■過去の旅

49:奇跡の終わり


 マルシベールの言うことを守りたかった訳ではないが、ハリエットは今回の出来事を大事にするつもりはなかった。これ以上目立つようなことにはなりたくなかったし、ドラコとあの二人は同じ寮だ。大事になれば、やっかみがドラコに向けられるのも想像に難くない。

 だが、ハリエットの思いとは裏腹に、この件はあっという間にホグワーツ中に広まった。どうやら、スリザリンと入れ違いにクィディッチの練習に向かっていたハッフルパフの生徒にあの場面を見られていたらしい。

 曰く、「スリザリンの生徒が下級生をいじめていた」という至極簡単なものだったが、大多数の生徒ならいざ知らず、その下級生の知り合いが事の詳細を理解するのにそう時間はかからなかった。

 ドラコは大した怪我もなく様子見するだけで医務室を出られたが、ハリエットは呪いを受けた傷の血がなかなか止まらず、マダム・ポンフリーにベッドに押し込まれたのだ。そのうちに真冬の湖に突き落とされたためか軽く風邪を引き、更に退院は延びる。いつも一緒にいるハリー達が気づかないわけがなかった。

「どの時代もスリザリンは嫌な奴ばっかなんだな」

 お見舞いの言葉もそこそこにロンはため息をつく。

「ハリエットも災難続きだね。ちょっと散歩しただけなのに絡まれるなんて」
「エイブリーとマルシベールは要注意よ。あまり良い噂は聞かないわ」

 サイドテーブルに羊皮紙を並べながらハーマイオニーが言った。聞かずとも、今日の授業のまとめだということが分かる。それを見てロンがゲッと顔を顰めたのをハリエットは見ない振りをした。

「ハリーの時で懲りてないのかなあ。確か、あの時ジェームズとシリウスがやり返したって」
「えっ?」
「何ですって?」

 それは初耳だ。ハーマイオニーと二人でロンを見やれば、彼はあからさまにあちゃあという顔をした。

「誰がやり返したって?」
「ああ……だからジェームズとシリウスだよ。自分の代わりにハリーが呪いを受けてジェームズが黙ってるわけない。だろう?」
「だからって、こうしてまた仕返しされてちゃ意味がないわ!」
「でも、バレないようにやったって言ってたんだけどなあ」

 ロンが不思議そうに言う。確かに、バレないようにやったのだろう。ジェームズには透明マントがある。だが、今回はそもそも自分が余計なことをしたせいで……。

 ハリエットは居たたまれなくなって困った顔をした。

「あの、本当に良いの。大した怪我もなかったし……」
「でも――」
「はい、お薬の時間ですよ。面会はもう済みましたか?」

 マダム・ポンフリーの容赦ない登場によって、ハリー達三人は無情にも追い立てられ、医務室を出された。ハリエットはというと、ポンフリーに元気爆発薬をしこたま飲まされ、耳からポッポッと煙を出す羽目になった。薬を飲んだおかげか、随分身体は軽くなったが、ポンフリーに横になるよう言われては逆らうことなどできなかった。

 一眠りしたところで、リリーがお見舞いにやって来てくれた。耳から煙を出し続けている状態なので、正直なところハリエットは恥ずかしくて堪らなかったが、リリーはくすりとも笑わなかった。

「ハリエット、大丈夫?」
「ええ。お見舞いに来てくれてありがとう」
「そんなこと……」

 リリーは辺りを憚るように声を潜めた。

「あの子と一緒にいたの? マルフォイって子」
「ええ。でも、二人はドラコに用があったみたい。闇の魔術に興味ないかって勧誘されてたの」
「まだ三年生なのに!」

 リリーは想わず叫んだ。

「それで、何があったの? 入院なんてよっぽどのことよ!」
「そんなに大したことないわ。ただ、ちょっといろいろ重なって……」

 目撃証言もあることなので、ハリエットは大人しく事の次第を説明した。宙づりにされた上湖に突き落とされたと話したときは、リリーは自分のことのように怒ってくれた。

 ただ、ハリエットはマルシベールが言っていたことが気にかかっていた。スネイプが開発したという呪文だ。

 呪文を開発できるなんて、素晴らしい才能だと思う。しかし、人を傷つけるような呪いはいかにしてできたのか。偶然の産物か、それとも故意に作ろうと思い至ったのか。そしてそれを、なぜ悪用するかもしれない人に教えたのか――。

 リリーに言うべきかハリエットは迷いあぐねた。言ったところでどうなるとも思った。スネイプのしたことに心を痛め、板挟みになって苦しむのはリリーだし、リリーとスネイプの仲が拗れるのは――。

 そこまで考えたところで、ハリエットははたと思い至った。――自分達は、何もするべきではなかった。何もしてはいけないのだ。告げ口も、助言も。

 毛布の下で手を握り込み、ハリエットは無理に笑みを作った。

「でも、本当に大丈夫。あの後ドラコとも話し合って――」

 音を立てて医務室の扉が開いた。続々と入出してくる足音は複数のもので、マダム・ポンフリーと会話をする声から、すぐに悪戯仕掛人だと分かった。

 声をかけ、カーテンを開けたジェームズ達を見て、リリーはハリエットに優しく言った。

「私はもう行くわね」
「もう行くの?」

 残念そうにジェームズが尋ねた。彼としては、自分達のせいで二人の時間を邪魔してしまったのではという心配からだったのだろう。だが、考えすぎたピーターはハリエットの前ということもあって彼の脇腹を小突いた。その間にリリーは医務室を出ていく。

「えっ? なに?」
「いや……それより、ハリエット、大丈夫?」
「ええ、マダム・ポンフリーのおかげでもうすっかり」
「なら良かった。ほら、これ」

 シリウスが懐から取り出したのは一本の杖だ。すぐに自分の杖だと分かり、ハリエットは目を丸くした。

「取ってきてくれたの?」
「こういうことにかけては、お届け呪文も呼び寄せの呪文も得意なこのパッドフット君にお任せあれ!」
「いつまでそれ引っ張るつもりだ?」
「だって君、バレンタインが終わったのにまだちょくちょくカードが届いてるじゃないか。……あ、バレンタイン関係なく、いつものことだったか」
「男の嫉妬は見苦しいぞ」
「何をっ! 僕はエバンズ以外からのカードは目じゃないぞ!」
「嬉しそうに女子からのチョコ受け取ってたくせに」
「エバンズに聞かれたら誤解されるだろう!」
「誤解も何も、エバンズはどうでも良いと思う」

 何だか変な方向に話が進んでいる。だが、そんな会話も面白くてクスクス笑っていると、ピーターがまたジェームズのローブを引っ張った。

「お見舞いが遅れてごめんね。僕達、根本を解決しないとって思って」
「何をしたの?」

 ちょっと不安そうにハリエットが尋ねれば、ジェームズはニヤリと笑う。

「そりゃあ、そっくりそのままお返ししたさ」
「別に俺達は故意にやったわけじゃないさ」

 ジェームズに追随し、シリウスはわざとらしく言い訳を付け足した。

「呪文の練習をしてたら、たまたま外を歩いてたエイブリーとマルシベールに直撃しただけで」
「吹っ飛ばされた先がたまたま湖だったってだけで」
「悪いことは何にもしてないよなあ?」

 すっとぼけた顔で見合わせるジェームズとシリウス。リーマスの苦い顔が全てを物語っている。

「ただまあ、運の悪いことに僕達が練習してたのは消失呪文でね……二人は真っ裸になっちゃった」

 ジェームズ達のレベルなら練習なんていらないだろう――ハリエットはそう思ったが、何も言わなかった。

「不可抗力とは言え、さすがに罪悪感はあるよ? 頑張ってローブだけは出してあげたんだけど、うーん、ほら、僕達まだまだだから、制服を出すのは難しくてね?」
「手元が狂ってローブまで水浸しになったけど、まあ仕方ないよな?」

 とぼけて同意を求められても、ハリエットは困ったように笑うことしかできない。

 きっと彼らは、自分達のせいでハリエットが絡まれたと思っているのだろう。本当は、ハリエットが自ら追い縋ってしまったからだったのに。

 その誤解が今回の仕返しを生み出し、ジェームズ達とエイブリー、マルシベールの間に、どうあっても取り返しのつかない不和が構築されてしまったのではないかとハリエットは不安だった。

「でも、問題はここからだ」

 ハリエットの不安を余所に、シリウスは勿体ぶって続けた。

「更に運の悪いことに、その日玄関からすぐ目の前の階段と廊下が何者かによって消されててな」
「僕達でさえ頑張って練習中だったのに、あんなどでかいことをやらかすなんて、一体誰の仕業だろう!」

 大袈裟なまでにチラチラジェームズはリーマスを見る。リーマスは困ったように笑い、ハリエットはそれだけで彼もまた悪戯の一端を担わされたのだと悟った。

「可哀想に、泣く泣く遠回りする羽目になった奴らはきっと目立ってただろうな」
「なんたって、裸にローブ一枚だから」
「そういえば、湖のほとりで見つけた杖二本はどうしたんだっけ? 確か、ワームテールが……」
「ちゃんとフィルチの没収棚まで届けたよ!」
「さすがはワームテール。落とし物はそれ相応の場所まで届けないとな」

 もうハリエットは終始口をポカンと開けたままだ。なんといえば良いか分からない。ムズムズとお腹が落ち着かない気分だ。

「そうだ。最近ワームテールの趣味がカメラでな、その時撮れた最高の一枚見せてやれよ」
「見せるの?」

 女の子には刺激が強いんじゃ、と控えめにリーマスは言うが、ちょっと好奇心がうずいてハリエットは頷き、覗き込んだ。

 場所はホグワーツ校内。ぽっかり空いた空間に茫然とした後、泣く泣く階段を上っていくエイブリーとマルシベール。ローブの隙間からチラチラ見える足は素肌で、誰しもがこれは全裸だと思ってしまうだろう。

 そんな刺激の強い光景を背景に、こちらに向かって晴れやかな笑顔でピースを向ける悪戯仕掛人……。喜々としてハリエットに話を聞かせるジェームズ達とは裏腹に、僕は止めようとしたんだよ、という雰囲気を終始醸し出していたリーマスでさえ、この写真の中ではしてやったりと悪戯っぽい笑顔なのだからおかしくもなってくる。

「ありがとう……」

 ハリエットは思わず言った。

「スッキリした」

 今回のことが、またしても復讐の連鎖を生むのではないかと不安は残る。だが、それ以上に自分のことを思ってやってくれたという彼らの気持ちが本当に嬉しかった。

「お礼を言われるようなことなんて。僕達はただ魔法の練習したってことと、丁度見かけた面白い出来事を聞かせただけだし」
「そうだ、お見舞いの品……というか、プレゼントもあるんだよ」
「え?」

 思ってもみない言葉にハリエットは目を丸くし、そうしている間に、皆が順々にハリエットのベッドの上にポンポン置いて行った。

「僕はハニーデュークスの新作のお菓子。この前の休み、ホグワーツから抜け出してホグズミードに行ったら、丁度売ってたからさ」
「ピーター、ハリエットにそんなことバラしたら駄目だ。悪影響じゃないか――僕からはかくれん防止器だよ。使い方は知ってる? 胡散臭いものに反応して光るんだ」
「俺は知っていたら絶対に役立つ呪い百選だな。呪いって書いてあるけど、そんなにヤバい代物じゃないから安心してくれ」
「君達からしてみれば、だろ……?」

 リーマスがジト目でシリウスを見たが、彼は涼しい顔で受け流した。

 続いてジェームズが小さな包みをテーブルに置いた。

「僕のは……まあ、開けて見てからのお楽しみさ。絶対に役立つこと請け合いだよ」
「中身は俺達も知らないんだ。教えろって言っても口を割らなくて」
「そりゃあ、言ったら楽しみがなくなるじゃないか。とにかく開けてみて――」

 けたたましい音を立ててリーマスからもらったかくれん防止器が赤く光り出した。まるで今にも壊れてしまいそうなほど激しく暴れている。一瞬の沈黙の後、不審な目がジェームズに向けられた。ジェームズは慌てて両手を振る。

「違うよ! リーマスのが不良品なんだ!」
「失礼な! 君のが不審丸出しだからかくれん防止器が正しく反応してるんじゃないか!」

 「違うよ!」「いやそうだよ!」という、五年生とは思えないくだらない言い争いに、ハリエットは思わず声を上げて笑ってしまった。

「あの……ありがとう、本当に。とっても嬉しいわ」
「駄目だよ、ハリエット。他のは良いけど、ジェームズのは一度ちゃんと確認しなきゃ。怪我するかもしれない……」
「そんな危険なもの渡すわけないじゃないか!」

 ジェームズの悲愴な叫びの中、代表してリーマスがそうっと包みを開けた。コロコロ、と中からいくつか出てきたのは、小さなガラス玉。皆の目が丸くなった。

「可愛い……」
「ほら見ろ! 別に危険なものじゃない!」
「どういう奴だ?」
「中身はクソ爆弾と一緒」
「やっぱり危険じゃないか!」

 ぎゃあぎゃあ言い合う悪戯仕掛人。コホンコホンと咳払いが聞こえてきたのはそんなときだった。

「うわ……」

 振り返った先には、全てを許してくれそうな微笑みを讃えたダンブルドアと、この場に校長がいなければ絶対に看過しない怒りの表情を浮かべたマダム・ポンフリー。

「校長先生が面会をご希望です」

 一言一句絞り出すようにマダム・ポンフリーが述べた。

「それが……お見舞いの品と?」
「誰かを思うことは良いことじゃ」

 ホッホ、とダンブルドアは笑った。

「ポピー、わしは何も聞かなかったことにしようかの」
「……分かりました」

 さすがダンブルドアだ! とジェームズの目が輝く。自分達のはまだしも、ジェームズのは没収されても良かったんじゃ、とリーマスは逆に少し不満に思うが、すぐに気持ちを切り替える。

「僕達は席を外した方が良いですか?」
「そうしてくれた方が有り難いが……友人達との時間を邪魔してしまって申し訳ない」
「そんなこと! ハリエットが退院したらまたいつでも遊べるので」

 ジェームズの言葉にハリエットはポッと頬が赤くなる。ダンブルドアは微笑ましく彼らが出て行くのを見送った。カーテンを閉め、二人きりになると、彼は真面目な表情になった。

「さて……ハリエット。君達のことで話があってのう。ハリー達には後で話をするつもりじゃ」
「は、はい」

 何かあったのだろうか。

 ハリエットは急に不安になってシーツを握りしめた。

「三月の中旬には、逆転時計が直る見込みができた」

 そして、単刀直入に言われた言葉に思考が停止する。逆転時計が――直る――。

「動作確認ももう終わっておる。後は細かい月日の調整と――」

 ダンブルドアの声が遠い。

 嫌でもハリエットは悟ってしまった。

 束の間の奇跡の、終わりが来たことを。