■小話

10:白い悪夢再び


クロセ様
リクエスト

 下手を打った、とドラコは舌打ちでもしたい気分だった。もともと、周囲にはいつも以上に気をつけていたはずだった。はた迷惑なウィーズリー家の双子が華々しい退学をご披露した後、目に見えてホグワーツは荒れた。ピーブズだけでなく、一般生徒まで双子に感化されたらしく、廊下にクソ爆弾や臭い玉を落とすだけに留まらず、彼らはアンブリッジや尋問官親衛隊にまで嫌がらせをする始末。

 ワリントンは呪いをかけられてひどい皮膚病に陥ったし、パンジーは何が何だか分からないうちに鹿の角が生えていた。

 「ドラコも充分気をつけて!」と泣きそうな顔でパンジーが医務室に駆けていったのは記憶に新しい。それなのに、だ。

 そんなドラコは今、舌打ちすらできない身体になっていた。

 頭に鹿の角が生えるなんてまだ可愛い方だ。こっちなんて、角どころか身体まるごと猫になってしまったのだから!

 食べ物には充分気をつけていたはずだが、一体どこで盛られたのだろう。だが、悠長に考えている暇は無かった。何せ、ここはホグワーツの二階。スリザリンの談話室までには距離がある。――猫の姿を見られた上で元の姿に戻ってみろ。絶対に馬鹿にされるに決まっている。

 四年生の時イタチにされて体罰を食らったことを未だ忘れられないドラコは、絶対に誰にもバレて堪るものかと廊下を疾走した。途中、何人かの女子生徒に猫なで声で呼びかけられたが、ドラコが止まるわけもなかった。

 だが、ようやく階段へたどり着いた所で、ドラコの足ははたと止まった。軽やかな足取りで上ってくる彼女は――まるで、狩人のような目つきでドラコに狙いを定めた。猫になったとはいえ、ドラコは何も悪いことはしていない。だが、突然矢の如く駆け出したミセス・ノリスを目にして、逃げないわけにはいかなかった。

 猫になったばかりではあるが、火事場の馬鹿力とでも言うべきか、ドラコは恐るべき速さで階段を駆け上った。だが、六階まで上がったとき、上からグリフィンドール生がぞろぞろ降りてくるのを見て慌てて方向転換した。こんな時に一番会いたくない顔ぶれを見つけたからだ。

 未だなおしつこく追い続けるミセス・ノリスに気を取られ、ドラコはつい前方への注意を怠っていた。気がついたときには足が泥にはまり、重力に従ってズブズブと身体が落ちていく所だった。

 ――携帯沼地だ。

 ドラコは再び舌打ちしたい気分になった。

 話には聞いていた。東棟の六階廊下にウィーズリー家の双子が沼地を置き土産していったと。アンブリッジも消すことのできなかった沼地は、結局その区域に縄が張り巡らされ、フィルチが渡し船で生徒を反対側まで運ぶ羽目になったのだ。

 あまり東棟に来ることのないドラコはすっかり失念していた。束の間現実逃避をしている間にも、猫の身体は刻一刻と沼に沈んでいく。ついに首元まで浸かり、こんな所でこんな情けない死に方をしてたまるかと何とかもがいていれば、不意に温かい手がドラコを抱き上げた。沼から脱出しようともがいていた鋭い爪が柔らかい何かを切り裂いたのにも気づかない。

「大丈夫?」

 そうしてドラコの目の前に現れたのは、ハシバミ色の瞳の少女。よく見慣れた顔にドラコはポカンとした。

「可哀想に」

 ハリエットは猫を胸に抱き上げ、よしよしと宥めるようにその頭を撫でた。そして踵を返してミセス・ノリスの前にしゃがみ込む。

「ミセス・ノリス、いじめちゃ駄目よ」

 そいつが悪いんだ、とでも言いたげな顔でミセス・ノリスは唸る。ついでとばかり爪を振り上げて猫を害しようとするが、すんでの所でハリエットは猫を肩まで持ち上げた。

「駄目よ! どうして意地悪するの? 何かこの子が悪いことでもした?」

 まるでヒトを相手にしているかのようなハリエットの質問に、誰も応えることはなかった。もちろん、相手が猫だったというのもあるし、何より激しい怒号が空気を切り裂いたからだ。

「ポッター!!」

 突然の怒声に、ハリエットだけでなくドラコまでビクリと身体を揺らした。恐る恐る振り返れば、そこには怒れるフィルチが立っていた。

「ミセス・ノリスに何をするつもりだ? それに、わしの目の前で廊下を汚したな? どうやら痛い目に遭いたいらしい……」
「そ、そんな、違うんです。ミセス・ノリスがこの子を追い掛けてるみたいだったから、それを止めようと……。廊下を汚したことは謝ります、でも」
「鞭打ちだ!」

 呪文を唱える時間さえくれれば廊下はすぐに綺麗にできるし、ミセス・ノリスにはもちろん害する気持ちなんて欠片もない。だが、フィルチは例によって聞く耳持たず、それどころか鞭を構えて不穏に笑いながら近寄ってくる始末。ハリエットは慌てて逃げ出した。

「待て!」

 あまり運動神経に自信がないハリエットと、体力が衰えてきたフィルチは良い勝負だった。とはいえ、二人の追いかけっこを見て、多くの生徒が素知らぬ顔で手を貸してくれた。今やホグワーツの生徒はスリザリン生を除くほとんどの生徒がアンブリッジや尋問官親衛隊、そしてフィルチに反逆の意志を持っていたので、誰かの危機は皆の危機なのだ。おかげで、ハリエットは何とか無事猫と共に談話室に戻ってくることができた。

 猫を抱えたまま呼吸を整えていると、慌ててハリーとロンが駆け寄ってきた。

「大丈夫? 突然走り出したときにはびっくりしたよ。挙げ句の果てに、カンカンになったフィルチをひっ連れて戻ってくるし」
「この子がミセス・ノリスに追い掛けられてたから、心配になって追ったの」
「汚い猫だな」

 泥まみれのドラコを見てロンは顔を顰めた。ドラコは大いに機嫌を損ね、まるで犬のようにぶるりと身体を振り回した。長毛種らしく、ドラコの毛についた泥は見事細かい粒子となってロンを襲った。ロンはすぐさま飛びすさった。

「何だこいつ! 誰かの飼い猫か? 随分行儀が悪いな」
「泥まみれできっと気持ち悪いのよ。仕方ないわ」

 フォローするハリエットに、ハリーは心配そうに自分の頬を指差した。

「ほっぺた大丈夫? 引っかかれた?」
「ええ、これくらい大丈夫」

 その時になってようやくドラコはハリエットの左頬に真新しいひっかき傷ができていることに気づいた。泥もついているので、九割方自分がつけた傷だと思い当たり、ちょっと罪悪感が湧いた。

 ハリーにエピスキーをかけてもらった後、ハリエットは猫を抱えたまま寝室へ行った。そしてタオルを二枚ほど持ってまたシャワー室へ向かう。

 これから一体どうなるのだろう、と少し真面目に考えていたドラコは、ハリエットがある部屋の扉を開いたときにはたと我に返った。もわっと目の前を蒸気が過ぎる、ここは。

「さあ、綺麗にしてあげるわ」

 どこからどう見ても、シャワー室だった。ドラコは大いに慌てた。綺麗にしてあげる? ――結構だ!

 ドラコは何とかハリエットの腕から逃げだそうともがいたが、なかなか彼女は猫の扱いに長けていた。猫の関節を適度な力で押さえ、ドラコは為す術もなく降りしきるシャワーの中に放り込まれた。せめて異性に勝手に身体を洗われるのだけは阻止しようとドラコは狭いシャワー室の中を駆け回る。

 自分の手が近づく度に猫が唸るので、ハリエットも学習し、追い掛けて猫を洗おうとまでしなかった。賢くも彼が自分で身体を洗っているようなので、手伝いはいらないと判断したのもある。

 泥を落としきり、ずぶ濡れになった猫の姿は貧相で、ハリエットはちょっと笑ってしまった。すると、それを咎めるかのように猫が鋭い目つきで睨んできたので、ハリエットは慌てて笑いをかみ殺す。――クルックシャンクスも賢い猫だが、魔法界の猫は総じて知能が高いのだろうか。

 ポタポタとしたたり落ちる水気を軽くタオルで拭き取り、ハリエットはまた猫を抱えて寝室へ戻った。今度はタオルで十二分に水気を吸い取り、その後は杖から熱風を出して乾かし始めた。

 身体を洗われそうになったときはあんなに嫌がっていたのに、対して乾かしているだけの今は随分大人しい。フィッグの猫を洗う手伝いをした時は、彼らはシャワーもドライヤーも総じて嫌がっていたものだが。

 猫の小さい身体はあっという間に乾いた。熱風を止めたとき、ハリエットは思わず感嘆の声を漏らした。

「わあ、毛がフワフワ! 美人さんだったのね」

 そこにいたのは、純白の長い毛を持つとても美しい猫だった。

 種類はラグドールだろうか。体毛の大部分は真っ白なのに、顔周りや耳、尻尾は灰色がかった色をしているのが可愛らしい。泥にまみれていたときは気づかなかったが、彼は賢そうな瞳に、気品のある顔立ちをしていた。

 猫は扉まで歩いて行って、外に出たいとでも言うようにカリカリし始めたので、ハリエットも異を唱えることなく彼の身体を抱えて階段を降りた。

「ほら、ロン見て。とっても綺麗な猫だったわ」

 汚い猫と一笑したロンを見返す意味でもハリエットは見せびらかすように猫を掲げた。頭上近くまで掲げられた猫は、しげしげと己を見るロンに気づくと、まるで馬鹿にするように鼻を鳴らす。ロンはピクリと口元を引きつらせた。

「なんかこいつムカつくな……」
「きっと気位が高いのよ。シャワーも洗われるのを嫌がってたし」

 あまりフォローになってないフォローをしたハリエット。彼女の腕からドラコは勢いよく飛び出した。そして一気に駆け出すと、肖像画の穴まで行ってカリカリ爪を立てる。ドラコとしては何とも癪なことだが、ここは彼らの力を借りなければおちおち外に出ることもできないのだ。振り返ってぶすっと三人の方を見ると、彼らは顔を見合わせた。

「外に出たいのかな?」
「飼い主の所に行きたいんじゃない?」
「でも私、すぐには外に行けないわ。フィルチさんに見つかったら鞭打ちされるかもしれないし……」

 ドラコは何だか嫌な予感がした。今日は厄日だ。二度あることは三度ある――。

「ハリー、この子の飼い主を探してあげてくれない?」

 とんでもない話だ!

 ドラコは文字通り飛び上がり、ずるずると後ずさった。「いいよ」と返事をして近づいてきたハリーに向かって思い切り唸る。誰が! ポッターなんかに! 抱き抱えられたいと思うものか!

「僕、嫌われてる?」

 毛を逆立てて唸る猫に、ハリーはちょっと落ち込んだ様子で言った。ロンはやれやれと肩をすくめる。

「気にすんなよ。僕も何だかあいつは気にくわないんだ。気にするだけ損さ。性格の悪そうな猫だから、たぶんスリザリンの猫だよ」
「ロン!」

 ハリエットは庇うようにロンを窘めた。対する白猫は、そんなことには頓着せず、入り口の方へ歩き出し、外に出たい様子をアピールする。しかし、近頃のホグワーツの廊下はただでさえ物騒だ。反逆者を捕らえようとアンブリッジやフィルチがいつも以上に生徒を警戒しているというのもあるし、その生徒自身が廊下にクソ爆弾やら臭い玉やらを終始投げつけている。こんな小さい猫ならひとたまりもないだろう。

 どうしたものかと話し合っていると、まさに肖像画の穴からハーマイオニーが入ってきた。好機とばかり猫は彼女をすり抜けて穴から外に出ようとした――が。

 そこに立ち塞がったのは、一匹の巨大な猫。赤みがかったオレンジ色の毛に、レンガに正面衝突したような潰れた顔、その猫は、まさしく――。

「クルックシャンクス!」

 瞳に剣呑な光を宿し、新人猫に襲いかかったペットを見て、ハーマイオニーは鋭く叫んだ。その鋭い爪が己の身体に突き立てられる前に、ドラコは脱兎の如く逃げ出した。

 猫同士の追いかけっこは、何ともレベルが高かった。人々の足の間をすり抜けたり、ソファの下に潜り込んだり、暖炉の上を駆け回ったり。

 だが、やはり猫歴一時間のドラコと違い、賢く有能なクルックシャンクスはジリジリと彼を追い詰めた。壁の隅まで追い詰められ、ここまでかとドラコが覚悟を決めたとき、またも温かい手が彼の身体を抱き上げた。

「クルックシャンクスまでこの子をいじめるの? 可哀想よ」
「そうよ。一体どうしたの?」

 スキャバーズの時のことを思い出し、ハーマイオニーは青白い顔をしていた。もしこの猫が誰かのペットだったらと思うと気が気でないのだろう。

 スキャバーズのことを思い出したのは何もハーマイオニーだけでなかった。ロンはハッとして叫んだ。

「アニメーガスだ! クルックシャンクスがここまで警戒するんだ。そいつはアニメーガスだ!」

 ドラコの身体は大いにビクついた。まさか、ロンに正体を当てられるとは思いも寄らなかったのだ。今ここで正体が暴露されてみろ、ドラコ・マルフォイの一生の恥となる……!

「でも、アニメーガスは難しいのよ。シリウス達だって五年生になってようやくって話だって言ってたじゃない」
「マクゴナガルの所に連れて行こう。ほら、アニメーガスを解く呪文があっただろう? それをかけてもらうんだ」

 ロンの必死の説得に、困惑の表情がドラコに向けられる。ドラコは、必死に頭を回転させた。今、この瞬間取るべき行動は。

『僕は悪い奴じゃない』

 必死にクルックシャンクスに訴えかけることだった。

『お前だって覚えてるだろ? ドラコ・マルフォイだ。叫びの屋敷でシリウス・ブラックに人質に取られてた』

 クルックシャンクスは、訝しげな顔でニャアと返答した。不思議とドラコはその言葉が理解できる気がした。

 突然ニャアニャア話し出した二匹を見て、ハリエット達は黙った。猫同士の会話が思いのほか可愛らしかったというのもあるし、何やら重要な話し合いがなされているようだったので、邪魔をするわけにはいかない。

『僕はあいつのことは父上にも黙ってた。その恩があるのに僕をマクゴナガルの所に突き出そうって? 冗談じゃない』
『でも君達は犬猿の仲だ。僕は主人の不利益になるようなことはしたくない』
『不利益を被っているのは僕の方だ! 僕はここで何をするつもりもない。ただ無事に、正体を隠したまま人間の姿に戻りたいだけだ。恩がある分、君にもそれを手伝う義理はあるはずだ』

 クルックシャンクスはしばらく押し黙り、やがて了承した。ハリエットの足下まで行き、まるでもう敵意はないとばかり彼女の足に擦り寄る。

「仲直りしたのかしら?」
「下ろしてみたら?」

 クルックシャンクスも白猫も大人しかったので、ハリエットはそうっと彼を下ろしてみた。だが、もうクルックシャンクスは追い掛けることも爪を立てることもせず、ただ黙って猫の傍をぐるぐる歩いていた。ハリエットは胸をなで下ろした。

「良かった、仲直りしたみたい」
「アニメーガスの可能性は捨てきれない」
「でも、クルックシャンクスはもう警戒してないわ。勘違いだったのよ」

 まだなおロンは納得しきれない様子だが、猫とクルックシャンクス、二人仲良くソファに座ったのを見て何も言えなくなった。

 一方で、ドラコとクルックシャンクスは会話を続けていた。

 どうして猫になったのかという問いに、ドラコは歯ぎしりを立てながら答える。

『知らない。でも、大方誰かが僕に魔法薬か何かを盛ったんだ。充分気をつけてたはずなのに……』
『WWWの新商品かもしれないね。アニメーガス・キャンディと似たようなものかもしれない。解毒剤があればいいけど』
『とにかく、僕はこれから医務室に行くつもりだ。外に出て行く助太刀をしてくれないか?』
『それは難しいな。君みたいな怪しい奴が外に出たらすぐにノリスが追い掛けてくるだろうし、猫の身体で沼やクソ爆弾が蔓延る廊下を医務室まで歩くのは危険すぎる』
『じゃあどうしろと? もし突然ここで元の身体に戻ったらどうするんだ! 一生の恥だ!』

 毛を逆立てるドラコを誰かの手が撫でたが、鼻息を荒くするドラコはちっとも気づかなかった。

『誰かについてきてもらうしかないな。ヒトがいれば迂闊にノリスも手を出せないだろう』
『誰についてきてもらえと? ポッターは嫌だぞ。ウィーズリーなんて問題外だ!』
『選り好みできる立場かい?』

 呆れたようにクルックシャンクスが言った。

『じゃあハリエットは?』
『……まあ、悪くはない』
『なら決まりだ。でも、案外君だって猫の生活を気に入ってるみたいじゃないか。しばらくここで過ごして、夕食の時に連れて行ってもらえば良い』
『はっ?』

 断じて猫の生活を楽しんでなんかいない。彼は何を言っているのだろう――と思い、はたとドラコは気づいた。

 いつの間にか、隣にハリエットが座っていて、優しい眼差しでこちらを見つめている。ただ、問題はそれだけではない。

 ゆるゆると身体の力を抜き寝転がったドラコに、彼女は適度な力加減で彼の顎の下をやわやわとくすぐり、そのせいで無意識的にゴロゴロと鳴る声――。

「ニャッ!?」

 ドラコは飛び上がった。まるでここはどこだと言わんばかりに激しくキョロキョロするのでハリエットは困惑してしまった。

「急にどうしたんだ? さっきまで緩みきった顔をしてたくせに」

 猫相手にロンはからかうように言った。途端に猫が唸り出すので、ハリエットはまた庇うように猫の首回りを撫でた。

「そんなこと言わないの。可愛いじゃない」

 可愛いと称されては、ドラコの面子が持たない。サッとソファから降り立つと、肖像画の方へと駆け、またもカリカリ爪を立てる。

「やっぱり飼い主のことが恋しいのかしら」
「グリフィンドールの空気が合わないんだろ」

 ロンはすっかり猫の飼い主をスリザリンと決めつけている。ハリエットはしばらく悩み、立ち上がった。

「やっぱり飼い主を探しに行くわ」
「でも、フィルチはまだ諦めてないはずだ」
「透明マントを持って行くわ。それならフィルチさんもやり過ごせるし」

 ハリーからマントを借り、いざハリエットは戦陣へと足を踏み出した。猫をしっかりと抱き抱え、決して手放しはしなかった。もう沼で溺れている所は見たくないし、クソ爆弾の餌食になっている所なんて想像もしたくないからだ。

 始め、ハリエットが猫を連れて行ったのは大広間だった。二階まで降りると猫は騒がしく鳴き始めたが、今まさに刻一刻とフィルチが近づいている所だったので、早々に階段を降りて大広間へ避難した。

 昼食には少し早い時間だったが、既に生徒の姿はちらほら見られた。ハリエットは右から順に猫の飼い主を知らないかと訪ねて歩いたが、誰も心当たりはないと言う。スリザリンにももちろん尋ねたが、親切そうなスリザリンの三年生は丁寧に知らないと答えてくれた。

 どうしたものかと途方に暮れていると、突然白猫がニャアニャア鳴き始めた。一体どうしたのかと彼の向く方を見れば――そこにはスネイプが。

 まさか――スネイプ先生の猫?

 ハリエットは生唾を呑み込み、恐る恐るスネイプに近づいた。彼は今まさに職員のテーブルについた所だった。

「あの……スネイプ先生」
「なんだ」

 ハリエットと猫という不思議な組み合わせに、スネイプは僅かに眉を上げた。

「もしかして、猫を飼ってらっしゃいますか? この子の飼い主ですか?」
「そんな猫は知らん」
「そうですか……」

 一蹴され、キュウッと落ち込んだ様子の猫に、ハリエットは慰めるように頭を撫でた。

「飼い主を見つける魔法なんてものはありませんよね?」
「そんな魔法があるのなら、ぜひとも君のスナッフルに使ってみたいものだな」
「はあ……」

 内心、もしその魔法を使って自分達の身体が光り出したりなんかしたら、まるで目に見えない絆があるようで、ちょっと嬉しいかも、と思ってしまったので、ハリエットは慌てて顔を引き締めた。

 とにかく、ひとまずはこの大広間に白猫の飼い主はいないようなので、ハリエットは外へ出た。フィルチもミセス・ノリスも、未だ二階をウロウロしているようなので、今度は地下を歩くことにした。

 廊下を歩きながら、ハリエットはつい白猫に話しかける。

「あなた、本当に飼い猫なの?」

 パッチリとしたグレーの瞳は黙ってハリエットを見つめ返す。

「すごく綺麗だから、誰かに飼われてると思ったんだけど、首輪もしてないみたいだし……」

 同じ寮生の誰かがこの特徴的な猫を飼っていたとしたら、きっとほとんどが記憶しているはずだ。それなのに何十人と聞き回って誰一人として知らないと言うのなら、もしかしたら禁じられた森から迷い込んできた猫なのかも知れない。

 今でこそハリエットは犬が好きだが、もともとは猫派だったのだ。ここに来て、気位が高く、美しくも天の邪鬼な猫にハリエットは正直落ちかけていた。

「飼い主がいないのなら、私のペットになってくれたらすごく嬉しいわ」

 目と目を合わせてみても、白猫は嫌がらない。それどころか、ニャアとまるで返事をするかのように鳴いたので、ハリエットは嬉しくなって濡れた鼻面にキスを贈った。

 ――飼おう。

 そう心に決めたハリエットだが、固まっていた猫が急に暴れ出したので驚いて手を離してしまった。

「――あっ、どこに行くの!?」

 白猫は廊下を駆け出した。ハリエットは慌てて追い掛けるが、猫の全速力には到底追いつけない。ついには足を緩め、肩で息をしながら角を曲がれば、そこにへたり込んでいる人物を見つけた。最後の希望とばかり、ハリエットは彼に縋る。

「ねえ、猫を見なかった?」

 ビクリと彼の肩が揺れる。

「とっても綺麗な、白い猫なんだけど――ドラコ?」

 返事がないので屈んで彼の顔を覗き込めば――顔を真っ赤にしてドラコは仰け反った。

「ち、近づくな!」
「え? あ、ごめんなさい。でも、大丈夫? 具合悪いの?」
「何てことない!」

 埃を払い、ドラコは立ち上がった。そのまま行こうとするのを、ハリエットは再度引き留めた。

「猫を見なかった? 白い猫なんだけど」
「……あー……」

 背を向けたまま、ドラコは口ごもりながら返答した。

「スリザリンの上級生が抱えて行くのを見た。普段は室内飼いしてるらしい」
「そう……」

 やはり、誰かの飼い猫だったのか。

 ハリエットはしょんぼりした。だが、もしハリエットにペットが増えれば、甘えん坊のウィルビーと喧嘩してしまうかも知れないので、むしろこれで良かったのかも知れない。

「ありがとう」
「ああ」

 そっぽを向いたドラコの横顔を見て、ハリエットは僅かに既視感を覚えた。始め、猫を見たときにも少し思ったことだ。気位が高くて、気品があり、賢くもハリーとロンが嫌いな所。

「その猫ね、ちょっとドラコに似てるって思っちゃった」

 パッとドラコが勢いよく振り返った。何てことない世間話のつもりだったのに、猫と同類にされたことが腹立たしいのか、激しく睨まれ。

 ただ、ハリエットは怖くもなんともなかった。何せ、ドラコが睨んでくるその姿は、まるであの白猫が毛を逆立てている所と重なって見えて。

 ハリエットは思わず微笑ましい気持ちになってしまった。