■過去の旅
03:おそらく、過去
またしても過去に遡ってしまったらしいと気づいたハーマイオニーの行動は早かった。彼女が立っていたのは、図書室の近くの廊下だったが、今はここが一番危険だと悟り、猛然とした勢いで地下一階まで階段を駆け下りた。
過去の自分に出くわすのは今一番避けたい出来事だ。となると、図書室や寮、大広間はハーマイオニーが一番出没しやすい場所だと言える。スリザリンや魔法薬学の教室などがある地下一階は、普段ハーマイオニーがほとんど立ち寄らない場所だ。好き好んでマグル生まれが蔑まれるような場所に行くほどハーマイオニーも物好きではないのだ。
幸いなことに、今は夕食時で、皆が大広間へと向かっているらしいことは、道中時計で確認した。もしもスネイプに遭遇すれば、グリフィンドールがこんな所で何を、と蛇が蛙に狙いを定めるかのように質問攻めにすること間違い無しなので、ありがたいといえばありがたかった。
幸運だったのは、地下一階の廊下で、ロンが昏倒しているのを見つけたことだろう。着地するときに頭でも打ったのか、ロンの意識はなかった。緊急事態なので、ハーマイオニーは魔法で無理矢理彼を起こす。
「ロン、大丈夫?」
「うーん……ハーマイオニー?」
「ちょっと質問するけど、身に覚えがなかったら無視してね」
「うん?」
まだ寝ぼけ眼のロンに、ハーマイオニーは続けた。
「シリウス・ブラックのあだ名は何だと思う?」
「……何だっけ、パ……パ……パットフード?」
「パッドフットよ、ロン」
ハーマイオニーは呆れながらそう返した。
「でもまあいいわ。これであなたが私達の知ってる本物のロンだって分かったもの。さあ、こうしている時間はないわ。早くハリー達を見つけないと」
「一体何が起こったのさ? さっきの質問の意味は?」
「私達、逆転時計で過去に来ちゃったの。一体何時間遡ったのかは分からないわ。何時間か、何日か、はたまた何ヶ月かも分からない」
でも一つ言えることは、とハーマイオニーは早口で続ける。
「絶対に過去の自分と対面しちゃ駄目ってこと。そうなったら最後、すぐに魔法で攻撃されるわ。良いわね、ロン。慎重に――」
行くのよ、とハーマイオニーは言いたかった。だが、その言葉は結局ハーマイオニーの口から出てくることはなかった。
彼女の目は、珍獣でも見るかのように大きく丸く見開かれていた。興味をそそられたロンは振り返った。そして、彼もまた同じ顔になった。
――そこには、スネイプが立っていた。だが、二人のよく知るスネイプではない。彼よりも随分と背が低く、髪が短く、若々しく――そして何より、スリザリンのネクタイを締め、制服を着込んでいた。
「す、す、スネイプ先生!?」
ロンが驚愕の声を上げた。スネイプはピンと眉を上げたが、何も言わず二人の横を通り過ぎようとした。――彼が側に寄ってきても、彼の身長は相変わらず変わらなかった。もしかしたら、ロンと同じくらいかもしれない。
あまりの怪奇現象に、ロンはジロジロとスネイプを見た。いつもならばそんなこと恐れ多くもできないが、しかし、今の彼は好奇心という名の怪物に支配されていた。内に秘めたる怪物がいる以上、もはや怖いものなどなかった。
「邪魔だ、退け」
あまりにもロンの存在が鬱陶しいのか、スネイプはそう言い放った。その声すら、今のロンにとっては好奇心の対象でしかない。
「スネイプ先生、もしかして縮み薬に失敗したんですか?」
いつもならば考えられないような失礼な言葉を口にするロン。慌ててハーマイオニーが彼の口を押さえたが、もう遅い。バッチリスネイプには聞こえていた。
「馬鹿にするな! 縮み薬如きで僕が失敗するか!」
「いや、だって……え?」
もはやどこから突っ込めば良いのか分からない。
制服に突っ込んだが最後、スネイプに罰則の嵐をくらいそうである。
「これだからグリフィンドールは……」
尚もブツブツ言いながら、スネイプはロンたちの横を通り過ぎていった。ロンは素っ頓狂な顔でそれを見送る。
「どういうこと? あの格好コスプレ? ついにスネイプも頭がおかしくなったの?」
「分からない?」
ハーマイオニーはうっとおしそうに髪をかき上げ、長いため息をついた。
「私達、過去に来たってことよ。それも、何十年と昔のね」
*****
最後の未来人、ドラコも、時を同じくして、地下一階のスリザリン寮近くで倒れていた。宙から放り出されたような感覚があったと思ったら、気がついたときには見慣れた廊下だったのだ。何がなんだかさっぱり分からなかった。
とはいえ、またあの四人組が何かしでかしたということは分かっていた。特にロンだ。最後にハーマイオニーが『ロン!』と叫ぶのはドラコも聞いていた。問い詰めるべきはロンだと思った。
ひとまず立ち上がると、小柄な三年生らしきスリザリン生が寮から出てきた。お前は何なんだという顔でドラコを見てきたので、ドラコもお前は誰だという顔で見返した。
「見ない顔ですね」
無言で威圧感を与えるのは止めにしたのか、そのスリザリン生はとうとう口を開いた。
「ミスター・マルフォイにそっくりですが、別人ですね? 彼はもう卒業されましたし」
「ルシウス・マルフォイか? それはそうだろう」
父が卒業したのなんて、一体何年昔だと思っているのか。
ドラコは、物怖じしないこの偉そうなスリザリン生が気に入らなかった。
「お前こそ誰だ。今までスリザリンでお前を見かけたことなかったが」
「それはこちらの台詞です。同僚の顔と名前くらい全部覚えてます。他寮の生徒でしょう? グリフィンドールですか? 大方、冷やかし半分でスリザリン寮を冒険するのだと仲間内で盛り上がったんでしょう」
「言いがかりをつけるのは止めろ。僕をグリフィンドールなんかと一緒にするな。誰だお前は」
誰だ誰だと互いに口にし、一向に話は前に進まない。純血の家系に生まれ、プライドだけは巨人よりも高くなってしまったドラコは、この状況下で絶対に相手よりも先に名乗って堪るかという気分になっていた。マルフォイ家嫡男たる自分を知らないなどと言われたくなかった。
「話になりませんね」
スリザリン生はスッとそのグレーの瞳を細めた。
「スラグホーン先生のところに行きましょう。彼のところに行けば、どちらがスリザリン生かはっきり分かることでしょう」
「スラグホーン?」
ドラコは首を捻った。そんな名前の教授はこのホグワーツにはいない。
「何を言ってるんだ。スネイプ先生だ。スネイプ先生のところに行くぞ」
「はい?」
スリザリン生は目を丸くした。
「いえ……僕も別にそれで構いませんが。では、ミスター・スネイプの所に行きましょう」
「はあ?」
ドラコは素っ頓狂な声を上げたが、結局何も言わなかった。スネイプを先生もつけずに呼ぶなど、この自称スリザリン生は大層な肝っ玉をお持ちのグリフィンドール生だと思った。
当初の目的をすっかり忘れ、ドラコは歩き始めた。だが、失念していたが、彼は今、足を固定している状態だ。思うように歩くことは敵わない。
「その足、どうしたんです?」
手を貸しはしないが、自称スリザリン生はチラチラとドラコの方を見ている。
「犬に噛まれた。躾のなってない犬だ」
「大方その犬を怒らせるようなことをしたんでしょう」
「失礼なことを言うな!」
ぎゃあぎゃあ騒がしくしながら、二人は階段をゆっくりと上がった。どうやらスネイプは地下の研究室ではなく、大広間にいるらしい。
玄関ホールまで登ったとき、ドラコの視線は何かを捉え、固まった。そしてそれを見つめたまま、自称スリザリン生に向かって言う。
「気が変わった。スネイプ先生の所へは一人で行ってくれ」
「はい? やっぱり自分がグリフィンドールだって白状するんですか?」
「もうそれでいい。僕は他にやることがある」
早口でそう言うと、ドラコは頑張って壁伝いに歩き始めた。目的の人物はすぐそこだった。