■過去の旅

47:深まる愛と誤解


 談話室に戻ってくるなり、シリウスはすぐに寝室に引っ込んでしまった。ピーター曰く、今日はもうずっと引きこもるつもりらしい。

 ハリエットは、そのまま談話室に残り、宿題をしたり、編み物をしたりした。ハーマイオニーは例によって図書室だし、ハリーとロンも、早々に宿題をほっぽり出し、シリウスとボードゲームをやりに行った。

 いつもより甘い匂いが立ちこめる談話室だったが、集中力は変わらず課題に精を出していると、三人用のソファの隣に誰かがストンと腰を下ろすのが分かった。ちらりと盗み見れば、その人物はジェームズだった。いやに真面目な顔をしているが、その割には何を言うでもなくぼうっとした様子なので、ハリエットは聞かずにはいられなかった。

「どうかしたの?」
「…………」

 ジェームズが、ゆっくりハリエットを見た。いつにない真剣な表情にハリエットはドキリとした。

「エバンズを探してたんだ」
「え?」

 唐突に何が始まるのかと一瞬ハリエットは思ったが、すぐにリリーのことかと羽根ペンをテーブルに置いた。ジェームズ達と仲直りをして以降、ハリエットは度々ジェームズからリリーについての話を聞くことがあった。何でも、親友達にリリーの話をしようとしても「またエバンズか」と取り合ってくれず、他のグリフィンドール生もリリーのつれなさ加減をからかうばかりでちっとも真面目に聞いてくれないらしい。

 ハリエットとしては、父と話せるのも嬉しいし、彼の口から母の話を聞くのも嬉しいしで、幸せ一杯なので、喜んで真面目に聞くのだが、それがジェームズの需要とバッチリ合致し――今に至るというわけだ。

「エバンズは、いつもみたいに図書室にいた。偉いよね、バレンタインなのにOWLに向けて勉強してるんだ。本当はちょっとホッとした。全然見つからないから、もしかしたらどこかで誰かから想いを受け取ってるんじゃないかって――」

 話が見えない。だが、ハリエットは大人しく待った。

「勉強の邪魔はしたくなかったし、あんまりしつこくすると嫌われると思って、近くで時間を潰してたんだ。ほら、ムーニーが――今日は丁度満月明けで――医務室にいて。一昨日徹夜で作った特大の蛙チョコをプレゼントしにいってたんだ。今日という日はムーニーのためにあるようなものだろう? 蛙チョコに呑まれて死ぬのならムーニーも本望だろうと思って、僕達からだって言わずに置き土産さ。マダム・ポンフリーの叫び声が聞こえてきたけど、うん、たぶん大丈夫だと思う」

 全然大丈夫とは思わなかったが、これ以上話が逸れるのも問題なので、ハリエットは何も言わなかった。

「まだエバンズは図書室から出てくる気配がなかったから、気まぐれにダンブルドアの所に行ったんだ。ほら、朝、女子からも男子からもチョコを待ってるってお茶目に言ってただろう? 残念なことに留守にしてたみたいだから、とりあえず扉のガーゴイルをチョコレートでコーティングしておいた」
「……ええ」
「それでも時間が余ったから、窓ガラスにチョコレートで装飾して、僕なりのフィルチへの親愛を表現していたら、ようやくエバンズが図書室から出てきたんだ。もちろん窓ガラスの文字はすぐに消した。現行犯で見つかったらバレンタインどころじゃないと思ったからね」

 ここまで来ると、本筋がようやく見えてきた。ハリエットはドキドキと辛抱強く待った。

「エバンズに声をかけると、気を利かせてくれたのか、マクドナルドは先に行ってるって談話室に向かってくれて――それで、エバンズがチョコを受け取ってくれた」
「……えっ?」

 これまでの前振りは何だったのかというくらい呆気ない結論に、ハリエットはポカンした。もっとこう――どう渡したのかとか、どんな風に受け取ったのかとか、他に付け加えるべきこと山ほどあっただろう。だが、そうは思いつつも、ハリエットの頭の大部分を占めたのは、純粋な喜びの感情だった。

「お、おめでとう、ジェームズ!」
「ありがとう」

 照れっとしながらジェームズは笑った。

「去年まではさ、僕のだけもらってくれなかったんだ。からかうのは止めて欲しいとか、冗談言わないでとか、まあ、そんなことを言われた。でも――でも、今年は受け取ってくれたんだ」

 堪えきれない嬉しさが口元に表れている。おそらくハリエットも似たような表情をしていることだろう。

「『気持ちを受け入れたわけじゃない』って何度も言われたけど……」
「それでもちゃんとした進歩だわ! おめでとう!」

 手放しに喜ぶハリエットを見上げ、ジェームズは苦笑いを浮かべた。

「そうやって応援してくれるのは君達だけだよ。本当、僕の友達はみんな駄目駄目だって言うばかりで……」
「みんなはジェームズの愛の深さを知らないんだわ」

 ジェームズの真剣さだけは十二分に知っているハリエットは言い切った。

「いくら皆に駄目だって言われたとしても、ジェームズは諦めないんでしょう? その強い気持ちが、リリーにも届いたんだと思うわ」

 熱を入れて弁舌を振るうハリエットに、ジェームズは喜びの口元はゆるゆると嬉しそうに弧を描いていた。

「でも、チョコを渡したの? お花とかは?」
「チョコだけだよ」

 ジェームズにしては少々地味なバレンタインだとハリエットは思った。チョコだけが悪いというわけではないが、普段の彼を思うと、もっと情熱的な何かをしていてもおかしくはないのに――。

「去年は大輪の百合の花束を渡そうとしたんだけど、嫌がられちゃって。場所も悪かったのかな。朝起きたらもうエバンズはいなかったから、追い掛けた先の大広間の前で渡そうとしたんだ。恥ずかしかったのか、受け取ってくれなくて……」
「カードは?」
「カードは――なんか、恥ずかしかったんだ」

 急にジェームズはしおらしくなった。

 直接愛を告げるのは恥ずかしくなく、文字にするのは恥ずかしいということだろうか?

 娘ながら、ハリエットは父の考えていることがよく分からなかった。

「渡すのが恥ずかしかったの?」
「いや、何を書けば良いのかも分からなくて……」

 いつも直接言っているようなことを書けば良い、と思ったのはハリエットだけだろうか。

「その後ホグズミードも誘ってみたんだけど、さすがに断られて」
「そう……」

 物憂げに頬杖をつくジェームズにつられ、ハリエットもしゅんとなった。二人して落ち込んでいると、談話室に入ってきたピーターがその空気に気付き近寄ってきた。

「どうかしたの?」

 だが、さすがはジェームズ。変わり身の早さは一級品である。すぐに喜色を浮かべた。

「聞いてくれ、エバンズが僕のチョコを受け取ってくれたんだよ!」
「まさか! 本当に?」
「もちろん! その時の話をハリエットに聞かせてた所さ!」

 瞳を輝かせるジェームズに対し、ピーターは顔色が悪くなった。ちらりと気遣わしげにハリエットを見やる。

「アー、ジェームズ、ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「今? 別に良いけど……」

 承諾はしたものの、ジェームズはちょっと気が乗らない様子だ。「良い所だったんだけど」とぶつぶつ言いながら渋々立ち上がる。本当はもっとハリエットに話を聞かせたい所だったし――願わくば女の子側からの助言も欲しかった――ハリエットととて、もっと父から話を聞きたかったのだが、二人のそんな需要と供給の一致加減など知るよしもなく、ピーターは純粋に気を利かせてジェームズを寝室まで先導した。

 寝室の前には、例によってシリウス宛てのプレゼントを携えるふくろうで賑わっていた。適当にあしらいつつやっとのことで寝室に入ると、ベッドで悠々自適に過ごしているシリウスが「よう」と呑気に返事をした。

「よう、じゃないよ。君のせいでまた部屋の前がふくろうだらけだ」
「ふくろう避けの魔法でも覚えないとだなあ」
「君ぐらいしか使わないと思うけどね。で、ピーター、話って?」

 寝室にはハリー、ロンもいた。散らかっている床の隙間にボードゲームを広げ、強敵シリウスを相手にうんうん唸っている。

 二人の姿を認め、ピーターは途端に口ごもった。

「あー、えっと、その……」
「そういえばムーニーはどうだったんだ? 喜んでたか?」
「ああ、そうだった。届けたはいいんだけど、ちょっと時間がなくて反応までは見られなかったよ。だってエバンズにチョコを渡さないといけなかったんだから」
「どうせ駄目だったんだろ?」
「何を!」

 いきり立ってジェームズは拳を握りしめた。

「エバンズは僕のチョコを受け取ってくれたんだ……!」
「おめでとう」

 聞き耳を立てていたわけではないが、不意に耳に飛び込んできたおめでたい話にハリーは素直に祝福した。

「リリーはなんて?」
「気持ちを受け入れるわけじゃないって念を押されたよ。その後のホグズミードも断られて……」
「でも、今までに比べたら大した進歩だよ。リリーの中でジェームズの立ち位置が変わったんじゃないかな」

 ハリーの優しい言葉にジェームズはくっと天井を仰いだ。

「本当に……君達はなんて優しいんだ……」
「プロングズを甘やかさないことだ」

 シリウスが冷静に言った。

「すぐに暴走するし調子に乗るから」
「情熱的だと言って欲しいね!」

 くだらない口論の傍ら、ジェームズは暇さえあればリリーがどんな風にチョコを受け取ってくれたかを語ったが、ボードゲームに集中するハリー、ロン、いつものこととさらりと受け流すシリウス、ピーターを前に思うように弁舌を振るえなかった。

 昼食が近づくと、ハリーとロンはさっさと後片付けをして大広間へ向かった。ピーターはその隙を見逃さず、後に続こうとするジェームズを引き留めた。

「ちょっと話が」
「さっき言ってたの?」

 シリウスも欠伸をしながら起き上がってピーター達の方を見た。

「そう。あのさ――ハリエットのことなんだけど」
「うん」
「ちょっと無神経だと思う」
「何が?」
「エバンズがチョコを受け取ったって報告したことだよ」
「それのどこが?」

 話が見えず、ジェームズは聞き返す。ピーターが同意を求めるようにシリウスを見れば、彼はガシガシと頭を掻いていた。

「そんなこと言ったのか? まあ、俺も思わせぶりな態度は良くないと思う」
「え……えっ?」

 突然友人二名が新種の魔法生物に変化したかのようにジェームズはおろおろし出した。

「二人とも、何の話?」
「だから――」
「ジェームズ!」

 パンッと激しい音を立てて開かれた扉。皆の視線は、怒れるリーマス・ルーピンに向いた。

「シリウス、ピーター!! あの悪戯はなんだ!」
「あ、あれ、リーマスお怒り……? てっきり喜んでくれると思ったんだけど」
「どこがだ!」

 珍しくリーマスは怒り心頭だ。つい先ほどまで対峙していた三人は、阿吽の呼吸でリーマスを宥めるのに徹した。

「危うく蛙チョコが嫌いになる所だったじゃないか!」
「おいおい、落ち着けって。満月明けの顔が一層ひどくなってるぞ」
「誰のせいだと思って!」
「何が駄目だったの? 面白い悪戯だと思ったんだけど」
「全部だよ! ゲコゲコうるさいし、蛙チョコに頭を呑まれて窒息死するかと思ったし、かと思えばドロドロに溶けてそこたら中汚すし! 挙げ句僕も共犯だと思われてさっさと医務室追い出されるし!」
「それは……お気の毒に」

 へらっとジェームズは笑った。その笑みが癪に障ったのか、ろくに謝罪もなかったことに腹が立ったのか、とにかくリーマスはその日一日中虫の居所が悪く、ジェームズ達は彼のご機嫌取りに必死で、つい先ほど何か真剣な話をしようとしていたことをすっかり忘れてしまった。