■過去の旅

13:悪戯といじめ


 スラグ・クラブは消灯時間ギリギリまで催され、それにより必然的に寝るのも遅くなってしまったため、次の日起きたときにはもうすっかり日が高くなっていた。

 まだ今日が休日で良かったが、しかしそれでも寝坊してしまったことには変わりはないので、ハリエットとハーマイオニーは慌てて寝室を飛び出した。何食わぬ顔で朝食へ向かえば良かったものを、談話室まで降りて早々、悠々とソファに座るロンと目が合い、揃ってばつの悪い表情になったため、彼に付け入る隙を与えてしまった。

「やあ、おそようさん。二人とも、昨夜は随分遅くまでお楽しみだったみたいで」

 ニヤニヤとロンが声をかけた。ハリエットは気にしなかったが、ハーマイオニーはうっと詰まる。

「でも、おかげで有意義な時間を過ごせたわ。参加したことに後悔はないもの」
「なら良いけど。今日が休みで良かったな。もし平日だったら、屈辱の初減点を受けることになったぜ」
「お生憎様、ちゃんとその辺りは考えてるわ。翌日が休日だったからこそ、時間ギリギリまであそこにいたの。夜更かしして目の下にクマをこさえたあなた達とは違うわ」

 ロンとハリーは顔を見合わせ、意味もなく目元を擦った。十中八九昨夜は夜更かししていたのだろう。テーブルの上にカードが散らばっているのを見るに、爆発スナップか。

「折角の休日なんだ、そんなにピリピリしなくても良いじゃないか」
「スラグ・クラブなんかで喧嘩したらもったいないぞ」

 すれ違い様、ジェームズとシリウスが冷やかすように声を掛けていく。二人の後ろにはピーターもいるが、リーマスの姿はない。不思議に思ってロンが尋ねた。

「あれ、リーマスは? 監督生の仕事?」
「いいや。リーマスはちょっと体調を崩しててね、医務室にいるんだ」
「医務室?」

 不思議そうに聞き返した後、ロンはすぐにああと納得した顔を見せ、それ以上追求はしなかった。彼もまた、リーマスの『持病』を思い出したのだろう。

「脱狼薬は、この時代にはまだないの」

 三人が去った後、ハーマイオニーは気遣わしげに話し出した。

「脱狼薬ができるまで、狼人間はひどく辛い思いをしていたって聞くわ。ジェームズ達のアニメーガスは、その分リーマスの心の支えだったはず」
「そういえば、昨夜校庭でジェームズとシリウスを見たわ。ちらっと見えただけだったけど、鹿と犬の姿で、暴れ柳に向かってた」
「昨日が満月だったんだね。もう忍びの地図は作り終えてるのかな?」
「十中八九完成してるでしょうね。じゃないと、ああも先生方の目をかいくぐって悪戯なんてできないもの」

 ハーマイオニーは肩をすくめ、やがて立ち上がった。

「ハリエット、そろそろ朝食に行きましょう。お腹空いちゃったわ」
「私も」
「朝食って言うか昼食じゃないかな」

 ハーマイオニーをからかえる機会など少ないので、ロンが余計な茶々を入れる。ハーマイオニーは彼をギロリと睨むと、そのままツンと談話室を出て行く。ハリエットも慌ててその後に続いた。


*****


 朝食をとると、ハーマイオニーは喜々として図書室へ向かった。何でも、昨夜のスラグ・クラブで興味深い歴史の話を聞き、それについて調べたいのだという。

 ハリエットも誘われたが、さすがに連日図書室続きは飽きてしまうので、大人しく談話室に戻ることにした。

 休日のせいか、廊下の人通りは少ない。特に図書室へ向かうこの廊下は人気がないのも頷ける。

 物珍しく行き交う生徒の姿を観察しながら歩いてると、やや俯いた男子生徒が向こう側からやってくるのが見えた。

 この時代に知り合いは少ないので、ハリエットは自然と笑顔になった。

「スネイプ!」

 スネイプはパッと顔を上げたが、ハリエットを見ても特に表情に変化はない。嫌そうな顔をされないだけマシだろうかとおずおず彼に近づく。

「図書室に行くの?」
「ああ」

 例によって、スネイプは分厚そうな本を抱えている。まるでハーマイオニーのようだとハリエットはこっそり思った。

 社交辞令の挨拶がすめば、もう用はないと思ったのか、スネイプはさっさと先へ進もうとする。ハリエットは慌てて踵を返し、彼と同じ方向に歩みを進めた。

「最近ドラコと一緒にいるのを見かけるわ。私がお礼を言うのもおかしいかもしれないけど……ありがとう」
「別に、お前に言われたからじゃない。話も合うし、向こうも僕のことを嫌ってる様子はないから、都合が良いだけだ」
「やっぱり話は合う? だと思った! 二人、絶対に仲良くなれると思ったの!」

 捻くれたスネイプの返答を最大限ポジティブに解釈し、ハリエットは破顔した。面食らったスネイプはまごつく。

「別に、仲良くなったわけじゃない……」
「これからそうなるかもしれないわ。あっ、あと、もし機会があったら、怪我の具合も聞いて欲しいの」

 矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々に、もはやスネイプは相づちも返さなかった。それでも構わずハリエットは続ける。

「骨折だったんだけど、治りが遅いようだったから……」

 さすがにもう固定はしていないが、見た目だけでは分からない何かがあるかもしれない。何しろ、何十年と過去の旅をしてきたのだ。その間に、本来はただの骨折に悪影響が出ていてもおかしくはない。

 言いたいことを終えると、ハリエットは口を噤んだ。急に話さなくなったので、まるでホグワーツ全体が音を失ったかのようにシンと静まりかえる。そのせいか、細々とした小さな鳴き声は、まるで耳元で上がったかのように身近に聞こえた。

 ハリエットが視線を向けた先は、廊下の隅。そこに、こちらを見上げるようにしているのはネズミだ。ハリエットは思いも寄らない遭遇に目を見開いた。

「スキャバーズ?」

 当然だが、そのネズミに指はちゃんとある。指が一本ないというのは、スキャバーズを見分けるのに役立ちはするだろうが、しかしその特徴がないからと言って、見分けられないわけではない。親友のペットとして、三年もすぐ側に居たのだから。

 しかし、スキャバーズ――ピーターは、こんな所に何の用だろう。もしかして、忍びの地図作成に尽力している所だろうか。犬であればともかく、鹿はホグワーツ徘徊には向かない。小柄なネズミならば、さぞ多様な場所にも潜入できるだろう――。

 ネズミを見たまま固まったハリエットは、スネイプの悲鳴と、弾けるような笑い声に我に返った。視線を上げた先には、何もない。――いや、あった。廊下のど真ん中に、大きな落とし穴が空いていたのだ。

「スニベルス! いつも下ばっか向いて歩いてるからこんな悪戯に引っかかるんだよ」
「お前の格好をどうにかしてやろうと思って中は泡風呂にしておいたから、感謝するんだな」

 お腹を抱えて笑っていたのは、見まごう事なきジェームズとシリウス。ハリエットは茫然としたが、すぐにポッカリと空いた穴に駆け寄った。

「スネイプ! 大丈夫!?」
「ハリエット、近づいちゃ危ないよ。落ちるかもしれない」
「それとも、怒りに狂ったスニベルスが杖を向けてくるかな?」

 シリウスが笑った瞬間、まさに穴から閃光が迸った。シリウスは間一髪それを避ける。ジェームズは不敵に笑った。

「スネイプ、無言呪文なんてやるじゃないか」
「何の呪文か分かったか?」
「さあてね。わざと当たってやったら効果が分かるだろうさ」
「失敗した呪文かもしれないのに、そんなリスキーなことできるわけがないだろ」
「おや。パッドフットはリスキーを愛してるのかと思ってたよ」
「それはお前だろ。エバンズに愛を告げること自体が冒険的で無謀だ」
「情熱的で永遠だと言って欲しいね!」

 騒がしい二人は無視して、ハリエットはスネイプに手を伸ばした。

 落とし穴の中はひどい有様だった。シリウスの言う通り、泡風呂は泡風呂だが、お世辞にも良い匂いとは言えない泡風呂だ。

 十五歳の少年の身体を引き上げるのは、ハリエットにとって容易ではなかったが――その上、彼の手は泡のせいでぬるぬるしていた――四苦八苦の末、何とか救出できた。引き上げてようやく、魔女らしく何か魔法を使えば良かったのではないかと思ったが、後の祭りだ。

 スネイプは顔を顰めたまま、穴に向かって嘔吐いていた。泡を飲み込んでしまったのだろうか。ハリエットはキッと元凶二人を睨み付けた。

「どうしてこんなひどいことをしたの?」
「ひどいこと? ただの悪戯じゃないか!」
「可愛い可愛い悪戯さ」
「これはいじめよ!」

 ハリエットはきっぱりと言い切った。悪質ないじめを悪戯だと言い切る二人が、ダドリーとピアーズに見えて仕方がない。

「スニベルス、下級生の女の子に庇われて情けないとは思わないのか?」

 一歩も引かないハリエットを見てジェームズは矛先を変えた。スネイプはグッと杖を握りしめる。

「誰も助けてくれなんて言ってない!」
「でも同情されてる」

 シリウスが意地悪な顔で付け足した。

「良かったな。今まで助けてくれる人なんて、エバンズくらいしかいなかったろ」
「君はそういう哀れな立ち位置でエバンズの気を引いてるんだ」

 スネイプは顔を真っ赤にしてジェームズ達に杖を向けた。それとほぼ同時にジェームズとシリウスもまたスネイプに杖を向ける。二対一だ。ハリエットは慌てて三人の間に立ち塞がる。

「止めて! 廊下で魔法は使っちゃいけないのよ!」
「そんな校則誰も守ってないよ。退くんだ、ハリエット」
「ずるいと思わないの? 二対一だなんて!」
「スニベルスには友達がいないからなあ。向こうにあと一人連れてくるよう言ってくれ」
「とにかく駄目――駄目ったら!」

 どうすればいいか分からなくて、ハリエットの声は自然と大きくなっていく。すると、何だなんだとこちらの騒ぎを聞きつけて野次馬が少しずつ増えていく。スネイプの惨状を見ても、囃し立てる生徒ばかりで、ハリエットは憤然とした。

 観客が増えたことでジェームズは周りを意識しだし、さりげない仕草で髪をいい感じにクシャクシャさせようとした。そんな親友をシリウスは呆れたような目で見、スネイプはと言うと、彼は逆に目立つのが嫌だったようで、素早い動作で本を拾い、するりと野次馬の間を縫ってこの場から立ち去った。

「逃げるのか、スニベルス?」

 茶化すようにシリウスが声をかけるが、もちろんスネイプからの返事はない。シリウスは鼻で笑い、ジェームズは肩をすくめた。

「残念だ。決闘しようと思ってたのに。ほら、君たちも行った行った。残念ながら、僕の決闘相手は逃げ出しちゃったみたいでね」

 スネイプが逃げ出したことで、これ以上面白いことはないと判断したのか、ジェームズに言われたことも相まって、野次馬は徐々に解散した。ついには三人きりになったとき、ハリエットはジェームズに詰め寄った。

「どうしてこんなことをしたの? スネイプがあなた達に何かしたの?」
「闇の魔術に興味がある」

 ジェームズがすぐに答えた。しかしハリエットは納得がいかない。

「それが何だって言うの? スネイプが何を好きでも、あなた達には関係ないでしょう?」
「ハリエット、君は魔法界に来てまだ日が浅いからよく分からないと思うけど」

 ジェームズは宥めるように微笑んだ。

「闇の魔術は恐ろしい。忌避すべき魔法だ。人を従わせる呪文や、拷問する呪文、一瞬で死に至らせるものもある。それに、スネイプは自分で呪文を開発もしているようだ。人を痛めつけるような」
「スネイプが、その闇の魔術を使ってあなた達に酷いことをしたの?」
「聞き慣れない呪文は使われたことがあるよ」

 まさかもう既に使っているとは知らず、ハリエットは一瞬怯んだが、しかしすぐに思い返した。――ジェームズの言葉は信用できない。たびたび彼らがスネイプに対してこんなことをしていたとしたら、スネイプの堪忍袋の緒が切れるのも仕方ないからだ。

「でも、スネイプが校則に反するようなことをしたとしても、それを戒めるのは先生方であって、あなた達じゃないわ」

 シリウスがムッとした顔をした。

「あいつは先生がいない所を狙って使ってるんだ。卑怯な奴だよ」
「あなた達だって、先生がいない時にこんなことしてるじゃない!」

 ハリエットは声を大にした。目の前にいる二人は一体誰だろう。ジェームズとシリウスという名の、全くの別人のように思えた。

「私には、あなた達がしていることはいじめにしか見えないわ」

 これ以上二人とは口論したくなかった。大切な二人の負の面は知りたくなくて、ハリエットは逃げるようにしてその場を立ち去った。