 諦めて、もう帰ろうかと空を見上げた時、ちょうど目に入ってきたのは、緑が生い茂る木の葉の中、小さな何かがゆるりと華やかな朱色に変わった瞬間だった。

「あっ!」

 目を凝らしてみると、間違いなくそれはハリエットのリボンだった。運の良いことに、ちょうど良いタイミングで色が変わってくれたものだ。ハリエットは嬉しくなって木によじ登ろうとしたが、生憎と木の節は高いところにあって、ハリエットが登るのは難しそうだった。魔女らしく魔法を使うことも考えたが、今の時点で有用な魔法なんて何も思い浮かばない。もう少し後だったら、フリットウィックが浮遊術を教えてくれると言っていたのだが……。

 困ったハリエットは、箒の人の存在を思い出した。あの人だったら助けてくれるかもしれないと、ハリエットは駆け戻って空を見上げた。声をかけるのは憚られたため、もの言いたげにうろうろしていれば、箒の人もハリエットの存在に気づいたのか、やがて降りてきてくれた。薄闇の中浮かび上がった顔にハリエットは固まった。ハリーに近づくなと言われていたドラコ・マルフォイだったからだ。

「こ、こんばんは……」
「ポッターの妹か? 降りてきて損した」
「私、ハリエット・ポッターよ」
「ポッターの妹が何の用だ?」

 自己紹介を無視されたが、ハリエットは構わず続けた。

「助けてほしいの」
「なんだって?」
「リボンが木に引っかかっちゃったの。だから、それを取ってほしくて……」
「僕が? 僕に頼んでるのか?」

 ドラコは箒を肩で抱え、ツンと顎を逸らした。良いことなのか悪いことなのか、その高慢な態度がよく似合っている。

「木に引っかかってるリボンすら取れないなんて、君はそれでも魔女か?」
「大切なリボンなの」
「ポッターに頼めよ」

 そう言い捨ててドラコは城の中へ帰ろうとする。ハリエットは小さく呟いた。

「ハリーは嫌なの……」

 大広間に行ってハリーに話しかければ、尚のこと目立ってしまう。落ちこぼれの妹が兄に頼っていると。それこそ、木に引っかかったリボンすら取れないのだと他の人たちに知られて笑われてしまう。

 ドラコは黙ってハリエットを見ていたが、やがてそれでも見捨てて行こうとする。ハリエットは思わず呟いていた。

「……ケチ……」

 本当に小さな声だった。だが、地獄耳ドラコはギギギ、と音が鳴りそうなくらいぎこちなく振り返った。

「今なんて?」
「え……えっ」
「今ケチって言ったのか!?」

 まさか聞かれてしまったとは思いもよらず、ハリエットは慌てふためいた。

「ご、ごめんなさい……」
「全くだ! こっちの気も知らずにケチだって!?」
「だって、ちょっと魔法を使うだけだと思ったから……。できない理由があるの?」

 咄嗟に出た言葉を本気に取られ、今度はドラコが言葉に詰まった。

「もしかして、浮遊術は二年生では習ってないの?」
「習ってる! 馬鹿にするな!」

 馬鹿にしたわけじゃないのに、とハリエットはしゅんとする。だが、良いことを聞いた。ハリエットはドラコを期待の目で見上げる。

 一方のドラコは、もう後がないことに気付いていた。何しろ、当のハリエットは上目遣いの目で、見るからに「じゃあ……」と言ってきている。ドラコがヤケになって白旗を上げるのも無理なかった。

「……感謝しろよ。取ってやる」
「ありがとう!」

 ハリエットは足取りも軽くドラコの後についていった。後ろから「あっちの方」と禁じられた森を指差せば、見るからにドラコは嫌そうな顔をした。

「なんであんな所にリボンが引っかかったんだ?」
「あの……ええっと」

 大失敗を自らの口で説明することほど苦痛なものはない。しかし、嘘をつく技術も度胸もないハリエットは、渋々口を開く。

「箒の授業で、コントロールできなくなって、間違ってあっちの方に行っちゃったの……」
「はっ! ポッターの妹は箒下手なんだな、これは良いことを聞いた!」
「別に、もう皆知ってるわ。スリザリンの子たちに笑われたもの」

 情けなくなって俯くと、ドラコもそれ以上からかうことはせず、気まずそうにそっぽを向いた。ハリーにはいつもつっかかっているドラコだが、さすがに年下の女の子に対しては自重するべきと思った……のかもしれない。

 件の木の下に着くと、ドラコはいとも容易くリボンを取った。ハリエットは嬉しそうにお礼を言って、早速髪を結った。

「ポッターに教えてもらえばいいだろ」

 不意にドラコが何か言った。箒を肩に担ぎ、向こうの方を向いている。

「え?」
「箒!」
「だって、ハリーは毎日宿題やクィディッチの練習で忙しそうだもの。頼めないわ」
「それくらい両立できないでよく生き残った男の子を自称できるな!」
「ハリーは自称してないわ」

 ドラコが歩き出した。こんな所に置いてけぼりは嫌だと小走りでハリエットもついていく。

「マルフォイは、いつもあそこで箒の練習してるの?」
「ああ、なにせ僕は今年から――」

 何か言いかけて止まった。ハリエットは気にせず尋ねる。

「いつ練習してるの?」
「授業が空いてる時間。金曜日とか……」
「私も一緒に練習していい?」

 ドラコは驚いた顔でぐりんと振り返った。

「何を馬鹿な!」
「箒の練習をしたいけど、一人じゃ怖いの。またコントロール不能になっちゃったらって思うと……」
「僕に教えてる暇はない」
「教えてなんて言わないわ。ただ、もし私が箒から落ちちゃったら、医務室に運んでほしいの」
「ポッターに頼めって」
「ハリーは忙しくて――」
「僕は忙しくないと?」

 何だかまた同じようなことの繰り返しになってしまっている。ハリエットは辛抱強く説得した。

「あなたが練習してる横で、私が一人で箒に乗ってるだけよ。うるさくしないし、邪魔もしないわ。ただ、もし箒から落ちたら助けてほしくて……」
「…………」

 ドラコは押し黙ったままだ。そのうち城についてしまった。どうしてもドラコにうんと言わせたくて、ハリエットは彼について地下へ続く階段までも降りようとしたが、後ろからハリーに呼びかけられてその足は止まる。

「ハリエット! 箒から落ちたって聞いたけど――」
「ええ、まあ」

 ハリエットは口ごもる。自分の失敗談を説明するのも嫌だったが、知り合いに失敗談を聞かれるのも恥ずかしかった。

「大丈夫? もう治してもらったの?」
「大丈夫! もう元気よ」

 ちらっと階段の方を見れば、もうとっくの昔にドラコは姿を消していた。だが、問題ない。意図していたわけではないが、断られる前にハリエットはドラコの練習日を聞いていたのだから――。

 当然、一週間後の金曜日、「来ちゃった」と照れ笑いしながらやってきたハリエットに、ドラコはもちろん良い顔はしなかった。しかし、自分から宣言した通り、ドラコの邪魔をすることはなかったので、まあこのくらいはと無視していたのだが――ハリエットの孤軍奮闘は、正直目も当てられない有様だった。

 「上がれ」と命令してもコロコロ地面を転がって逃げ惑う箒を追い掛けたり、箒に跨がってちょっとジャンプして浮遊感を味わったら満足してすぐに地面に足をつけようとしたり、ようやく慣れてきたのかと思ったら、壁伝いに五メートルかそこらの高さまで浮上して「わあ!」なんて感激した声をあげたり。

 ドラコの堪忍袋の緒が切れる方が早かった。

「そんなので魔女を名乗れると思うなよ!」

 なぜ急に怒られたのか、ハリエットはその理由が全く分からなかった。しかし、ガーガーがなり立てる嫌味や嘲笑の合間に、確かにアドバイスらしきものは存在している。

 ならばと大人しく実践すれば、ドラコもドラコで、ちゃんと素直に魔女らしくなっていくハリエットを見て、心なしか嫌味の度合いを下げてちゃんとしたアドバイスをくれるようになった。

 こうして、ハリエットの、立派な魔女になるためのスタートが切られたのだ。


*****


 予習復習に箒の練習、慣れないことばかりに四苦八苦していたら、月日が経つのはあっという間だった。いつの間にか肌寒くなっており、かと思えば急に冷え込んだ。雪景色がもはや当たり前の光景になりつつあったこの頃、いよいよクリスマスがやって来た。稀に見る晴天で、窓には霜が降り、外ではしんしんと雪が降っている。ジニーはもう起きていて、プレゼントの開封をしていた。

「おはよう、ジニー」
「おはよう。メリー・クリスマス!」
「メリー・クリスマス」

 ハリエットの下にもいくつかプレゼントが届いていた。ハリエットも、ひとまずトムにクリスマスの挨拶だけをしてプレゼントの開封に勤しんだ。ハリーたち三人やジニー、コリン、ルーナ、ハグリッド、それにモリーからのプレゼントもあった。

 ハシバミ色のセーターで、大きくハリエットの頭文字のアルファベットが刺繍されている。昨年、ハリーが彼女から手編みのセーターをもらったと聞いて、ハリエットは心底羨ましそうにしていたので、もしかしたらハリーがロンに話してくれたのかもしれない。

 ジニーはまだたくさんの兄弟や親戚からのプレゼントに忙しいようだったので、ハリエットは一足先に談話室へ向かった。

 ハリーたちが見当たらなかったので、寝室まで行こうと階段に足をかけたら、上から声が振ってきた。

「――私、もう一時間も前から起きて、煎じ薬にクサカゲロウを加えてきたの。完成よ」
「クリスマスにも宿題をしてるの?」

 階段下に待ち構えるようにして立っていたハリエットに驚いたのか、ハリーとロンはわっと遠慮なく叫び声を上げた。まるで幽霊を見たかのような反応にハリエットもむくれる。ハーマイオニーは一瞬間を置き、優しく言った。

「ええ。宿題を早く終わらせたかったの」
「私、まだたくさん残ってるの。ハーマイオニー、分からないところがあったら聞いてもいい?」
「ええ、もちろん」
「ありがとう。それでね、三人とも、プレゼントありがとう。メリー・クリスマス!」
「メリー・クリスマス……」
「モリーおばさんからセーターも届いてたの。ハシバミ色よ。ハリーのは何色だった?」
「アー、ごめん、ハリエット」

 横に避けたハリエットのそばを通りながらハリーは気まずそうに言う。

「ちょっと僕たち、今から行く所があるんだ……。また後でね!」

 そうして颯爽と姿を消したハリー。あまりに素早い逃走にハリエットが声をかける暇もなかった。せっかくのクリスマスに、一体どこで何をするというのだろう?

 ハリエットはしょんぼりした。そもそも、最近のハリーはハリエットに対して秘密主義だ。三人で話しているところに話しかけに行ったら、すぐさまピタリと口を閉じるのだ。聞いたらいけない話なのだろうか? ハリエットが内緒話を共有する相手はハリーだけだったのに、ホグワーツに来てからのハリーはそうではないらしい。ロンやハーマイオニーという友達ができたことは喜ばしいことだ。だが、自分にまで内緒話をされるというのは悲しかった。あの三人の中には、絶対に入ってはいけない気がして……。

 そんなこんなで、タイミングを逃したり、拗ねたり、怖くなったり、そういう様々な感情が入り交じり、ハリエットは、最近の自分の悩み事について、ハリーに相談できずにいた。――時々自分の中で空白の時間があることや、気がついた時には来た覚えのない場所に立っていたり、朝起きたら、ローブに鳥の羽がびっしりついていたり……。

 ダーズリーの家で暮らしていた時は、こんなこと今までに一度もなかった。夢遊病だろうか? 誰にも言えなくて、トムに相談してみたら、ストレスじゃないかとのことだった。新しい環境や、周りの陰口、箒のことや、ハリーのこと……。確かに、心当たりはたくさんあった。だが、このままだと何かとんでもないことを引き起こすのではないかとハリエットは不安で堪らなかった。「そういう時の相談相手だ。いつでも頼って」とトムは言ってくれたので、ハリエットはつい彼に甘えていた。

 ソファに腰を下ろし、あまりにも辛気くさい空気を醸し出していたのだろう。見かねてフレッドとジョージが雪合戦に誘ってくれた。ハリエットは嬉しくなってジニーを呼びに寝室へ飛んでいき、四人で昼食まではしゃいで遊んだ。

 午後は談話室でまったりしていた。暖炉前でお菓子を広げながら、ジグソーパズルをしたり、パーシーにチェスの手ほどきを受けたり。

 そのうち、暖かな暖炉に眠気を誘われ、ハリエットはソファの上に横になり、うとうとし始めた。深い眠りに落ちるのもあっという間で、気づいた時には談話室には誰もいなかったのだ。驚いて外を見ると、もう暗い。夕食の時間なのだ。

 ハリエットは急いで大広間に飛んでいき、ワイワイと集まって食事をしていたウィーズリー家とジニーについ恨み言を口にした。

「どうして起こしてくれなかったの?」
「起こしたわ。でも、丸まった猫みたいにてこでも起きないんだもの! だから後で食事を持って行こうと思ってたのよ」

 ジニーが肩をすくめた。起こされた記憶はないものの、パーシーまでもがうんうん頷くので、それはきっと事実なのだろう。ハリエットは恥ずかしくなってそれ以上は何も言えず、黙ってジニーの隣に腰掛けた。

 ウィーズリー家はもう食事も終わりがけだった。城内の見回りをしてくるとパーシーが一番に席を立ち、フレッドとジョージも新しい悪戯グッズの製作がなんちゃらと行ってしまった。二人について行きたそうにジニーがうずうずしているのを見て、ハリエットは声をかけた。

「行ってきたら?」
「いいの? でも……」
「私、ハリーたちと食べるから」

 ハリーたち三人は、少し離れた席でまだ食べている。内緒話をしている気配はないので、仲間に入れてもらえるだろう。それに、今日一日ずっとジニーたちにくっついている自覚はあった。あんまりウィーズリー家にくっつくのも遠慮しないといけないかもしれないと思い始めていた頃でもある。

「じゃあ先に帰ってるわね。フレッドたちの部屋にいるから」
「ええ、また!」

 手を振ってジニーと別れ、さあハリーたちの所にお邪魔しようと立ち上がったハリエット。その視界に、三人組が急いだ様子で立ち上がるのが見えた。ハリエットは目が点になる。まさか、それはない!

「ハリー! どこに行くの?」
「アー、ちょっと行く所があるんだ。またね」

 ロンはまだクリスマスプティングに未練があるようだ。だが、ハーマイオニーにせき立てられ、渋々テーブルに戻す。まだ食べたいなら食べれば良いのに、そんなに急いでどこに――。

 ハリエットがおろおろしている間に三人は姿を消した。あっという間の出来事だった。あっという間にハリエットは一人になってしまった。

 辛気くさいため息をつき、ハリエットはもそもそポテトを食べ始めた。目の前に並ぶは、初めてのクリスマスのご馳走だったが、全くおいしく感じられなかった。何度も何度もため息が口をついて出る。

 グリフィンドールの席で一人しょぼくれていたハリエットを見かねたのだろう。マクゴナガルがやって来て優しく声をかけた。

「ミス・ポッター、どうしたんです? せっかくのクリスマスなのにそんな顔をして」
「ハリーが……」

 そこまで言いかけて、ハリエットは口を閉ざした。甘えん坊だと思われたくなかったし、ハリエットがあんまりハリーがハリーがと言うので、同級生の男の子にからかわれたこともあるくらいだ。少しくらい兄離れしないといけない。

「……一人で食べてもおいしくなくて」

 代わりに、小さな声で呟いた。ウィーズリー家の子供たちは皆行ってしまい、ハリーたちだってどこかへ行ってしまった。まだ他寮のテーブルにはちらほら生徒の姿が見えるが、グリフィンドールはハリエット一人きりだ。

 マクゴナガルは目を瞬かせた後、徐に杖を一振りした。すると、まず誰もいなかったハッフルパフとレイブンクロー、そしてグリフィンドールのテーブルが脇へ移動し、スリザリンのテーブルが中央へ華麗に飛んでいった。今まさに手を伸ばして取ろうとしていたチキンの皿がふわりと浮き上がり、ゴイルは目を白黒させている。

 続いて、ハリエットが食べていた料理の皿や、教員テーブルの皿が中央のテーブルへ飛んでいく。フリットウィックはきゃっと声を上げ、ダンブルドアはフォッフォッと笑い、スネイプは顰めっ面で睨むかのようにこちらをじっとり見つめてくる。

「皆で食べたらおいしいということですね?」

 表情は相変わらず厳格だが、茶目っ気ある行動と声色に、ハリエットはパッと笑みを浮かべた。

「はい!」
「さあ、好きな所にお座りなさい」

 スリザリン生や教員も、渋々、もしくは楽しげに中央のテーブルへ集まってきていた。スリザリン生はドラコたち三人組と、ハッフルパフ生が二人、教員はダンブルドア、フリットウィック、スネイプ、ハグリッド、マクゴナガルだ。

 どこに座ろうと考えていると、ドラコが目の前の席に乱暴に腰を下ろす。

「全く、寂しい独り身のために大移動なんて、君は随分愛されてるね。でも、お兄さんはどうした? 仲間はずれかい?」
「マルフォイ、下級生になんてことを……。恥を知りなさい」

 ピシャリと怒られ、ドラコはさも不服げに顔を逸らした。ダンブルドアは笑い声を立てた。

「ミネルバ、その辺りで。可愛い子を見るとついいじめたくなってしまうものじゃ。のう、セブルス?」
「――ご冗談を」

 底冷えのする視線でスネイプはダンブルドアを睨んだ。ハリエットはダンブルドアの隣にいたので、まるで自分が睨まれているような気分になって、ハリエットはきゅーっと縮こまった。

 悩んだ後、ハリエットはマクゴナガルの隣に座った。スリザリン三人組は、校長含む教授らが目の前に座って居心地が悪そうだ。どことなくクラッブの料理に手を伸ばす動作がノロノロしているような気がして、ハリエットは申し訳なく思った。

 ハリエットの斜め前――一番端の席はドラコだった。だが、素知らぬ顔で目の前にダンブルドアが座ったので、ドラコはあからさまに顔を顰めた。せっかく端の席を選んだのに、という気持ちがありありと見て取れる。

「ハリエットはホグワーツでのクリスマスは初めてじゃのう?」
「はい! 飾り付けも綺麗で、感動しました。ツリーもすごく大きくて」
「ハグリッドが頑張ってくれたのじゃよ」

 ダンブルドアがウインクすると、ハグリッドが耳を赤くして縮こまった。ハリエットもそれを見て笑顔になる。

 それからは一転、すばらしいクリスマスの夜になった。普段は内気なハリエットも、両隣のダンブルドアやマクゴナガルが優しく聞き役になってくれるので、いつもよりも饒舌になった。時折ドラコが意地悪な口を挟んできたが、ハリエットは気にもならなかった。

 特にダンブルドアは、遅くまでハリエットの相手をしてくれた。魔法のクラッカーから出てきたチェスで勝負をしたり、ヒューヒュー飛行虫で遊んでくれたり。魔法のクラッカーを鳴らした時は、お互いに出てきたプレゼントを交換したりもした。ハリエットはもこもこの靴下が出てきたのでダンブルドアにあげて、ダンブルドアのクラッカーからは真っ白のハツカネズミが出てきた。あんまりハリエットが目をキラキラさせてネズミを構うので、ダンブルドアは手元にあったゴブレットを檻にしてプレゼントしてくれた。

 パーティーも終盤に近づくと、フリットウィックがお土産を持たせてくれた。マシュマロやパン、クランペットなどだ。炙って食べるとおいしいので皆で食べなさいということだ。

 まるで家族のような温かな一時に、ハリエットの胸も温かくなった。

 やがてパーティーはお開きになり、ハリエットが大広間を出る頃には、クラッブとゴイルも一緒になって追い出された。放っておくと夜中まで料理を食らいつくすのではというマクゴナガルの判断だ。

「今日のご馳走、とってもおいしかったわ。二人は何がおいしかった?」
「クリスマスケーキ」
「七面鳥の丸焼き」
「私も! あんなに大きいチョコケーキは初めて食べたし、チキンをお腹いっぱいに食べたのも初めて……。おかわりが自由なんて信じられなかったわ!」
「でも、時間制限があるなんて聞いてない」
「まだ食べられたのに」

 それでも、クラッブとゴイルは志半ばで追い出されたことに不服そうだった。ハリエットはマシュマロを取り出した。

「さっきフリットウィック先生にもらったの。いる?」
「いいのか?」

 もごもご言いながらも、ゴイルは早速むちむちとした手を伸ばした。もらう気満々だ。

「クラッブもいる?」
「ケーキだ!」
「これはマシュマロよ」

 急に見当違いなことを言い出したクラッブ。ついには頭がおかしくなってしまったのかとハリエットが丁寧に訂正すると、クラッブは焦れたように階段の手すりを指差した。そこには、確かにふっくらしたチョコレートケーキが二個鎮座している。

 クラッブもゴイルも、ニヤニヤしながらケーキを掴んだ。

「駄目よ。そんな怪しいもの食べちゃお腹壊すわ」
「怪しくない。誰かがここに忘れてったんだ」
「そんな所に忘れる人はいないわ。マシュマロをあげるから、そんなもの食べちゃ駄目よ」
「マシュマロももらうけど……ケーキも食べる」

 そうして二人は同時にケーキを丸ごと口の中に放り込んだ。しばらくはもごもごと嬉しそうに咀嚼していた二人だったが――やがて、急にバタンと仰向けになって倒れた。ハリエットは悲鳴を上げた。

「クラッブ、ゴイル!」

 駆け寄り、二人を揺するが、どちらも目を覚まさない。もしかしたら毒にあたったのかもしれない。ハリエットは真っ青になった。

 まずはマダム・ポンフリーを呼んでこようと、ハリエットは飛ぶように廊下を走った。階段を駆け上がったところで、空き教室からパーシーとレイブンクローの女生徒が出てきた。用心深く辺りを見回していたが、パーシーはハリエットを見てギョッとした。

「ハリエット……! ど、どうしてこんな所に!? 今はホグワーツの中も危険なのに――」
「パーシー、大変なの! クラッブとゴイルが、落ちてたケーキを食べちゃって、そうしたら急に倒れて……」
「倒れた? 意識はあるのか?」
「ないの。呼んでも全然起きなくて……」
「分かった。行こう。ペニー――」

 何かを言いかけて、パーシーは咳払いをした。なぜか頬が少し赤い。

「クリアウォーター、マダム・ポンフリーに知らせてくれ。僕たちは二人を医務室まで運んでいく」
「分かったわ」

 頷き、クリアウォーターは医務室へ走って行った。パーシーと彼女の関係も気になったが、今はそれよりクラッブとゴイルだ。

 パーシーに二人の場所まで案内するも、
「確かにここにいたんだな?」
「ええ! 絶対ここで倒れてたはずなのに――」
「ハリエット!」

 ゴイルが呼びながら階段を降りてきた。後ろからヒーヒー言いながら走ってくるクラッブも見えた。二人があんなに走っているのは初めて見たのでハリエットは驚く。

「良かった! 大丈夫? さっき急に倒れたから心配したわ」
「ウン……大丈夫」
「拾い食いしたそうだな? そんなことをするから倒れるんだ。医務室に付き添うから、ついてこい」
「いらない!」

 クラッブが頑として断った。まさかそんな風に言われるとは思わなかったのか、パーシーは固まっている。

「アー、僕たち、もう大丈夫だ……。寮に帰る。なあ?」
「ウン。もうすっかり。さっきは腹が痛くて……」
「一度マダム・ポンフリーに診てもらうべきだ。誰かの悪戯ということもあり得る」
「本当に大丈夫だ!」
「お前たち、こんな所にいたのか」

 背後からドラコが歩いてきていた。呆れたようにじろじろ二人を見ている。

「今まで大広間で馬鹿食いしていたのか?」

 クラッブとゴイルの行動をドラコに告げ口しようか、ハリエットは躊躇った。だが、すぐに心を決める。二人の名誉よりも、体調の方が気にかかった。

「さっきクラッブとゴイルが拾い食いをして倒れちゃったの。マルフォイからも医務室に行くよう説得して」
「拾い食いだと?」

 ドラコは唖然と二人を見つめた。クラッブもゴイルも気まずそうに視線を逸らす。

「呆れて物も言えない。今の今まで馬鹿食いしただろうに、まだ物足りないのか? 野良犬じゃあるまいし、少しは自制を覚えろ!」

 ドラコに叱咤された二人は、とてつもなく不満そうだった。いつもは鈍い反応なのに、今日ばかりはムスッとしている。

「ねえ、本当に医務室――」
「大丈夫だって。マルフォイ、行こう」
「お腹は痛くないんだな?」

 反応どころか、痛みにさえ鈍そうな二人をドラコはじろじろ見やる。

「ならいい。お節介どうも、ミス・ポッター。二人は行かなくていいと」

 ハリエットがちらりとパーシーを見ると、彼も諦めた様子だった。ハリエットももう医務室のことは持ち出さなかった。その代わり。

「あ、ねえ、待って。さっき言ってたマシュマロ。三人で食べて」
「生憎と僕たちは物乞いじゃない」

 クラッブとゴイルの拾い食い事件が尾を引いてか、ドラコは敏感に断った。

「違うわ。そんなつもりじゃ……。二人も、さっき食べたいって」

 ドラコがジロリと二人を見ると、クラッブとゴイルはぶんぶん首を振った。ほら見ろ、と言わんばかりドラコはハリエットを見下ろす。

「受け取る理由がないね」
「今日はクリスマスだわ。それだけじゃ理由にならない?」

 ――今日、ハリエットはたくさんの人から優しくされた。だからこそささやかなお裾分けがしたかったのだ。ドラコはマシュマロが嫌いでも、クラッブとゴイルは喜んでくれるだろう。まずはドラコを落とさなければ、二人はマシュマロにありつくことができない。

「それに、あなたにリボンを取ってもらったことも嬉しかったの。箒の先生になってくれたことだって。だからその感謝も込めて……」

 純粋な気持ちを言葉に乗せる。また嫌味でも何でも言われるかとも思ったが、意外にもドラコは固まった。その隙にハリエットは半ば押しつけるようにしてその手にマシュマロ入りの小袋を持たせた。

「火で炙って食べるとおいしいんだって。フリットウィック先生のお墨付きよ」

 我に返ったドラコからガーガー文句を言われないうちに、ハリエットはパーシーの腕を引いてさっさと階段を上った。

 後ろからはゴイルとドラコの会話が聞こえてきた。

「リボンって何のこと? 箒の先生って?」
「お前には関係ない」

 そんな話し声にくすりと笑いながら、ハリエットはパーシーに顔を向けた。

「パーシーもマシュマロ食べる?」
「……一つもらおうかな」
「うん!」

 今度は断られなかったので、ハリエットは嬉しくなって足取りも軽くなった。

 途中で医務室に寄り、マダム・ポンフリーとクリアウォーターに事の次第を説明し、二人は大丈夫だということを伝えた。

 まだ校内の見回りをするという二人と別れ――クリアウォーターにも一つマシュマロをプレゼントした――ハリエットは寮に戻ってきた。もう消灯時間も近かったが、まだ暖炉には火が点され、温かかった。ウィーズリーの双子は悪戯の計画を立てていたし、ジニーはもう休んでいるという。

 ハリエットは、串にマシュマロやパンを刺し、フレッドとジョージに少し分けながら食べ始めた。本来ならもうとっくの昔に寝ている時間だが、なんてったって、今日はクリスマスだ。少しくらい夜更かししても問題ないだろう。

 本当のところ、ハリエットはハリーたちを待っていた。もう時間も遅いのに、何をしているのか、ハリーたちはまだ帰ってこない。早々にパーティーを切り上げて大広間を出ていったので、お腹空いてるんじゃないかと思っていたのに。

 ――ハリエットにとって、ハリーが一番に幸せをお裾分けしたい人だった。だが、待ち人は来なかった。

 ハリエットはいじけた。ハリーたちのためにと取っておいたマシュマロもパンもクランペットも串に刺して炙り、全部フレッドとジョージにあげてしまった。

 そして寝室に行って就寝の準備をする。寝間着に着替え、ベッドに上がると、ハリエットはハツカネズミの入った檻をサイドテーブルに置き、枕元に置いていた日記を広げた。――今や習慣となっている、トム・リドルとお話をするためだ。

 今日はリドルに話すことがたくさんあった。そして最後には、ハツカネズミの名付けを手伝ってほしいとお願いした。

 ハリー曰く、ハリエットのネーミングセンスは悪いそうなので、何かに名付ける時は、いつもハリーに手伝ってもらっていたのだが、今回ばかりはそんな気にならなかった。今日はずっとつれなかった兄にハリエットは拗ねていたのだ。

 それからしばらく、リドルにネズミの名付けを手伝ってもらって、名前は「ティティ」に決まった。決めた後で、ティティの性別は雄だということに気づいたが、ハリエットは気にしなかった。

 日記を閉じ、ティティを撫で、灯りを消した時、談話室が少し騒がしくなったのに気づいた。だが、ハリエットは起きようとは思わなかった。もう手元にマシュマロはない。どんな顔をして、どんな風にしてハリーに声をかければいいか分からなかった。

 ――また後でね!

 そんな風に背を向けられるのではないかと思ってしまって。