■別視点

12:対抗心



*死の秘宝『十七歳の誕生日』、隠れ穴にて*


 ハリー、ハリエット、ロン、ハーマイオニーの四人がスクリムジョールと共に家の中に入っていった後、バースデーパーティーに参加した面々は各々不安そうな顔を見合わせた。

「誰か一人くらい部屋の外で様子を見守っていた方が良いんじゃない?」
「だが、相手は魔法大臣だ。もし気を悪くされたら立場がない」
「そんなこと言ってる場合? もし四人の身に何かあったら――」

 大人達の会話を余所に、ドラコはぼうっとしながらグラスを傾けていた。

 ドラコは、ハリエット達のことは心配していなかった。相手はまかり間違っても魔法大臣だ。彼の経歴も知っている。今や名実ともに魔法界の『希望の男の子』となったハリー・ポッターに、危害を加える訳がない。

「おーい、ドラコ坊ちゃん」

 そんな中、馴れ馴れしくドラコの肩に腕を回してきたのは、ウィーズリー家双子のどちらかだ。

「どうだったんだ? 果樹園デート」

 ドラコはむせそうになった。慌てて彼を睨み付ける。

 今の一言でドラコは理解した。彼はジョージ・ウィーズリーの方だ。

「そんなんじゃない。ただ散歩しに行ってきただけだ」
「おおっと、この純情ボーイはデートの意味も分からないそうだ」

 どこからともなくフレッドまで現れ、ドラコの背中を叩いた。

「それはこっちの台詞だ!」

 ドラコは小さな声で囁いた。こんな会話、誰にも聞かれたくはなかった。特にあの過保護な名付け親には。

 シリウスは今、スクリムジョールから隠れるようにして家の中に潜んでいるようだが、いつまたここに現れるとも限らない。何しろ彼は、目に入れても痛くない名付け子のためならば、地獄耳を発揮させて駆けつけてくるから尚のこと厄介なのだ。彼の恐ろしさはここ数日で十分実感していた。伊達にアズカバンで十数年正気を保っていない。

「男女が二人っきりで出掛けたら、それはもうデートだろ?」
「おいおい、フレッド、それはちょっと性急過ぎるぜ」
「どうしてだ?」

 フレッドはわざとらしく驚いて見せた。ドラコはこれが茶番だと分かっていた。

「男女が二人っきり……それなら、俺とハリエットでもデートってことになるじゃないか。正確には、どっちかがどっちかに恋心を持ってたらデート――その辺が妥当な定義じゃないか?」
「なるほど! さすがはジョージだな!」

 ジョージの腕をポンと叩き、フレッドはニシシッと笑った。ドラコはイライラがたまっていくのを感じた。

「で、この場合、誰が誰を好きだって?」
「それを聞くのは野暮ってもんだろう……なあ、坊ちゃん?」

 意地悪くジョージはニヤニヤ笑った。ドラコはその顔を殺意の籠もった目で睨み付ける。

「何のことだか分からないな」
「あっ、そう来るか?」

 フレッドは意味ありげに笑った。

「素直になれば俺達もサポートは惜しまないのになあ」

 本当だか分からない調子でフレッドはそんなことをのたまった。だが、ドラコは聞く耳持たなかった。ここ数日、ハリエットと少し話しただけでどこからともなくシリウスがすっ飛んできたのは、フレッド達が一枚噛んでいると睨んでいたからだ。

「いい加減僕に絡んでくるのは止めてくれないか」

 グラスを置き、ドラコはきっぱりと言い切った。フレッドとジョージはきょとんとして顔を見合わせる。

「それは無理な相談だな」
「ハリエットが絡むと、君ってロン以上に面白いから!」
「ほら、愛しのハリエットが戻ってきたみたいだぜ」

 ジョージが指差した方を思わず見たのは、あくまでつられたからであって、決して「愛しのハリエット」に反応したからではない。

 そのことを心の中で早口で言い訳したのは、ハリー達四人の後に続き、シリウスまでもが姿を現したからだ。

 もしかしてジョージの言葉が聞かれただろうか、と冷や汗を浮かべるドラコに、フレッドとジョージはニヤニヤ笑うばかり。

 いよいよこの二人のことがうんざりしてきた。ドラコはグラスを持ったまま、いつの間にか戻ってきていたルーピンとトンクスの側に行った。

 ルーピンは、この中の誰よりも大人な対応ができる人物だ。何やら、時折微笑ましそうに見つめられるのには居心地が悪くて堪らないが、それ以外ではドラコは彼を信用していた。何より、ルーピンはシリウスを唯一きちんと御せられる人物でもある。

 落ち着いた様子で酒を酌み交わす大人達の傍ら、今日の主役含む子供達の方は大騒ぎだった。やれ誰が一番ファイア・ウィスキーをたくさん飲めるかだの、やれ誰が提灯を一番高くまで飛ばせられるかだの……。

 くだらないと言えばくだらないが、誰も彼もが笑っているので、いつもは目くじらを立てるモリーも今日ばかりは苦笑いで見逃しているくらいだ。

 チャーリーと一緒になってたくさんアルコールを摂取したフレッド、ジョージは特にべろんべろんだ。ドラコはつくづく大人達側へ避難して良かったと心から思った。あんな状態の双子に絡まれたが最後、皆の前でハリエットへの気持ちを暴露されかねない――いや、開心術により、ハリエット以外暗黙のうちに承知している事実とはいえ、耐えがたい羞恥だ。

 泥酔する双子から身を隠そうとしたのは、何もドラコだけではない。ウィーズリー家の子供達は彼らのたちの悪さを身を以て理解していたし、ハリーやハーマイオニーでさえ、反射的に身の危険を感じたのだ。呑気にも逃げ遅れたのは――そもそも逃げようともしていなかった――自分用に切り分けられたスニッチ・ケーキを今まさに食べようとしていたハリエットだった。

「ああ、ハリエット!」
「なんてことだ!」

 双子は仰々しく、しかし強引にハリエットのフォークを取り上げた。ハリエットはポカンと口を開けたまま何が何だか分からないといった顔をしている。

「折角の主役にフォークを持たせるなんて!」
「誕生日の主役は何の仕事もしちゃいけない……。そんなことも分からないのかい?」
「し、仕事って……。ただ食べようとしただけだけど」
「フレッド! 主役様はケーキが食べたいと仰せだ!」
「よし来た!」

 フレッドは恭しく片手を添えながらハリエットにフォークを差し出す。その先にはちょこんとケーキが刺さっている。ハリエットは困惑の目でフレッドとジョージを見る。

「ほうら、折角の誕生日なんだから、ハリエット、あーん」
「えっと……」

 助けを求めるつもりで、ハリエットは周りを見た。だが、量の差はあれ、同じくアルコールの入った周りはやいやいとはやし立てるばかりで、ハリエットの味方はすぐには見つからなかった。

 ドラコも唖然とその光景を見ていたが、ハリエットと視線が交わる前に、彼女は周囲に助けを求めることを諦めてしまったようだ。何しろ、後見人であるシリウスですらおかしそうにカラカラ笑ってるだけで、注意の一つもしようともしないのだから。

 「遠慮しないでかぶりつけば良い」とむしろフレッドの後押しをしているのを見て、ドラコは釈然としない思いだった。

 アレをやったのがドラコだったならば、烈火の如く怒るだろうに、なぜフレッドならば笑って許されるのか。

 ドラコはムカムカした。

 ハリエットもハリエットだ。最初こそ恥ずかしがって断っていたものの、周りの雰囲気に押され、フレッドの差し出すケーキに呑気に齧り付いて。

 謎の拍手が沸き起こり、ハリエットは照れくさそうに笑っていた。次の一口も、と調子に乗ったフレッドだが、今度こそ危機管理能力が働いたハリエットは一目散にハーマイオニーの隣へ逃げ込み、事なきを得た。次に絡まれたのはハリーで、さすがにケーキ付きのフォークを差し出されたときは全力で拒否していた。

 パーティーが終盤に近づくと、何となく眠たげな雰囲気が漂った。あれだけ騒いでいたウィーズリー家の双子が疲れたように席に座り込んでいるのだから、それも当然だろう。

 それに反して、ドラコの目は冴えていた。アルコールも控えていたし、見ていて飽きないウィーズリー家の面々を見ていれば、自然と眠気など降りてこなかったからだ。

 視線を移動させれば、シリウスが、こちらに完全に背を向ける形でアーサーと話し込んでいる。フレッドとジョージも相変わらずあくびをしながらビルと話している。

 ――隠れ穴でのドラコの天敵は、今誰もこちらを見ていない。

 ドラコは不意に立ち上がり、ハリエットの隣の席へ移動した。彼女もまた、眠たげな顔をしていない者の一人だった。この誕生パーティーのために、ソファで昼寝をしていたために、まだ眠気は襲ってこないのだろう。

 ハリエットは急に隣に来たドラコに驚いたようだが、すぐに口角を上げる。

「ドラコはケーキ食べたの?」
「いや、まだだ」
「じゃあ切り分けるわ」

 特大のスニッチ・ケーキは、残るところあと僅かだった。周りを見回し、皆の食事の手が止まってお開きの雰囲気が流れているのを感じ取ると、ハリエットは思いきって皿に残っていたケーキを全部ドラコの皿に載せた。

「そんなに?」
「残すともったいないから」
「でも、たぶん食べきれないと思う」
「そう? じゃあ私もちょっともらって良い?」

 ドラコはピシリと固まって、ハリエットとケーキとを見比べた。脳裏には、つい先ほどの光景が走馬灯のように駆け巡る。これは――?

 小さめにケーキを割り、フォークで突き刺した。ドラコはそれを持ち上げたまま、中途半端な所で固まる。

 ――分かっている。彼女がそういう意味で言ってる訳じゃないことくらい。フレッド相手にあそこまで恥ずかしがっていたのに、急にドラコにアレをせがむ理由がない。そう、分かっている――。

 謎の葛藤と戦い、果たして勝ったのか負けたのか、ドラコは鬼気迫る顔でケーキを食べた。それはもう恐るべき速さで。二人分はあるだろうケーキがみるみる形を失っていく。結局「私ももらって良い?」の台詞はなかったことにされた。

「ね? おいしかったでしょう?」

 邪気のない顔で微笑むハリエットに、ドラコは曖昧に笑い返した。ちょっと胸焼けしそうだったし、ちょっと情けなくもあった。くだらない対抗心を燃やし、勝手に勝負をけしかけ、ひとりでに大敗した気分だ。例え冗談っぽくても、あそこで彼女にフォークを向けるくらいの男気があれば何かが変わったのだろうか――。

「パーティーはそろそろお開きの時間よ」

 パンパンと手を叩くモリーにあわせ、後片付けを手伝おうとハリエットが立ち上がった。ドラコは動ける気力もないまま、椅子に腰を下ろして項垂れたままだ。

 ポン、と誰かがドラコの肩を叩く。反射的に顔を上げれば――人は、こんなにも表情筋を緩めることができるのだろうか、という疑問が湧き起こるほどの表情を浮かべるフレッドと目が合った。その後ろには、全く同じ顔をしたジョージがいて。

「やっぱり俺達のサポートが必要だろ?」
「いらない!」

 ドラコはその手を大きく振り払った。自分には男気が必要だとは思えど、空からキメラが降ってきたとしても彼らの手だけは借りないと思った。